クラシックディスク・今月の3点(2021年11月)
シューベルト「交響曲全集(第1ー8番《ザ・グレート》ほか)」
ハインツ・ホリガー指揮バーゼル室内管弦楽団
2017ー2020年、ホリガーとバーゼル室内管が行ったシューベルト連続演奏会の合間にセッションを組み、完成したディスク(SACDとのハイブリッド盤)5枚組の全集。《ザ・グレート》だけは日本国内で、先に出ていた。「歌劇《フィエラブラス》」などシューベルト自身の管弦楽曲、ローランド・モーザーが管弦楽に補作編曲した「アンダンテ」、モーザーがシューベルトの「小葬送曲」に基づいて作曲した《エコースペース(谺する空間)》、ヴェーベルンによる「6つのドイツ舞曲」の管弦楽編曲版など組み合わせにも凝り、ホリガーが考える演奏順(例えば、モーザー版「アンダンテ」に交響曲第7番《未完成》を続ける)で配列した。モダン(現代の)楽器のアンサンブルだが、弦はガット弦でピリオド(作曲当時の)奏法を援用、金管楽器はナチュラル、ティンパニは古典モデルを採用し「鳴らし過ぎない」ことを基本に、シューベルトの時代を超えて斬新な感覚や狂気を前面に引き出す。
ブラームスら19世紀後半の楽譜校訂者には「いびつ」「間違ったバランス」と思われたシューベルトの不思議な造形、音響を「ありのままに」、自筆譜をたよりに再現し直す流れは1980年代初頭、ニコラウス・アーノンクールやクラウディオ・アバドの努力で拡大した。ホリガーは作曲家でもある自身の耳だけを信じ、シューベルト本来の音響バランスを再構築し、現代に通じる先鋭的な感覚の音楽としての再評価を迫る。鋭利で冷静な刃は時に、恐ろしくて震え上がるほどだ。AuditeレーベルがリリースしたWDR(西部ドイツ放送協会)交響楽団(日本での通称はケルン放送交響楽団)とのシューマン「管弦楽曲全集」(交響曲と協奏曲の全曲を含む)と並び、指揮者ホリガーの存在意義を強く主張する挑発的セットだ。
(ソニー ミュージック)
J・S・バッハ「ゴルトベルク変奏曲」
ダヴィッド・フレイ(ピアノ)
1981年生まれのフランス人ピアニスト、フレイは早くからバッハの演奏解釈で頭角を現した。新譜の「ゴルトベルク変奏曲BWV.988」は2021年6月最初の1週間(1−7日)、フランス南西部バルバザン=デバ(Barbazan=Debat)のノートルダム大聖堂でゆっくり時間をかけ、セッション録音したものだ。
大作に挑む、といった気負いはかけらもない。最初から非常に安定したテンション、不思議な吸引力で聴く者をバッハの迷宮へと引き込む。この静謐さはどこから来るのだろう?
第31変奏、農民部局が下敷きとされる「クォードリベット」を支配するのも土俗的なリズムの鼓舞ではなく、ノスタルジックなムードだ。最後まで一気に聴き終え、一切のストレスを覚えない「持続可能なゴルトベルク」??? 病みつきになり、何度も聴いてしまった。
英語版ウィキペディアによれば、2008年に大指揮者リッカルドを父に持つ俳優で演出家の「キアーラ・ムーティと結婚」とある。義父と異なるレパートリーの持ち主でよかった?
(ワーナー ミュージック)
「ブルース・リウ 第18回ショパン・コンクール優勝者ライヴ2021」
ブルース(シャオユウ)・リウ(ピアノ)
コロナ禍で5年に1度の開催を1年延期、2021年10月にワルシャワで開かれた第18回ショパン・コンクールの優勝者、中国系カナダ人のリウ(1997年生まれ)の会期中のライヴ録音12曲を集めたコンピレーション盤で拍手入り。冒頭の「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」、最後の「モーツァルトの歌劇《ドン・ジョヴァンニ》の《お手をどうぞ》による変奏曲」と両端の長めの2作、とりわけ中間部の旋律を優しく繊細に、ゆったりと歌わせる部分に、リウの美しい資質が最も良く現れている。
カナダでの恩師はハノイ生まれのヴェトナム人で、自身も1980年の第10回ショパン・コンクール優勝者のダン・タイ・ソン。今回の審査員の1人でもある。カナダはヴェトナム戦争終結(1975)、英国から中国への香港返還(1997)などの節目節目にボートピープルや亡命者などの難民を積極的に受け入れ、独自の多民族社会を形成してきた。30ー40年を経て、それが文化の領域でも大きな実を結びつつある実態も、リウ優勝の背景には横たわる。
リウは2016年の第6回仙台国際音楽コンクールのピアノ部門にも参加、第4位に入り最年少入賞者となった。すでに日本で一定の知名度があり、今後ますます人気を得て行きそうだ。
(DG=ユニバーサル ミュージック)
※今月は日本の若手〜中堅音楽家の素晴らしい音源もたくさん、リリースされた。
「久末航 ザ・リサイタル」
久末航(ピアノ)
久末航(ひさすえ・わたる)は1994年に滋賀県大津市で生まれ、フライブルク、パリ、ベルリンなどで学び、現在もドイツを拠点に演奏活動を続ける。今回のアルバムが正式のデビュー盤に当たり、「音楽を通じて感情や思いをありのままに吐露できる舞台のうえでの演奏こそが、最も自分を正直かつ直接的に表現できる手段ではないかと感じ」、「ザ・リサイタル」と名付けた。確かに、メンデルスゾーンの《スコットランド・ソナタ》で始め、ドメニコ・スカルラッティのソナタ3曲、メシアン《幼子イエスに降り注ぐ20の眼差し》の第5&8曲、ラヴェル《夜のガスパール》、再びメンデルスゾーンの《無言歌集》からの2曲をアンコール風に添える構成は、1夜のリサイタルのようだ。
ディスクが再生された最初の瞬間、音の美しさに強い印象を受けた。ドイツ、イタリア→
スペイン、フランス…ヨーロッパ各地の音楽と歴史を俯瞰するプログラミングも洗練され、高い見識と力量を備えたピアニストである事実を裏付ける。2021年2月27&28日のセッション録音で、CDとSACDのハイブリッド盤。作品ごとに鮮やかに変化する音色を適確に捉えている。
(アールアンフィニ=発売はナクソス・ジャパン)
「ピアソラ PIAZZOLLA」
宮田大(チェロ)、山中惇史(ピアノ)、三浦一馬(バンドネオン)、ウェールズ弦楽四重奏団(第1ヴァイオリン=﨑谷直人、第2ヴァイオリン=三原久遠、ヴィオラ=横溝耕一、チェロ=富岡廉太郎)
2021年の生誕100年、2022年の没後30年を目がけ、日本の俊英たちが全力でピアソラに立ち向かった素晴らしい音楽の時間に実を委ねる。2021年4月にサウンド・シティ世田谷、8月に新潟県の小出郷文化会館でセッションを組んだ。13曲を収め「言葉のないミロンガ」だけが三浦、他は山中の編曲による。
ジャズでもクラシックでもないガーシュインに似て、ピアソラもタンゴ、ジャズ、クラシック(とりわけ現代音楽)を吸収しながら、全く独自の表現世界を切り拓いた。宮田とウェールズ弦楽四重奏団はクラシック、三浦はタンゴ、山中は多彩な音楽ジャンルを俯瞰する立場からピアソラをとらえ、絶妙のケミストリー(化学反応)を生んでいる。
ラテンの熱気を下手に真似ることなく、真摯で正確な日本人演奏家の感性をあくまで拠り所としながら、ピアソラ音楽の真髄を究めようという宮田の姿勢は高い評価に値する。優秀な録音だが、小音量だと演奏の良さも一部しか伝わらない。できれば少し音を上げて、宮田の艶かしいチェロを存分に味わってほしい。
(日本コロムビア)
「いのちのうた 藤木大地 カウンターテナー」
藤木大地(カウンターテナー)、成田達輝(ヴァイオリン)、小林美樹(同)、川本嘉子(ヴィオラ)、中木健二(チェロ)、松本和将(ピアノ)、加藤昌則(作曲・編曲)
東京文化会館が2020年2月に制作した音楽劇《400歳のカストラート》から生まれた企画で2021年6月、キングレコード関口台スタジオで計6日間のセッションを組み収録。日本を代表する素晴らしいソリストが集まり、加藤が指揮した愛知室内オーケストラの演奏会で成田がプロ・デビュー後初のコンサートマスターを務めるなど、その後の共演にも発展している。加藤のオリジナルは《絶えることなくうたう歌》《もしも歌がなかったら》の2曲。アルバムタイトルの《いのちの歌》は村松崇継作曲の名作だ。
アルバムにこめた藤木の思いは今年4月開設の新しい音楽サイト「FREUDE」(フロイデ)の主筆、八木宏之さんの深掘り記事を読む方が、私のラフな文章よりも良く伝わるはず:
バッハから加藤、村松に至る長大な時間軸と、藤木の人生が交差する感慨深い仕上がり。テノール歌手を諦め、一時はアートマネージメントに転じようかと悩んでいたウィーン留学時代、ふとしたきっかけでカウンターテナーへの階段が舞い降りてきた。藤木は天啓を見事に生かし、現在の地位を築いた。ただの美しい声ではない。人生をかけての歩みが楽曲のドラマと重なり、心にグサリと刺さる歌に昇華しているからこそ、聴く者は感動するのだ。
(キングインターナショナル)
※さらに、音楽書を1冊。
「ラドゥ・ルプーは語らない。ーー沈黙のピアニストをたどる20の素描(デッサン)」
板垣千佳子〈編〉
1945年生まれのルーマニア人ピアニスト、ルプーは元々インタビュー嫌いな上、2019年に引退してしまったので、「語る」書籍の制作は絶望的だ。kajimoto(旧・梶本音楽事務所)で長くルプーを担当、現在は合同会社ノヴェレッテを営み、マネジメントから教育まで幅広く手がける板垣さんは「ルプーさんの演奏を敬愛する音楽家による『ルプー賛』を集めてみたい」と思い、20人の物語を編んだ。ルツェルンでの最後のコンサートの翌日、本人に恐る恐る許可を求めると、「チカコ、僕自身はもちろん語らないけど、君がそうしたいなら、すべてまかせるよ。実り多いことを祈っている」と、あっさり許可が下りたという。
アンドラーシュ・シフ、ミッシャ・マイスキー、アンヌ・ケフェレック、チョン・キョンファ、ダニエル・バレンボイムらルプーと同世代の日本でもお馴染みのスター演奏家、ユリアンナ・アヴデーエワ、チョ・ソンジンら後輩ピアニストはもちろん、モスクワ留学時代を共にした前夫人で元チェロ奏者、現在は作家の英国人エリザベス・ウィルソンの長大な寄稿など、どれもが読み応え十分。最後の締めは音楽評論家の青澤隆明さん書き下ろしの演奏家論「ルプーのほうへ」だ。詳細なディスコグラフィー(盤歴)、日本での公演記録などのデータにも抜かりはなく、読み終えたころには自分も「いっぱしのルプー・ウォッチャー」になった気になっている。日本では「千人に一人のリリシスト」のキャッチフレーズで売り出されたが、千人どころか百万人か一千万人に一人の芸術家、孤高の精神なのだと思い知った。
高校生時代から音楽について書き始め、会社員としての新聞記者を37年半も勤め上げ、今もインタビューを続ける自分は「語る」音楽家に囲まれてきた。まさか、この年(63歳)で「語らない」を前面に出した音楽書に出くわすとは予想だにしなかった。板垣さんの快挙に、最大限の敬意を表します。
(アルテスパブリッシング)
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