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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

映画「台湾、街かどの人形劇」を観て思う芸術と芸能、国家と文化の微妙な関係


2019年11月30日のユーロスペース(東京・渋谷)を皮切りに順次、全国で公開されている映画「台湾、街かどの人形劇」(2018年、後場音像記録工作有限公司制作・配給、楊力州監督、侯孝賢監修)を全くの予備知識、先入観なしに観る機会を授かった。1969年生まれの楊監督の映画が日本で劇場公開されるのは初めてだが、すでに台北、香港、大阪、バンクーバー、シアトルなどの国際映画祭でグランプリを受賞した注目の作品という触れ込みだ。


ここでの「人形劇」とは、文楽に似た操り人形の芝居ながら、高踏な芸術への洗練とは正反対の大衆娯楽の方向に発展、昔の日本で街場の子どもたちを魅了した移動紙芝居に近いノリの伝統芸能「台湾布袋戯」を指す。1970年代以前は国家やメディアの思惑に振り回されながら絶大な人気を保っていたが、日本と同じく多様なビジュアル・エンターテインメントやゲームなどの普及により、消滅の危機に頻している。撮影に10年を費やしたドキュメンタリー映画の主人公、陳錫煌は布袋戯の大家であり、「戯夢人生」(1993)など侯孝賢映画の名脇役としても知られた李天禄の長男である。母方の養子となり陳姓を名乗ったことをきっかけに父との間に溝が生まれ、父が創設した布袋戯の劇団「亦宛然掌中劇団」は弟が引き継いだ。2009年の弟の死後、陳は79歳で自身の劇団「陳錫煌伝統掌中劇団」を立ち上げ、アジア諸国や欧米からの弟子も受け入れながら、布袋戯の生き残りに尽力してきた。


映画は陳の孤軍奮闘の日々を丹念に描きながら、「偉大過ぎた父」との確執や、それだからこそ募る思慕の念などの心の中の闇にも丹念な光を当てる。いつも志を挫かれ、失敗の連続であっても黙々と、いまや自身と父を結ぶ唯一の絆となった戯の未来に希望を捨てず、淡々と生きる陳。その人間としての底知れない魅力に、弟子や仕事仲間の証言も交えて迫る。単なるドキュメンタリーを超え、親子の問題の普遍性に迫る視点でも高い評価と人気を得た。



楊力州監督

上映が始まって最初の30分間ほど、自分の背負っている文化・芸術の文脈と台湾布袋戯の世界とのインターフェイス(接点)を見出せずに正直、退屈して睡魔と闘い続けた。だが布袋戯と国家権力とのせめぎ合いが浮き彫りにされていく過程で俄然、目と頭がフル回転を始めた。日本の配給元である太秦株式会社が作成したインタビュー資料から、楊監督の言葉を2箇所、引用してみよう。


「布袋戯はもともと大衆の娯楽でしたが、日本統治時代には皇民化政策のイデオロギーを宣伝するために使われたり、国民党政権になってからも同様でした。当時台湾では識字率が高くなかったので、布袋戯を使ってプロパガンダが行われました。そうやって布袋戯は政府と大衆の間を行き来して、引き裂かれたり彷徨いながら来たわけです。ところが今は、すでに人気のあるメディアではなくなってきました。政策を宣伝する道具としての役割も期待できないということで、捨てられる状況にありました。私は、布袋戯は生活の中の娯楽であるべきだと思いますが、それももう無理になりました。娯楽はテレビやゲーム、新しいメディアがあふれているので、布袋戯が娯楽の中で存在感を示すようなものではありません。となると、芸術という定義づけで生き残っていくしかない。それは妥当だとは思いますが、私も陳さんもそこに甘んじたくないと思っています。芸術としてホルマリン漬けになることは、布袋戯の本来の意味とはかけ離れている。だから、今ももう一度学校の巡回公演などで子どもたちの生活の中に位置づけできないかと模索しているのです」


「もともとは台湾語(閩南語)ですが、国民党政権下では閩南語を禁止して北京語を強要されました。そして言語だけでなくストーリーや『中国強』という国民党の帽子を被ったキャラクターを登場させるというように介入してきました。ある文化を消滅させようと思ったら、まだ言語を規制すればいい。布袋戯はまさにそれで、閩南語を取り上げられて窒息していきます。私は50歳ですが、閩南語がうまくありません。子どもたちは全くわかりません。そうやって閩南語が培ってきた文化がなくなっていく。日本統治下でも、日本語を強要することで同じことが起こっていました」


台湾国内ではテレビアニメと布袋戯を融合させた霹靂(ピーリー)に活路を見出したチームもあり、テレビ人形劇の1つ「東離剣遊紀(サンダーバード・ファンタジー)」は日本で、宝塚歌劇団の演目にも採用された。陳自身もフランス人の弟子を受け入れ、彼女が自国の人々に楽しんでもらえるよう、布袋戯のアレンジをすることを奨励している。「陳さんは、変化させないと生き残れないということもわかっています。ただ、伝統的な技術をきちんと学んで刷新していってほしいというのが彼の考えだと思います」と、楊監督は指摘する。


国や文化の違い、芸術と芸能の垣根を超えて国家と大衆、エンターテインメントの息を飲むせめぎ合いの歴史が大きく眼前に迫ってくる瞬間、この映画の味わい深さへの納得がいく。もっと単純な部分では、「型破り」「型崩し」といった芸術上の破壊&創造行為に、元々の「型」の厳格な習得なくしてはあり得ないとの鉄則ーーそれは私の主な取材分野である音楽の世界にも通用するーーを痛感させる映画として、明快なメッセージも放っている。




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