• 池田卓夫 Takuo Ikeda

フランチェスコ・ミッシャ・小森邦彦

クラシックディスク・今月の3点(2019年6月)


「東京ストーリーズ」

フランチェスコ・トリスターノ(作曲&ピアノ、シンセサイザー、鍵盤打楽器、エレクトロニクス)、グディ(シンセサイザー)、ミシェル・ポルタル(バスクラリネット)、ユザーン(タブラ)、渋谷慶一郎(シンセサイザー、エレクトロニクス)、ヒロシ・ワタナベ(シンセサイザー、エレクトロニクス)

「初めて東京に来たのは2000年だった。僕はそのときまだ18歳…2009年まで戻らなかったけど、それ以降は40回以上東京に来ている…『東京ストーリーズ』は、僭越ながら僕が考える東京についての音楽…僕の記憶の中にある、特定の瞬間、ここ10年、この素晴らしい街でさまざまな想いとともに過ごした瞬間の数々なんだ」。クラシックからクラブミュージックまでボーダーレスのコンポーザー&ピアニスト、ルクセンブルク出身の「フラ君」はニューヨークのジュリアード音楽院1年生のときに初めて東京を訪れて以来の思いを新譜の解説書につづった。「これは日本の首都、東京への僕の『捧げもの(ode)』です」



居酒屋飲み歩きの友

「ホテル目黒」「中目黒第三橋」「カフェ新宿」「パクチー」「日下部さん」など全17曲のタイトルからして録音時点、2018年10月の東京の〝体臭〟が色濃く漂う。映画的な心象風景の展開は1人の異邦人が東京の記憶をたどる視点のドイツ人ヴィム・ヴェンダース監督の「東京画」(1985)よりも、そのインスピレーションの根源となった日本人、小津安二郎監督の「東京物語」(1953)に近い。不思議なジモッティ感覚はフラ君が来日のたび、自転車で東京の街を走り回り、日本食と日本文化、日本人をこよなく愛し、各地に友人を増やしてきたフィールドワークの賜物である。時に挿入される日本語の会話などの効果音、本人が「フィールドレコーディング〜サウンド・オブ・シティ」と呼ぶ東京カオスのスパイスもまた、ヴァーチャルからリアルへの記号変換を助長する。ブックレットはフラ君の友人でもある写真家Ryuya Amaoがアルバムに合わせ、撮りおろした写真集の体裁をとる。

https://ryuyaamao.com/diary/paris-day1/


この種の音楽はクラシック、現代音楽、ジャズ、ロック、クラブミュージック…のいずれにも属さず、販売は苦戦するらしい。だが「何でもあり」の〝ごった煮〟こそ東京カオス、等身大の姿だろう。フラ君の鋭い感性、優しい心の眼差しがカオスまでをも美しく溶かし、極めて高い水準の心象風景の芸術、誰の耳にも親しく響く音楽に結晶した。「thank yous」のリストの中に「claudio di lucca」と私がまだ会社員で、実名でSNSに投稿できなかったときの芸名?を発見。「なぜ?」とフラ君にメールしたら、「ありがとう揚げ出し豆腐、ラーメン、日本酒!」と、東京での私たちの飲み歩きのキーワードが返ってきた。

(ソニー)


ラフマニノフ「悲しみの三重奏曲(ピアノ三重奏曲)第1番・第2番」「ヴォカリーズ(ユリウス・コヌスによるピアノ三重奏編曲版)」

エルミタージュ・ピアノ・トリオ(ヴァイオリン=ミシャ・カイリン、チェロ=セルゲイ・アントノフ、ピアノ=イリヤ・カザンツェフ)

ヴァイオリニストのカイリンは1990年代後半、NAXOSレーベルに録音したヴュータンの「ヴァイオリン協奏曲全集」が世界的にヒットして一躍、知名度を高めた。ここ10年ほどは室内楽にも力を入れ、サンクトペテルブルク出身でアメリカ合衆国育ちと、自身と同じバックグラウンドを持つチェロのアントノフ、ピアノのカザンツェフとともに、故郷の世界的美術館の名を冠したピアノ三重奏団の活動を続けてきた。



NYCで20年ぶりの再会

私はヴュータンがヒットしていたころの1997年、カイリンにインタビューして記事を書いたことがあるが、2000年に最後のメールを交わして以来、コンタクトが途絶えていた。今年(2019年)4月27日、私が1週間のニューヨーク滞在を終えて帰国する前日、ミシャから突然メールがきた。「何年も演奏体験を慎重に積み重ねたのち、エルミタージュ・ピアノ・トリオとしてのデビュー盤を満を持し、世に問うことになった。ぜひ聴いてほしいので、どこに送ればよいのか、宛先を教えてほしい」。すぐ打ち返した。「明日の夕方までマンハッタンにいる。可能ならランチを一緒して手渡し、ついでに取材もする」。うまくマッチング、ウエストサイドのピッツェリアで20年ぶりの対面が実現してCDもゲットした。


「最高の録音スタッフ」とともに2017年9月3−7日、マサチューセッツ州ウースターのメカニクス・ホールで収録されたCD&SACDハイブリッド盤はラフマニノフの作品だけでまとめ、作曲家をめぐる歴史背景や人間関係まで図解入りで詳述した解説書を添え、万全の態勢でリリースに臨んだ。それぞれが世界的ソリストでありながら、とりあえず名手3人を集めた「にわかごしらえ」のトリオとは全く違う次元の一体感を達成していることにまず、驚く。ラフマニノフ特有の旋律をどこまでも深く、美しく歌い上げると同時に、作曲家を含めた4人それぞれがロシアに対して抱く望郷の念を共有、心の奥底に響く音楽を奏でている。

YouTubeには最近、プロモーション用の動画がアップされた。https://www.youtube.com/watch?v=twHKIsdttmI&feature=youtu.be

(レファレンス・レコーディングス)


「Masters, Masterworks」

小森邦彦(マリンバ)、花田和加子(ヴァイオリン)

デビュー盤「Marimbist」(フォンテック)以来、小森15年ぶりのソロアルバム。前作では私がライナーノートを書いたが、今回は本人が執筆した。そこには怪我がきっかけの故障で演奏活動を一時中断、リハビリテーションに取り組み、同じく打楽器奏者の女性と結婚、妻が探してきた装具をつけることで一線の演奏活動に復帰するまでの歩みも記されている。


「取り組む演奏には無鉄砲な態度を改めて、適度な距離を保ちながら耳にする音楽に客観的な思いを巡らせた」とある通り、静寂の中から清澄な響きが立ち上り、聴く者に優しく語りかけてくる感触は、デビュー当時の「鬼才」には乏しかったものかもしれない。アルバムタイトルは「大家、大作」の意味。確かに、ディスク1枚に対してドラックマン「水の反映」(1986)、セリー「マリンバのためのラプソディ《ナイト・ラプソディ》」(1979)、スタウト「セディメンタルストラクチャーズ」(1998)、花田のヴァイオリンを交えたクラッツォウ「ヴァイオリンとマリンバのためのソナタ」(2002)、ファー「タンガロア」(2001)と、収録曲は5作品と少ない。それぞれに、「大作」としての気合いがこもる。


小森が最初に私を訪ねてきたのは、もう20年以上も前だ。日本テレビ系の「おはよう!こどもショー」の子役としての振り出しから今日までを延々、「手書きの履歴書に書き連ねてきたアメリカ帰りのイケメン」という程度の第一印象だったが、最初のリサイタルを聴いて驚いた。それまで日本のマリンバ奏者に対して抱いてきた私なりの偏見、「脳天かちわり系ぶっ叩き」の痕跡をまるでとどめず、楽器が深く、優しく、美しい響きで旋律を歌い上げていた。次元を異にする名手に対するリスペクトは、当時も今も変わらない。細川俊夫に委嘱した「想起」などを聴けば、小森の演奏家としての立ち位置、持ち味、美点が明確になる。

得がたい奏者の復活を喜びたい。

(ナミ・レコード)





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