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高関健&静岡富士山響、児玉隼人、N響

執筆者の写真: 池田卓夫 Takuo Ikeda池田卓夫 Takuo Ikeda

更新日:3月12日

クラシックディスク・今月の3点(2025年2月)



どれも、びっくりするほどの高水準
どれも、びっくりするほどの高水準

ベートーヴェン「交響曲第7番」「交響曲第6番《田園》」

高関健指揮富士山静岡交響楽団


富士山静岡交響楽団は1988年に静岡室内管弦楽団カペレ・シズオカとして発足した静岡交響楽団、1998年に最初の演奏会を行った浜松フィルハーモニー管弦楽団が2020年11月に合併、2021年4月から現在の名称となって2022年に公益財団法人化、2024年6月には日本オーケストラ連盟の正会員に昇格した。高関健は2018年4月から、この静岡県内唯一のプロ・オーケストラのミュージック・アドヴァイザーを務め2021年、首席指揮者に就いた。


2024年9月15日、静岡市清水文化会館マリナート大ホールで開かれた第127回定期演奏会はベートーヴェン2曲の直球プログラム。ワーグナーが躍動感を「舞踏の神化」と讃えた第7番、全9曲中で最も繊細で美しい音の感覚を求められる第6番《田園》の組み合わせはありそうでなく、第7は第4、第6は第5(運命)と組み合わされることが多い。どのような作品に対しても複数のテキスト(楽譜)を検証、現時点で最も妥当な演奏スタイルを究める一方、全国の楽団のシェフ・ポストを歴任し、日本のオーケストラの鳴らし方を心得ている高関健の指揮は近年、急速に円熟の色合いを深めてきた。


静岡富士山響とのライヴ録音も非常に立派な演奏で、強い説得力がある。指揮者と楽団の名を伏せて聴かせ(いわゆるブラインドテスト、ですね)、彼らの名前を言い当てられる人がいたら驚異、どこか外国の録音と思われても不思議はないほどのクオリティを備えている。

(フォンテック)


「Reverberate」

児玉隼人(トランペット)、新居由佳梨(ピアノ)

G.F.ヘンデル:調子の良い鍛冶屋

H.L.クラーク:霧の乙女

C.ヘーネ:スラヴ幻想曲

E.ボザ:ルスティーク

O.ベーメ:トランペット協奏曲 ヘ短調 作品18

A.グラズノフ:アルバムブラット

トマジ:トランペット協奏曲

石川亮太:トランペットラブレター


2009年生まれの天才トランペット奏者のデビュー盤。児玉隼人の「できるまで」は、下記の拙稿をお読みください;


軽井沢大賀ホールでのセッション録音を聴けば、いかに優れた音楽性、並外れて美しい音色の持ち主であるかが一聴瞭然だ。

(e-Plus)


マーラー「交響曲第10番嬰ヘ長調」(カスレッティ編曲の室内オーケストラ版)

N響チェンバーソロイスツ


2021年11月30日、東京・富ヶ谷のHakujuホールでのライヴ録音。当日の演奏会について、私がこのHPに載せたレビューを再掲する:


「N響チェンバー・ソロイスツ」の第2回公演「日本初演!マーラー《交響曲第10番》室内オーケストラ版は強烈な熱気と艶に支配された凄絶な音楽だった。マーラーが生前、第1楽章アダージョだけを仕上げて亡くなった「第10番」のフルオーケストラ〝完成版〟は1960年のデリック・クック以降、何人かの音楽学者や作曲家、指揮者が試みてきた。室内オーケストラ版は2012年、マルタ島出身の作曲家で指揮者のミケーレ・カステレッティ(1974ー)が発表したのが第1号。ウィーンのウニヴェルザール出版社の全面的な協力の下、クック(第3稿)やバルシャイ、カーペンター、マゼッティ、フィーラーなどのフルオーケストラ版を細部まで検証、さらにマーラ―の様々なファクシミリ(手稿のコピー)や楽譜からオーケストレーションを徹底的に分析、シェーンベルクがウィーンで旗揚げした「私的演奏協会」(1918ー1921)とその同時代の演奏様式を下敷きにしつつ、室内アンサンブル版を完成したという。


カステレッティ自身が監修したジュールズ・ゲイル指揮アンサンブル・ミニのディスク(2016年録音=Ars Produktion)は原則1パート1人の16人編成だが、N響チェンバー・ソロイスツは冒頭画像に収めた通りの19人。ゲイル盤では2人いた打楽器は逆に竹島悟史1人だけ。口にトライアングルのバチをくわえたまま拍を数え、ティンバニ、鉄琴、ドラ、タンバリンなどを次々に叩く。さすがに掛け持ち不可能な1箇所だけはホルンの福川伸陽が駆け寄り、代わりにドラを打った。指揮者なしの大胆な再演だが、ウィーンに長く住む白井圭が楽曲の構造だけでなくマーラーが生まれ育った文化圏の背景、民族音楽のルーツ、活躍した街々で当時聴かれていた音楽などの雰囲気をしっかりと見据え、巧みなリードで引っ張った。大編成では埋もれがちな様々な音のアヤ、知性のスパイスが鮮やかに浮かび上がり、フルオーケストラ版よりも退屈しなかったのは意外。白井が移植したウィーン風の柔らかな音色を保ちつつ、一糸乱れずに85分の濃密なドラマを描き尽くすN響の中堅〜若手世代の快挙といえる。


ディスクを改めて聴き、あの晩の壮絶な聴覚体験がよみがえった。

(Altus=販売はキング・インターナショナル)

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