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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

タカヒロ・ホシノ&安武亮→大西順子→青柳晋→三宅麻美 邦人ピアニスト完走


2019年最後の年も12月13日の佐々木崇(既報)の後、さらに4組5人の日本人ピアニストを聴いた。場とテーマの設定にそれぞれ、こだわりの強いパフォーマンスを心底楽しんだ。


1)タカヒロ・ホシノ&安武亮「クリスマス・スペシャルコンサート」

(2019年12月18日、東部フレンドホール=東京都江戸川区。使用ピアノ=ニューヨーク・スタインウェイ&ハンブルク・スタインウェイ)

本編=モーツァルト「2台のピアノのためのソナタK.448」、ショパン「即興曲第1番」(安武ソロ)、チャイコフスキー「くるみ割り人形」組曲より(行進曲/金平糖の精の踊り/ロシアの踊り/葦笛の踊り/花のワルツ)、アルチュニアン&ババジャニアン「2台のピアノのためのアルメニア狂詩曲」、リスト「《愛の夢》第3番」(ホシノ・ソロ)、ベートヴェン(リスト編曲)「交響曲第9番」第4楽章

アンコール=J・シュトラウス「ピツィカート・ポルカ」


リスト音楽院仕込みのヴィルトゥオーゾ(名手)、ホシノ(干野宜大)がヴラディミール・ホロヴィッツが愛奏したニューヨーク・スタインウェイ「CD75」で録音した最新盤「STORY タカヒロ・ホシノ ベスト・セレクション」(ライナーノートを書かせていただいた)の発売日に後輩の安武を招き、歳末にふさわしい曲目を並べた2台ピアノ・コンサート。江戸川区立の会場は都営地下鉄新宿線瑞江駅近くにあり、348席とピアノを聴くのにも適した規模。駐車場が1時間あたり200円というのも良心的だ。ピアニストはホール備え付けのハンブルク(第2)、タカギクラヴィア持ち込みのニューヨーク(第1)と2台のスタインウェイを交互に弾いた。


2人とも音の立ち上がりがクリアで美しい色彩に富み、親密な1台4手連弾とは異なる2台ピアノならではのシンフォニックな響きを存分に広げ、ゴージャスなクリスマス前夜祭を演出した。モーツァルトは「のだめカンタービレ」を通じて人気の出た作品というが、千秋真一と野田恵(のだめ)の男女とは違い、腕利きの男性2人のデュオは切れ味鋭くエネルギッシュ、硬質の輝きに富む演奏で、辛口の純米吟醸酒の趣き。「第九」の2台ピアノ版に至るまで一貫して精力的で、華やかなコンサートに仕上げた。


2)大西順子トリオ「クリスマス・ジャズ・ライヴ」

(2019年12月19日、静岡音楽館AOI。使用ピアノ=ハンブルク・スタインウェイ)

本編&アンコール=大西の自作とがレスビー、ミンガスらの定番アレンジ、「ジングル・ベル」などクリスマスソングに基づく即興など。

共演=井上陽介(ベース)、高橋信之介(ドラムス)


大西は1967年京都生まれ。2010年代初頭に一度は引退を決意するが、作家の村上春樹と指揮者の小澤征爾らに口説き落とされ、2013年のサイトウ・キネン・フェスティバル松本(現セイジ・オザワ松本フェスティバル)で小澤指揮サイトウ・キネン・オーケストラとガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」を共演して鮮烈にカムバック。以後、さらにパワフルな演奏活動を続ける日本ジャズ界の第一人者である。復帰までの道のりを詳述した村上の雑誌寄稿については当時、「日経電子版」に記事を書いたので、よく覚えている;

大ベストセラー作家と自分のつたない文章を比べる気などさらさらないが、大西の音楽の本質を突いた次の1文には、とことん「やられた!」と思った;

「表層的なリズムの内側に、もう一つのリズム感覚が入れ子のように埋め込まれていることだ。その複合性、あるいはコンビネーションが、聴くものの身体にずぶずぶと食い込んでくる。僕は大西さんの演奏を聴いていて、いつもそのずぶずぶ感を肌身に感じることになる。僕の身体が、日常的には感じることのできない特別なリズムを貪欲に吸い込んでいることに気づく。そしてそれは、もう、他のジャズ・ピアニストからはまず得ることのできない、生き生きとして不思議な感覚なのだ」


ベースの井上(1964ー)とは別の仕事でリハーサルから本番、打ち上げまでご一緒したことがあり、飄々としながらも深く突き刺さる音楽性と軽妙なトークの健在を今回も確認。ドラムスの高橋(1978ー)をはっきり意識して聴いたのは初めてだったが、年長者2人の奔放の引き締め役を自認しつつ、要所要所で鋭い個性を弾けさせる呼吸は見事。最近は3人でのレコーディング、コンサートツアーが圧倒的に多いのも理解できる緊密なアンサンブルだった。村上のいう「ずぶずぶ感」を存分に味わいながら、命の洗濯ができた。


ジャズのライヴの場合、小さな小屋か、逆にガラ・コンサート的な大ホールかの両極端で、座席数618の静岡音楽館くらいの規模での公演は滅多にない。パイプオルガンを備え、残響も長い空間を踏まえ、PA(音響補助)はベースが埋もれない程度の最小限にコントロール、アコースティックな響きを徹底的に生かした贅沢なコンサートだった。たまたま同館芸術監督の作曲家でピアニスト、野平一郎と並びの席。野平も「このホールで聴くジャズって、いいな」と上機嫌だったから、続編を期待できるかもしれない。高齢者中心の客席の「ノリ」がイマイチだったのは仕方ないが、大西は意に介さず、ひたすら楽しそうだった。


3)青柳晋ピアノ・リサイタル「自主企画シリーズ リストのいる部屋Vol.14」

(2019年12月20日、Hakujuホール。使用ピアノ=ハンブルク・スタインウェイ)

本編=リスト「巡礼の年第1年《スイス》全曲(9曲)」、ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第32番」

アンコール=なし


父の仕事の関係で中南米ニカラグアに生まれ、米国で5歳からピアノを始め、日本とドイツに学んだ国際派ピアニストの青柳も今年(2019年)10月、50歳を迎えた。東京藝術大学教授をはじめとする多忙な教職&審査の日程を縫って演奏活動も旺盛に続け、毎年12月の自主企画「リストの部屋」も14回目。昨年はベートーヴェンに初めて挑み、前半に「ソナタ第31番」、後半にリストの「巡礼の年第2年《イタリア》全曲」という順序だったが、今年は逆転させた。「ベートーヴェンが長い年月かけてたどり着いた終着点の後、また何かを弾く気がしない」との理由で、アンコールも「なし」とした。


演奏の基本は1年前のVol.13と、大きく変わるものではない;


特にリストでは集中した最弱音で顕著だった音色の美しさが、ワイルドな最強音まで堅持され、第一級のヴィルトゥオーゾの腕前を保つどころか、迫力と気品を増しつつある実態をつぶさに感知できた。だが「変化率の大きさ」では断然、ベートーヴェンが光っていた。昨年の第31番に対しては「本来もっとカラフルな音色を備えたピアニストがあえて白黒水墨画の手法を選び、透明感と奥行き、響きの幽玄を際立たせながら、楽器の進歩と一体になって鍵盤音楽の表現領域を拡げてきた作曲家が最後に到達した境地をリアルに再現していく」と書いたが、今年の第32番では「白黒水墨画」風の表層の背後に無限の色彩が広がり、ベートーヴェンが最後に到達した融通無碍の境地、あえて言えばジャズに近い自由自在の音の動きを存分に描いてみせた。最初から最後まで、緊張の糸が一瞬も途切れなかったにもかかわらず息苦しさは皆無で、あたかも大草原の真ん中に立ち、爽やかな風に当たっているかの感触を絶えず感じた。今後は「ベートーヴェン弾き」としても、一家をなす予感がする。


4)三宅麻美ベートーヴェン・リサイタル「生誕250年プレイベント」

(2019年12月27日、ヤマハ銀座コンサートサロン。使用ピアノ=ヤマハ)

本編=ベートーヴェン「ドレスラーの行進曲の主題による9つの変奏曲ハ短調WoO.63」

「創作主題による6つの変奏曲ヘ長調作品34」「ディアベッリのワルツの主題による33の変奏曲ハ長調作品120」

アンコール=シューベルト「ディアベッリのワルツによる変奏曲(第38変奏)ハ短調D.718」


「僕のベルリン留学時代の友だち、ミヤケマミ(…と、なぜか片仮名)が今度ショスタコーヴィチの連続演奏会するから、取材してよ!」。青柳晋から突然の依頼により、三宅との初対面が実現したのは2006年。もう13年も前の出来事だ。当時のライヴ、「24の前奏曲とフーガ」のCDなどのショスタコーヴィチ演奏を通じ、三宅が高度の技術(メカニック)と魅力的な音色を備えながら、それを効果(エフェクト)に使う場面を戒め、作曲家の内面を探索するためのツールとして使い尽くす潔さに感銘を受けた。「ちゃらちゃらした人気には無縁だろうけど、一歩ずつ確実に内容を深め、支持者を増やしていくだろうな」と確信した。2010ー2013年のベートーヴェン「ピアノ・ソナタ全曲(32曲)」演奏会には、いつもあれこれ重なってうかがえず、よい評判を聴くたびに残念で申し訳ない思いをしたが、今年も押し詰まり、2020年のベートーヴェン・イヤー目前のところで「ディアベッリ」が聴けるというので、早くから予定に入れていたリサイタルである。


三宅は「楽曲解説を載せない代わり」と前置きのうえ、それぞれの作品の背景や魅力を演奏の前に語る。「WoO」(作品番号なしの作品)表記を伴う初期作品の「ドレスラー…」についても、「ベートーヴェンにとって《運命の調性》となったハ短調で書かれた」の説明が伴えば、より興味深く聴ける。前半2曲はどちらかと言えばあっさり、啓蒙的視点からの作品紹介に徹していたが、「ディアベッリ」では勇猛果敢な演奏家魂が全開した。とりわけワルツ(4分の3)以外の拍子を採用した変奏の数々に目を向け、作曲家の反骨精神や挑発、実験志向を丁寧に解きほぐしつつ、着地まで飽きさせずに聴かせた。「ソナタ全曲を終えたら《ディアベッリ》と思っていました」という三宅の夢は、かなり高い次元でかなった。



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