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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

「オペレッタを信じ難い時代」再確認、二期会「メリー・ウィドウ」の悪戦苦闘

更新日:2020年12月6日


長い「メリー・ウィドウ」鑑賞遍歴の果てに…

高校2年生だった1975年、指揮者志望の同級生(結局、銀行員になった)が「とにかく、これを聴け!」と貸してくれたヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、エリザベス・ハーウッド(ハンナ=英国人ながらパリやベルリンで人気があった。カラヤンの指揮ではムゼッタも歌っている)やルネ・コロ(ダニロ)らによるレハールのオペレッタ「メリー・ウィドウ」の全曲LP盤(1972年録音)で、私はオペレッタへの恋におちた。当時のドイツ語圏では音楽をE(Ernst)=真剣、U(Unterhaltung)=娯楽に峻別、現ユニバーサル系ではオペラはドイッチェ・グラモフォン(DG)、オペレッタはポリドールとレーベルを使い分けていたが、「帝王」の強い希望でDGで初めてリリースされたオペレッタ録音だった。普通は軽めのソプラノが歌うヴァランシェンヌもフランコ・ゼッフィレッリ監督のオペラ映画「ラ・トラヴィアータ」でヴィオレッタを歌ったテレサ・ストラータス、台詞の監修には大演出家のアウグスト・エーファーディンクを起用する豪華版。カラヤンはキャリアの振り出しとなったアーヘンやミュンヘンの歌劇場で当時の当たり演目、「メリー・ウィドウ」を来る日も来る日も指揮して以来、作品に強い愛着を抱いていた。


何しろ世界初演の1905年(明治38年)から作曲者が亡くなる1948年(昭和23年)までの間に、30万回も上演された驚異的ヒット作なのだ。本来ならドイツ語の「ディー・ルスティゲ・ヴィトヴェ」あるいは、日本なら浅草オペラの大正時代に一時存在した邦題の「華やもめ」で上演されて良さそうなものが、英語名で普及したこと自体、拡大の勢いを物語る。


オーストリア出身のアドルフ・ヒトラーがナチス党を率いてドイツの政権を掌握し、オーストリアも併合した1930年代、作曲家レハールも指揮者カラヤンも大きな時代の波に飲まれていく。ハンガリーの軍楽隊長の家系だったレハールは妻がユダヤ人だったにもかかわらず、ヒトラーが「メリー・ウィドウ」の大ファンでウィーン国立歌劇場における「ジュディッタ」の1934世界初演を後押しした(当日はウィーン国立歌劇場にハーケンクロイツ旗が掲げられた)うえ、自身も「メリー・ウィドウ」の序曲を後から作曲してスコアをヒトラーに献呈したため第二次世界大戦後はバート・イシュルに幽閉される憂き目にも遭った。この苦境から救い出し、1948年に亡くなるまでの自作自演活動を可能にしたのはドイツ在住の日本人ソプラノで女優の田中路子だった。一方、カラヤンはキャリア形成のためにナチスの党籍を取得したが、目立った活動歴がなかったので、戦後すぐに活動を再開できたという。


なぜ二期会の新演出上演に触れる前に昔話を延々と書いたかといえば、ほんの数時間前に目にした舞台の座標軸がどこにあるのか、まるで理解できずに困惑しているからだ。古典を解釈して現代に再現するには、作品が成立した当時の時代精神と社会状況にもある程度、注意を払う必要があるだろう。1905年は日露戦争から日本海海戦にかけての年、ロシアでは後のレーニン革命へと連なる「戦艦ポチョムキン」での船員蜂起が起きた。レハールが生まれたハンガリー、「メリー・ウィドウ」を世界初演したウィーンはともに、14世紀以降のヨーロッパに君臨したハプスブルク家の最後の砦「オーストリア=ハンガリー二重帝国」の域内にあり、崩壊への予感と新しい世紀への期待感が交錯する不思議なハイテンションに支配されていた。オペレッタのロケーションはパリだが、物語の舞台となる大使館を置いている国はポンテヴェドロ。架空の国だが、響きは「モンテネグロ」そのもの、バルカン半島旧ユーゴスラヴィアの一角だと察しがつく。その一角、サラエボでハプスブルクの皇位継承者夫妻がボスニア系セルビア人に暗殺されたことが、第一次世界大戦の発端となったのである。


「一寸先は闇」の時代に放たれた奇跡の音楽こそ「メリー・ウィドウ」の本質だった。21世紀5分の1を経過した時点における上演であっても、「崩壊一歩寸前の毒」と「明らかに開かれようとしている時代の新しいページへの期待感&ユーフォリア(躁状態)」の両面を音楽、視覚の両面ではっきりと伝える使命を負っているはずだ。もう一つ、忘れてはいけないのは作品に潜むモダニズムの萌芽で、あのテキパキとしたリズムの横溢はスッぺやツェラーら「金の時代」とは異なる「銀の時代」のオペレッタ作曲家に特有の現象といえる。


2020年11月25日@日生劇場。日本国内のオペラ本番指揮デビュー(以前は二期会などで副指揮)となる沖澤のどかは小編成の東京交響楽団を豪快に鳴らし、基本的能力の卓越を再確認させた半面、「歌の指揮」のノウハウは明らかに発展途上で、とりわけ声量が貧弱な歌手には酷だったかもしれない。「女、女、女」のマーチの入りなどで顕著に感じたのはセリフから歌、歌からセリフの切り替えをシームレス(継ぎ目なし)につなぐオペレッタ職人芸の不足。随所にブルックナーの交響曲みたいなルフトパウゼ(間)が出来てしまう点には、今後の改善が望まれる。日本語(野上彰の古典的なものに今回演出の眞鍋卓嗣が手を入れ、「ワルツ」の部分だけ人口に膾炙した堀内敬三訳を採用した折衷版)を可能な限り明瞭に伝えたいと願ったのか、あの耽美的なカラヤン盤に比べてもテンポが遅く、シャンパンの泡が弾ける感じのオペレッタの陶酔には程遠い。リズムの感触が甘美なウィーン風ではなく、パウル・リンケらベルリン系オペレッタの歯切れ良さに傾いていたことを、沖澤がハンス・アイスラー音楽大学を卒業し、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で首席指揮者キリル・ペトレンコのアシスタントを務めているバックグラウンドと結び付けるのは、早計かもしれないが。ただ音楽的に優れていなかったわけではなく、後半の第3&4幕で2組の男女それぞれの愛の二重唱での美しくロマンティックな音の運びには、男の指揮者にはない繊細かつ夢見るような感触があって、逸材の認識を新たにした。


舞台のビジュアルに関しては、残念ながら既視感を拭えなかった。白が基調で二層構造の大使館の内装、ガラス窓越しにグリーンが見える設営を見た瞬間、私は2013年ザルツブルク音楽祭のスヴェン・エリック・ぺヒトルフ演出の「コジ・ファン・トゥッテ」(モーツァルト)を思い出した。演出の眞鍋卓嗣は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大で世界中のパフォーミングアーツが危機に瀕している今、もっと大胆に台詞をいじり、作品が成立した時代の先行き不安と根拠のないユーフォリアを現代のジョーク、あるいは警句として、本質に切り込むべきだった。最終幕の大詰め、ダニロが遂にハンナに「愛しているよ!」と告げる寸前、ヴァランシェンヌへの思いに見切りをつけたカミーユが別のグリゼット(ここではマキシムの踊り子さん)の1人に乗り換えて「可愛いね」と囁く程度のクスグリ根性、余計なサービス精神には呆れるを通り越して怒り心頭、もし買い物帰りに立ち寄った上演でエコバックの中に食材があればロスも厭わず、生卵かトマトをカーテンコールに現れた演出家に向かい、投げつけていたと思う。とにかく、余計な動作が多い。


オペレッタの魅力は「一筆書き」のスピード感に載せ、かなり強烈な社会風刺をアドリブでかますスリルとリスクにもあるのだから、正面対決を避け、小市民的なジョークだけで笑いをとろうとした演出家の責任は重い。この上演における明らかな「A級戦犯」といえる。制作スケジュールを精査すれば、実質Aキャストのゲネプロに位置する公演を「プレヴュー」と名付け、評論家やジャーナリストを集めた二期会の真意も解せない。指揮が時に慎重だったのは、まだ多くの不安材料に満ちていた舞台裏の反映とも思える。


キャストで圧倒的に光っていたのは、ダニロの与那城敬(バリトン)。新国立劇場オペラ研修所第5期修了生(超のつく当たり年で同期に中村恵理、藤木大地、桝貴志、北川辰彦)だ。以前はあまりのウェルバランスで強い個性の放射に不足したが、先日のブリテン「カーリュー・リヴァー」(よこすか芸術劇場)の船人役といい今回のダニロといい、素晴らしいの一語に尽きる。もともと長身のイケメン、桐朋学園で最初はピアノを学んでいたバックグラウンド、とにかく研究熱心な姿勢のすべてが40代に入って噛み合い、バリトン歌手としての円熟期を迎えている。相方ハンナの嘉目真木子(ソプラノ)は何しろ美人で人柄も素敵だから採点が甘くなりそうなところ、やはり声質の曇り、日本語の不明瞭は指摘しておこうと心を鬼にする。それでも持ち前の演技力と懸命の歌唱で与那城と対等に迫り、ダニロから「愛している」の言葉を引き出す寸前、上述したカミーユの余計なせりふに行く手を阻まれたのは災難だった。


カミーユの高田正人(テノール)は高音がきつく、上演ごとに世界様々なヴァリエーションがあるなかでの最短コース。ヴァランシェンヌの箕浦綾乃は容姿端麗でグリゼットのダンスも上手だが、声量が致命的に足りない。前回二期会公演の深作健太演出「フィデリオ」(ベートーヴェン)のマルツェリーネと同じく、声楽家が会費を出して運営している団体なのだから、容姿と身体運動能力だけで声が聴こえない歌手をオーディションに合格させるのはもう、やめていただきたい。公演プログラムの50頁に掲載された過去の上演史によれば、二期会が初めて「メリー・ウィドウ」を上演したのは1970年、今年が50周年の節目に当たる。歴代ヴァランシェンヌには林靖子、秋山恵美子、斎藤昌子、佐藤今有子、足立さつき、名古屋木実、小林真由美、赤星啓子、菊地美奈、酒井田真実子…が並んでいる。グリゼットに関しては、後にワーグナー歌いとして一家をなす牧山静江、渡辺美佐子、池田香織らの名前も見られるので、なんともいえないが。


まだ子どもで実際のオペラ&オペレッタ公演に行けなかった小学生〜中学生のころ、テレビで視た二期会の「メリー・ウィドウ」はダニロが立川清登、ハンナが島田祐子だった(公演記録によると、このコンビは1970、1977、1984年の3度あり、1972年だけハンナが伊藤京子に替わっている)。1970年と1972年に東京フィルハーモニー交響楽団をピットで指揮したのはペーター・シュヴァルツ。ウィーン出身のチェロ奏者でバンベルク交響楽団に在籍中、当時の音楽監督ヨーゼフ・カイルベルトから指揮者陣の一角に招かれた岩城宏之と知り合い、指揮者に転身する希望を漏らしたところ、札幌交響楽団の常任指揮者に推薦された。晩年はウィーン音楽大学指揮科教授を務め、1990年代に1度、札響の東京公演を指揮した。


1970年代の二期会オペレッタは歌詞こそ日本語だが、ウィーンを念頭に置きつつ、大人の社交界のラヴ・アフェアー(情事)の濃厚な情感を、公序良俗の矩(のり)を超えない範囲で描き尽くした。世の中全体「おこちゃま」化した今、立川や島田、伊藤らが体現した爛熟世界の再現はもはや不可能としか思えないが、少なくとも、全身駆使のスラップスティック(どたばたギャグ)の中に人生の悲哀を漂わせ「おもろうて、やがて哀しき」を表現するだけの物理的歌唱力、ダンスをはじめとする身体表現(アルテシェニカ)は過去数十年、飛躍的に進歩している。先人たちにはなかった道を採用するにせよ「この場面には、この設定」という古典芸能(芸術とは、あえて言わない)の定石をどこかで踏まえないことには、前にも進めないのではなかろうか。


「メリー・ウィドウ」が誕生した後の世界は2度の大戦に見舞われ、原子爆弾まで生んだ。テロやホロコーストも目の当たりにして、「善良な人間存在」そのものが揺らいでしまった後、オペレッタで素直な笑いをとるためのハードルは極端に高くなった。演出家はフロイト的心理分析や説明的セリフを追加しなければ「通じない」との強迫観念にかられ、必要以上に重たい舞台をつくってしまいがちだ。今回の二期会プロダクションもまた、「オペレッタ困難の時代」のワナにはまってしまった気がする。



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