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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

レヴィット・北村朋幹・鮫島明子 Piano

クラシックディスク・今月の3点(2019年11月)


ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ全集(第1ー32番)」

イゴール・レヴィット(ピアノ)

レヴィット(1987ー)は2013年にベートーヴェンの「後期5大ソナタ集(第28ー32番)」、翌年にJ・S・バッハの「パルティータ全曲(第1−6番)をソニーミュージックから連続リリースし、日本人の視界に入ってきた。だが当時、私たちは底知れず巨大な才能を正しく認識したわけではなかった。状況は2015年リリースのサード・アルバム「変奏曲の世界」から、2017年9月17日の東京文化会館でペトレンコ指揮バイエルン国立管弦楽団とラフマニノフの「パガニーニの主題による変奏曲」をたった1度共演するためだけに来日、アンコールのワーグナー〜リスト「イゾルデ愛の死」ともども隅々まで磨き抜かれたピアニズム、知的で繊細、心にしみる音楽性で客席をノックアウトした場面にかけて一変した。2019年の「東京・春」音楽祭ではサード・アルバムと全く同じ、J・S・バッハ「ゴルトベルク変奏曲、ベートーヴェン「ディアベッリのワルツの主題による33の変奏曲」、ジェフスキ「《不屈の民》の主題による変奏曲」の連続演奏会を行い、一段と評価を高めた。


2020年のベートーヴェン生誕250周年を目がけ、レヴィットはデビュー盤の5曲を除く27曲のソナタを2017ー2019年に録音、32曲のセット(CD9枚組)を完成した。最初に後期の5曲を収めたのが良かったのか、ベートーヴェンが作品2と最も初期の番号の第1ー3番のソナタを作曲した時点ですでに、最後の第32番のジャズを思わせる自由自在の境地へと至る長距離ドライヴの設計図を厳密に描き、「起点」に「終点」を内包させていた実態が、つぶさにわかる。「悲愴」「月光」「熱情」などの標題に振り回されることを巧みに避け、人気曲ではなくとも鍵盤音楽史の発展に照らして重要な作品では逆に、じっくりと語る。色々な聴き方があっていいけれども、レヴィット盤では先ず、番号順に聴いてほしい。

(ソニーミュージック)


「Bagatellen(バガテレン)」

北村朋幹(ピアノ)

バガテレンとはバガテルの複数形で、性格的小品(キャラクターピース)の集まりを意味する。北村(1991ー)は東京藝術大学、ベルリン芸術大学を経て、現在はフランクフルト音楽・舞台芸術大学で歴史的奏法の研究に取り組んでいる。私との出会いは2005年。第3回東京音楽コンクールの本選審査員(予選には立ち会わず、全部門の本選だけを審査する)と、ピアノ部門の優勝者という関係だった。控室に着くなり、予選から聴き続けてきたピアニストの清水和音が「まだ中学3年生だけど、すごい音楽性の持ち主がいる」と興奮の面持ちで、北村の出現を告げた。全部門の審査が終わると、清水は「管楽器に1位が出なかったし、北村君の存在は全部門を通じて傑出していたので別の賞をつくり、管楽器に用意した賞金も彼に積み増そう」と突飛なアイデアを出したが、審査員全員が同じ思いだったため、主催の東京文化会館(東京都歴史文化財団)も了承、1度きりの「審査員大賞」が決まった。


本選でメンデルスゾーンの「スコットランド風ソナタ」、ベルクの「ソナタ作品1」など、かなり個性的な作品を並べていたように、北村には少年時代から、確固とした音楽のポリシーを備えていた。藝大の恩師である伊藤恵と2台ピアノで演奏するためにR・シュトラウスの「交響詩《死と変容》」を自身で編曲するなど、楽曲の再構築にも手腕を発揮する。


「バガテレン」のブックレット(解説書)に、北村が記した言葉;

「五線上の音符は、ふと現れた音楽の感触を表す最上の、しかし1つの結果でしかないのかもしれない」

「まだ音符にすらなっていない、音楽の税所の姿を聴いたのは、作曲家だけだ」

「形式という厳しい整理にとらわれずに自由に書かれた小品のもつ隙間、その連なりから、作曲家が聴いた音楽のはじまりを、想像することはできないだろうか」

「Bagatelleーささいなもの、取るに足らないもの」

「取るに足らない時間の連なりである人生の中に、音楽はふと、現れる」


北村の飽くなき探究心によって選ばれた「取るに足らない」時間の伴走者は、

1)バルトーク「14のバガテル作品6」

2)ベートーヴェン「6つのバガテル作品126」

3)ブラームス「8つのピアノ小品作品76」

ーーの3人。合計28コマの情景を描きながら、ピアニストは音楽の根源を探る。いちど再生したら最後まで一気、最後が来たら再度アタマから…と強い吸引力を持っていて、聴くのがやみつきになるアルバムだ。

(フォンテック)


ショパン「芸術の精華〜晩年の作品より」

鮫島明子(ピアノ)

1980年、ポーランドではレフ・ワレサが「連帯」を立ち上げた。やがて戒厳令が敷かれ、内戦状態に陥る。「その様子がニュースで流れるたびに、ジャーナリストであった父から『明子、これをよく見て覚えておきなさい。この情勢を知らないでショパンは弾けないよ』と。丁度その頃、私はソナタの3番を練習していた。それもただただ四苦八苦しながら…」(鮫島自身が書いたライナーノートより)


ピアニスト明子の「父」とは今は亡き鮫島敬治さん、日本経済新聞社の元副社長だった。北京特派員時代、当時の毛沢東主席が打ち出した文化大革命を真っ向から批判して逮捕投獄されたものの、度重なる中国政府の謝罪要求にも首を縦に振らず、最後は根負けした中国が国外退去にして幕を引いたという信念のジャーナリストである。私が広島支局の若い記者だったころは大阪編集局長で、かなりの年齢差があったにもかかわらず、議論を始めると腕まくりで応じ、朝まで展開するほどの熱血漢ぶりに驚いた記憶がある。最初に入っているショパンの「ソナタ第3番」を聴き始めてすぐ、表情豊かで振幅が大きく、核心へと一気に切り込む音楽づくりに圧倒されながら、私は鮫島家の「血筋」のようなものに思いをはせていた。


さらに作品59の「3つのマズルカ(第36ー38番)」「舟歌」「子守歌」「幻想ポロネーズ」と、ショパン晩年(1841ー1849年)の傑作群が続く。「自由な形式と内容とが見事に一致されているばかりか、人間ショパンの全てが普遍的な愛へと昇華されている」とみるピアニストもまた、ありったけの愛と情熱で一つ一つの音符に寄り添い、大きな歌を奏でる。


再び鮫島のライナーノート、最後の段落を引用してみよう;

「旧約聖書の『伝道の書』に私の好きな一節がある。〝この世には全てに時があり、それぞれ時期がある。生まれる時、死ぬ時がある。植える時、抜く時がある。倒す時、建てる時がある。泣く時、笑う時がある。嘆く時、踊る時がある〟。ショパンの音楽に秘められた様々な〝時〟と私たち一人一人における〝時〟、思い巡らしながら聴いて頂けたら幸いである」


上述の北村も、この鮫島も、音楽という時間芸術の虜になった旅人たちなのだと思う。願わくは自分も、その道行(みちゆき)をともにしていきたい。

(ナミ・レコード)








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