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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

藤田真央、「皇帝」への第一歩を堂々と踏み出す〜コバケンの「チャイ5」遭遇


今年(2018年)11月で20歳とまだ若いが、2017年のクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールで優勝して以来、大型新人の名をほしいままにしている藤田真央が10月21日、サントリーホールの日本フィルハーモニー交響楽団第377回名曲コンサートでベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第5番《皇帝》」に初めて挑んだ。指揮は同フィル桂冠名誉指揮者の小林研一郎(コバケン)。


藤田は美しい音色、確実な打鍵、キレのいいリズム、オーケストラと渡り合う音量、指揮者との駆け引きの呼吸など、大ホールのコンチェルト(協奏曲)弾きの条件はすでに十分満たしている。半面、これまで喝采を浴びてきたチャイコフスキーやラフマニノフ、ショパンらのロマン派〜国民楽派の協奏曲とは少し勝手が違い、年齢相応に幼い側面も露呈したのが、ベートーヴェンの難しいところ。鍵盤楽器の性能や奏法の変遷、18世紀後半から19世紀初頭にかけての音楽史の急激な展開といった歴史的情報を踏まえて、ドイツ音楽独特の拍節感、低音の構造などを論理的に把握し、弾く以前に構造体としての作品イメージを明確にとらえない限り再現できない部分に関しては、今後の課題とみた。アンコールのショパンの「遺作ノクターン」を聴けば、唯一無二の感性を備えた逸材であることは明白、「皇帝」もこの水準で弾き初めを成功させたのだから、あとは一歩ずつ、大ピアニストへの道を極めてくれたらと、切に願う。


後半はコバケン十八番のチャイコフスキー、「交響曲第5番」(チャイ5)。アレクサンドル・ラザレフからピエタリ・インキネンにシェフが替わり、弟子の山田和樹も正指揮者を務めるなか、かなりモダンな響きを獲得した日本フィルも、コバケンが指揮した途端、「昭和の体臭」あるいは「農耕民族の原光景」のように土俗的で濃厚な音の世界に回帰する。



終演後の楽屋ではハンブルクに半世紀近く暮らした後、現在は福岡在住の名ピアニスト、藤村佑子とばったり出くわした。私が高校生か大学生だったころ、日比谷公会堂でコバケンが東京交響楽団を指揮した演奏会に出かけた。前半が藤村独奏のリスト「ピアノ協奏曲第1番」、後半が「チャイ5」だったので、40余年の時を経ての不思議な邂逅といえる。以来、自分は「コバケンのチャイ5」を何度聴いてきたのか、見当もつかない。最初は作曲家でもある新鋭の端正な棒さばきだったと記憶するが、ある時点で「炎」に火が着いて極端なデフォルメ、極限までの煽りといった「コバケン節」路線に転じた。正直、現在の自分のテイストとは異なるのだが、いざ聴いてしまうと、子どものころに食べた麺フニャフニャでケチャップぎとぎとのスパゲティ・ナポリタン、肉屋さんで揚げたてを頬張った殆どジャガイモしか入っていないコロッケなど、時々無性に食べたくなる味の記憶と「ご対面」を果たしたような気もして、これはこれで悪くない。

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