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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

永峰&久元・ルガンスキー・ソヒエフ

クラシックディスク・今月の3点(2020年7月)


「ロマンス〜ヨアヒムの愛器でヨアヒムを弾く〜」

クララ・シューマン、ヨアヒム、ローベルト・シューマン、ブラームスの作品

永峰高志(ヴァイオリン)、久元祐子(ピアノ)

永峰は第2ヴァイオリン首席奏者を最後にNHK交響楽団を早期退職して以後、国立音楽大学教授として招聘教授の準メルクル(指揮者)とともに同大オーケストラの水準を飛躍的に高めてきた。ほぼ10年ぶりのリサイタル・アルバムでは国立音大が所有、永峰に貸与されているストラディヴァリスの銘器「ヨアヒム」(1723年製)を携え、日本で唯一の「ベーゼンドルファー・アーティスト」である久元のピアノ(ベーゼンドルファー290インペリアル)を共演者に選んだ。ヨアヒムとは元の持ち主、ハプスブルク朝末期のオーストリア=ハンガリー帝国の大ヴァイオリニストで作曲家・指揮者だったヨーゼフ・ヨアヒム(1831ー1907)のこと。親交のあったシューマン夫妻それぞれの「3つのロマンス」、ブラームス「ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調《雨の歌》」のほか、ヨアヒムの「ロマンス変ロ長調作品2−1」を収めている。


銘器をしっかりと鳴らし、作品の骨格を揺るぎなく表現しながら内面に目を注ぎ、ニュアンス豊かなピアノとも実り豊かな音楽の「会話」を繰り広げるーー室内楽奏者としての永峰の円熟を如実に示す、充実の演奏内容だ。楽曲の持ち味と合致したピアノの音色もいい。



もともと録音に定評のあるレーベルなので、CDでも弦の摩擦音、ピアノのタッチの重量感などの解像度は申し分ないが、LPには〝粘り〟のような要素が加わり、デュオの一体感がさらに高まる。

(マイスター・ミュージック)


フランク「プレリュード、フーガとコラール〜フランク ピアノ作品集」

ニコライ・ルガンスキー(ピアノ)

ルガンスキーがロシア音楽の枠を超えた素晴らしいピアニストであることは2年前、当ホームページに掲載した単独インタビューの記事でも強調した:


ドビュッシーのアルバムも素晴らしかったうえ、ベートーヴェンをはじめとするドイツ音楽にも造詣が深いから、フランスとドイツの良さがブレンドしたようなフランクの悪かろうはずはない。デビュー当時は「クール」と思われがちだったが、実は深い情念を内に秘めていた。独特のうねりを伴いながら、熱く、大きく盛り上がるピアニズムは圧巻だ。

(仏ハルモニア・ムンディ=輸入盤、日本発売元はキングインターナショナル)


ショスタコーヴィチ「交響曲第8番」

トゥガン・ソヒエフ指揮トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団

かつてはエフゲニー・スヴェトラーノフやクルト・マズアら旧ソ連・東欧系の指揮者がフランスのオーケストラを指揮すると重厚な音、どろりと濃い情感に塗りつぶされがちだった。だが1977年に北オセチアで生まれたソヒエフは、サンクトペテルブルク音楽院でワレリー・ゲルギエフらを育てた名教授イリヤ・ムーシンの教えを受けたにもかかわらず、エレガントなバレエ音楽の世界を思わせる音楽性を身につけた。


トゥールーズ・キャピトル管は長くミシェル・プラッソンに率いられた後、2008年からソヒエフが音楽監督・首席指揮者(2005年に首席客演指揮者に就いていた)を務める。度重なるN響への客演でも明らかなように、旋律をたっぷりと歌わせ、管弦楽の色彩感を最大限に引き出しながらも〝やり過ぎ〟に至らず、つねに洗練を漂わせた繊細で優美な音楽に仕上げる。世界中の指揮者が作曲家の生きた時代や背後に隠された様々なメタファー(隠喩)に目を向け、重く、暗い音響を提示する傾向にあるなか、ソヒエフはショスタコーヴィチを前にしても、エレガントなアプローチに徹しているのだから、驚きだ。「新たな作品像を提示した」と受け入れるか、「こんなの、ショスタコーヴィチじゃない」と拒絶するか、聴き手の反応は二分されるだろうが、没後45年を経た時点の解釈の変遷として、実に興味深い。

(ワーナーミュージック)



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