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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

オール日本人の適材適所でアンサンブル抜群、新国立劇場「魔笛」4年ぶり再演


オレグ・カエターニは新国立劇場初登場

南アフリカ出身のヴィジュアル・アーティスト、ウィリアム・ケントリッジ演出「魔笛」(モーツァルト)の4年ぶり2度目の上演を2022年4月18日、新国立劇場で観た。

初演時の当サイトでのレビューは次の通り:


ちょうど中間時点の2020年には「高校生のためのオペラ鑑賞教室」京都公演で同じ演出のオール日本人キャストが実現、今回もそれを踏まえたものだ。ザラストロ、タミーノ、パパゲーノの3役が前回は外国人ゲストだった。


指揮は1956年ローザンヌ生まれのオレグ・カエターニ。読売日本交響楽団や東京都交響楽団の定期演奏会の客演ではお馴染みだが、新国立劇場へは初登場という。Wikipediaには「父はイーゴリ・マルケヴィチ、母はドンナ・トパツィア・カエターニで、スイス出身ながらウクライナ人イタリア人の混血」と記されている。私が旧西独時代のフランクフルト・アム・マインで働いていた1980年代末、カエターニはオペラ・フランクフルト(市立劇場オペラ)でガリー・ベルティーニGMD(音楽総監督)に次ぐ第1カペルマイスター(楽長)の職責にあった。モーツァルトでは白井光子が珍しくデスピーナ役で出演した「コジ・ファン・トゥッテ」(グレアム・ヴィック演出)を観た記憶がある。作曲者存命中のモスクワ音楽院で学んだゆえか、後にミラノのヴェルディ交響楽団と交響曲全集を録音したショスタコーヴィチに早くから傾倒、オペラ「鼻」のドイツ語台本を自ら書き下ろし、ヨハネス・シャーフ演出、アラン・タイトゥス主演で上演した際の指揮の切れ味も素晴らしかった。


今回の管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団(コンサートマスター=三浦章宏)。ピアノとジュ・ドゥ・タンブル(グロッケンシュピールのフランス語表記)の奏者として、小埜寺美樹がクレジットされていた。カエターニは最初こそ緩めのテンポと思われたが、間もなくピッチを上げ、時に即興の切り込みも辞さないので歌手たちは「スリルを楽しむしかない」と割り切り、生き生きとしたアンサンブルを組むことに成功していた。それぞれが役を歌い込み、深く理解しているので、身体表現にも隙がない。カエターニはキャストの持ち味を巧みにプレイアップしながら自然にドラマを進め、必要以上に重い音楽とならないよう、万全の工夫を施した。ピリオド奏法をことさら強調はしない半面、十分に様式感を吟味したフレッシュなモーツァルトであり、ヴェテランらしい滋味にも事欠かないのが素晴らしかった。


モノスタートスの升島を私は東京国際声楽コンクール(現在の国際声楽コンクール東京)で過去に2度審査、両回とも第1位に推された演技巧者である。歌手の傍らドイツ語教師も仕事としており、当然セリフ捌きは傑出している。それに負けず劣らず、ごく自然なドイツ語を語り、歌っていたのはパパゲーノの近藤圭だった。私が後にも先にも1度だけ、新国立劇場オペラ研修所で講師を務めた時の生徒の1人。松本市のバレエ教室が実家で身のこなしも軽やかなイケメンにもかかわらず、コミカ(喜劇役)をしっかり演じられる力を備え、いよいよ本領発揮の時期に至ったと思う。パパゲーナの三宅理恵も出番は少ないものの、近藤パパゲーノと張り合えるだけの演技力があり、コケティッシュな魅力を放っていた。


砂川涼子はパミーナを歌い込んで長く、ドイツ語に深い情感がこもる。とりわけ第1幕の大詰めで「Die Wahrheit (真実を!)」と歌い出す瞬間の舞台空間の切り方、引き寄せ方でプリマドンナの凄みを見せつけた。対するタミーノ、鈴木准は幕開けこそカエターニの棒に乗り切れず苦吟していたが、すぐに調子を取り戻し、日本における第一人者の貫禄を示した。安井陽子の夜の女王は「安定の鉄板」、やはり「ばらの騎士」のゾフィーではなく、こちらが本領だろう。ザラストロには「さまよえるオランダ人」の代役主演で気を吐いた河野鉄平が初役で加わった。ドイツ、ロシア、韓国、中国などの〝お家芸〟である重低音系のバスではなく、最低音域の響きはどうしても薄くなるが、それは本人も承知の上。やや明るめの持ち声を最大限プラスに生かし、どこか優しげな甘さを残し、亡き友の娘パミーナに深い慈愛を注ぐ人物像を巧みに造形し、新しい時代の魅力的なザラストロ創造の成果を上げた。


それにしてもシカネーダー、モーツァルトが「魔笛」を介して230年前に希求したユートピア=争いなく平等な世界はまだ、実現していないどころか、悪化の兆候が著しい。第1幕で口にかけられた鍵を外されたばかりのパパゲーノ、タミーノ、3人の侍女が歌う五重唱「フム!フム!フム!」の歌詞↓

Bekämen doch die Lügner alle

ein solches Schloss vor ihren Mund:

Statt Hass, Verleumdung, schwarzer Galle

bestünde Lieb' und Bruderbund!

(嘘つきどもの口をみな

こういう錠でふさいだら!

憎しみ、恨み、陰口が

愛と友情に変わるだろう)

これに触れた瞬間、ロシアの大統領の顔やウクライナの戦闘の情景が目に浮かんだ。「魔笛」に込められたメッセージを一抹の苦味とともに噛み締め、深く心に残る上演となった。

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