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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

ショパンを「語り尽くす」アンスネス


1971年生まれのノルウェー人ピアニスト、レイフ・オヴェ・アンスネスを聴き続け、26年が過ぎた。きっかけから今日までの経緯は、「レコード芸術」誌の2018年7月号「世界のピアニスト・ランキング2018」での拙稿(045ページ)に書かせていただいた。ソニー・クラシカルからの最新盤は今年1月7〜12日にドイツのブレーメン放送協会ゼンデザール(直訳すると「送出ホール」)で収録されたショパンの「バラード」全曲(第1〜4番)。

「バラード4曲は聴くにも弾くにもとても集中力を必要とする音楽なので、4曲続けて演奏するのは演奏者・聴き手双方にとって無理があります。またこの4曲はチクルスのようなまとまりで考えられていたわけではありません。それぞれが独立した、強烈な個性を持った作品なのです。これら4曲から洪水のように溢れ出す感情の波、そして緊張感。このアルバムで、バラードの間に3曲の夜想曲を挟んだのは、バラードの緊張を解かして少し息をついていただけるような時間を作るためなのです」(ソニー・クラシカルの資料より)。ピアニスト自身が説明するように、4皿の濃厚なメインディッシュの間には第4番へ長調、第13番ハ短調、第17番ロ長調と3点の夜想曲の素敵なソルベが用意され、バラードの味を一段と際立たせる。「レコード芸術」の拙稿でも触れた1992年、ベルリン・フィルへのデビューでもグリーグの協奏曲で熱狂した客席を鎮めるため、21歳の青年はショパンの夜想曲の1曲をアンコールに弾いた。前年、91年には20歳の若さでソナタ第1〜3番をヴァージン・クラシックス(後にEMI、現在はワーナーミュージック)に録音していたことでもわかるように、アンスネスは早くからショパンを得意としたが、録音はソナタ以来27年ぶり。「ある作品を一定期間集中して弾き、手中に収めたと思えたらマンネリを避け、しばらく封印する」と93年に初来日したとき、私とのインタビューで語っていた通り、ショパンも一時期「封印」していたと思われる。「バラード」全曲は、満を持してのカンバックである。



「バラード第1番」の開始は誰が弾いてもひときわ印象的な傑作ポイントだが、アンスネスの新譜を再生して感心したのは、ピアノの音の「通り一遍ではない美しさ」だった。ただ綺麗な音とか、鮮やかな技巧とかの次元のはるか上、地の底から湧き出たエネルギーがピアノという媒体(メディア)を通じて聴覚世界に広がり、形而上へと昇華していくような、尋常一様ではない音の体験である。極太の筆にたっぷり墨を含ませながら、細かなニュアンスにも事欠かず、長大な絵巻物を一心不乱に描いていく感触のショパンというのも珍しい。確かに「夜想曲」抜きで4曲たて続けに聴かされたら、こちらの気力も体力も果ててしまっただろう。特に、アンスネスがピアノ音楽の「聖杯」と崇拝し、いちばん最後に取り組んだ第4番の深い掘り下げ、巨大なスケールは印象的。つくづく、すごいピアニストになってきた。

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