クラシックディスク・今月の3点(2019年2月)
J・S・バッハ「ゴルトベルク変奏曲」
岡田博美(ピアノ)
占星術に凝る人がいる。では生年月日すべてが同じ人間どうし、共通点は本当に存在するのか? ピアニストの岡田博美は私と全く同じ、1958年9月24日の生まれである。だが岡田さんは痩せていてピアノが弾けて無口、私はブヨブヨしていて何も弾けないお喋りと、何から何まで正反対。何年か前に草津の音楽祭で晩ご飯をご一緒したとき、日本酒をすごく好きなことがわかり、ようやく1つだけ、共通点がみつかった。とにかく生年月日を同じくするピアニストが最高の音楽性、腕前の持ち主で良かったと思い、ずうっと聴き続けてきた。
岡田が50歳を目前にした2008年2月29日(うるう年だ!)、東京・小石川のトッパンホールで弾いたJ・S・バッハの大作「ゴルトベルク変奏曲」のライヴ録音が11年の眠りから覚め、ついにCD化されたと知り、早速聴いてみた。すべての繰り返しを実行しているため、ディスク2枚に分かれ、トータルの演奏時間は約85分に及ぶ。あまりに充実した内容なので時が経つのを忘れ、「長い」とは決して思わない。チェンバロかピアノか、モダンピッチか半音低い古楽ピッチか、そうした議論の一切が皮相的と思えるほどに、有無を言わさない説得力はどこから来るのか? おそらく岡田は鍵盤楽器全般が担う表現宇宙に全幅の信頼を寄せ、10本の指を駆使してバッハの音符と戯れ、すべてを言い尽くそうとしたのではないか。最高レベルの職人芸という一点で、岡田は鍵盤の名手バッハと完全に一体化している。
これほど潔い、透徹の「ゴルトベルク」の記録が日の目を見て、本当に良かった。同年同月同日生まれの誇りである。(カメラータ・トウキョウ)
ショスタコーヴィチ「交響曲第6番」「劇付随音楽《リア王》からの組曲」「祝典序曲」「交響曲第7番《レニングラード》」
アンドリス・ネルソンズ指揮ボストン交響楽団
ボストン響とショスタコーヴィチ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とブルックナー、2つの「マイ・オーケストラ」とそれぞれの交響曲全集プロジェクトを進めているタフガイ、ネルソンズ。ショスタコーヴィチの第4作は第6&7番を軸にした2枚組だ。
ネルソンズは作曲家の死の3年後、1978年に生まれている。旧ソ連が崩壊し、祖国ラトヴィアが独立を回復したときはまだ、13歳だった。師の同国人マリス・ヤンソンスが「ショスタコーヴィチと直接面識があった最後の世代として、旧ソ連時代の社会状況を旧西側のオーケストラにも伝えていく使命を自認している」と私にも語り、緊迫感に満ちた解釈を披露するのに対し、ネルソンズは輝かしく洗練された音響を備えたアメリカの楽団とともに、ショスタコーヴィチの管弦楽法の妙を余すところなく伝える。
「レニングラード」の中間2楽章の艶やかな弦の音色に触れた瞬間、対ナチスのレニングラード攻防戦にまつわる作曲エピソードの記憶が遠のき、「ハ長調」という主調の肯定的な側面を強烈に意識させられた。歴史の呪縛からの解放には賛否両論あるだろうが、これほどまでに「レニングラード」を美しく磨き上げる手腕は大したものだ。ボストン響は相変わらず巧い。「祝典序曲」の最新録音が現れたのも、朗報だ。(ドイツ・グラモフォン=ユニバーサル)
R・シュトラウス&フランク「ヴァイオリンとピアノためのソナタ」
瀬崎明日香(ヴァイオリン)、エマニュエル・シュトロッセ(ピアノ)
瀬崎は今年(2019年)2月2日、ピアノの多紗於里とともに銀座のヤマハホールで、シューマンの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」全3曲を一気に弾き、切り込み鋭く、燃焼度の高い芸風を強く印象付けた。フランス留学組で「ドイツ語はわからない」ということでドイツ育ちの多を招き、フレージングやリズム、アーティキュレーションに万全を期した。
2018年4月25〜27日、フルート奏者で同じくパリ留学組の瀬尾和紀をプロデューサー&ディレクターに迎え、三重県総合文化センターで録音した新譜もドイツのR・シュトラウス、ベルギーのフランクと、純フランスではない文化圏の音楽を並べている。ピアノのシュトロッセもパリ音楽院教授ながら、出身はフランス領になったりドイツ領になったりした国境の街ストラスブール出身で、苗字の綴りもドイツ風だから、この2曲の組み合わせには適した背景を持つ奏者といえそうだ。
瀬崎は期待通り、激しい気迫で作品の核心に迫っていく。シュトラウスの若書きの鮮度、円熟期のフランクがイザイの結婚祝いに贈った傑作の充実を適確に描き分け、実演とは異なるセッション録音ならではの落ち着きも感じさせる。シュトロッセのピアノは出過ぎず、引っ込み過ぎず、室内楽の名手としての高い評価を裏付ける。聴き慣れた名曲の味わいを心ゆくまで堪能できる、中身がたくさん詰まった録音だ。(ナクソス・ジャパン)
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