• 池田卓夫 Takuo Ikeda

「魔笛」の暗号を読み解き、見せるウィリアム・ケントリッジ演出の敏腕


「いちばん好きなオペラ」と言い切る自信はないが、自分が「最も良く勉強したオペラ」は間違いなく、モーツァルトの「魔笛」だ。2006年には故・松尾洋さん(東京オペラプロデュースを創立した演出家)と2人、「オペラ『魔笛』虎の巻!」という講座ビデオ(霞ヶ関ナレッジスクエアhttps://www.kk2.ne.jp/kk2/biz02/opera.html/ )も収録した。何故これほどまで傾倒したのか、理由もはっきりしている。新国立劇場が1997/98年の開場記念シーズンから2016年まで6度にわたって上演した「魔笛」の演出家、ミヒャエル・ハンペに98年5月の初演時、2000年10月の再演時の2回、ドイツ語でインタビューを試み、作品の成立背景を事細かにレクチャーされて以来、作品の奥深さ、あるいは迷宮の旅人となったのである。


特に記憶に残るハンペの発言は、1)台本作家エマヌエル・シカネーダーは決して場末の芝居小屋の親父ではなく、当時のドイツ語圏を代表するシェイクスピア俳優で結社フリーメイソンのメンバー。モーツァルトはシカネーダーとの出会いを境に、オペラにおける台本の重要性を認識、「イドメネオ」での大きな飛躍につながった、2)シカネーダーとモーツァルトが「魔笛」で描いたのは地球のユートピア。人種や社会階層、人間と動物、異なる宗教など、ありとあらゆる存在の争いが消え、地球に真の平和が訪れる世界だ。それは1791年の初演以来1度も達成されていない理想郷だから、今も上演する意義がある、3)モーツァルトのスコアは「ここからここまで、何歩で移動する」といった登場人物の動きが音符の長短やブレスで事細かに規定されているから、余計な動きはいらないーーの3点だった。


97年にはダニエル・バレンボイム指揮ベルリン州立歌劇場日本公演の主催者側ジャーナリストとして、アウグスト・エーファーディンク演出の「魔笛」の解説に携わった。文豪ゲーテも絶賛したという、新古典主義の建築家カール・フリードリヒ・シンケルによる「魔笛」の美術・装置を現代に再生したもので、バロック時代の劇場の遠近法、フリーメイソンの掟に秘められた「3」の倍数(3、6、9…)、シンメトリー(左右対称)の調和がとれた視覚などを基本としていた。


2018年10月3日。オペラ芸術監督が大野和士に替わって最初の新プロダクションは、世界的に高名な美術家ウィリアム・ケントリッジが2005年にブリュッセルのモネ劇場で初演した演出に手を入れた「魔笛」だった。ハンペ演出の初演指揮者が視覚のリフレッシュを決め、古巣のモネで評判をとった舞台を持ち込み、指揮をドイツ人ローラント・ベーアに委ねた一連のプロセスに、新監督の徹底したプロデューサー志向を指摘することも可能だろう。


ビジュアルアーティストの演出なので、あるいは奇想天外かと思ったが意外や意外、冒頭から「3」「シンメトリー」「シンケル」「バロック劇場の遠近法」といった「魔笛」演出の要諦がきちんと押さえられ、その上で自らの表現語法を展開する謙虚な姿勢に感心した。ケントリッジが付け加えたのは、まず時代設定。ふだん「魔笛」の視覚から特定の時代を意識する機会は少ないが、ここでは写真の技術が誕生した19世紀初頭のコスチューム、小道具が明確に提示される。登場人物は写真機の中に閉じ込められた当時の人々であり、ケントリッジの白と黒を逆転させたドローイングが非常に効果的に、場面ごとにこめられたシカネーダー&モーツァルトのメタファーを浮かび上がらせる。レチタティーヴォの伴奏もチェンバロやフォルテピアノなどピリオド楽器ではなくモダン(現代)ピアノを使い、モーツァルトの他の作品の断片を散りばめて、客席と18世紀音楽の橋渡しを担う。さらにサンダーマシンをはじめとする打楽器をセリフの合間に鳴らし、オペラよりもミュージカルに親しんだ観客層に刺激を与えることを忘れない。アパルトヘイト(人種隔離政策)時代の南アフリカに生まれ育ったユダヤ系白人アーティストとして、ケントリッジが育んできたアンガージュマン(政治参加)の姿勢と「魔笛」が随所で共鳴し、深く考えさせる舞台に仕上がっていた。


ベーアの指揮はアーティキュレーションを明確にとり、淡々と進めていく。状況説明に時間を費やす前半の音楽づくりは単調にも思えたが、ドラマがどんどん展開する後半では自然体が生きた。歌手は外国の若手、日本の中堅〜ベテランという大野らしい配役だったが、ザラストロ(サヴァ・ヴェミッチ)もパパゲーノ(アンドレ・シュエン)も、さらには王子だから若くて当然ながらタミーノ(スティーヴ・ダヴィスリム)も、発声や演技、言葉さばきがまだ頼りない。むしろパミーナ(林正子)、弁者(成田眞)、夜の女王(安井陽子)、僧侶と武士のⅡ(秋谷直之)、パパゲーナ(九嶋香奈枝)、モノスタトス(升島唯博)ら、それぞれの役としては(世界標準に照らして)やや立派すぎる? 日本人歌手たちが歌唱、存在感の両面で優っていた。





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