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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

藤村佑子&コバケン、喜寿と傘寿の再会

更新日:2020年11月3日


ハンブルクをはじめドイツで45年間活躍後、出身地の福岡市に本拠を定めたピアニストの藤村佑子と40年ほど前に協奏曲で何度か共演した指揮者の小林研一郎(コバケン)。ともに4月9日生まれの2人は今年(2020年)、それぞれ喜寿(77歳)と傘寿(80歳)の節目を祝った。私も1970年代の終わり、2人と東京交響楽団によるリストの「ピアノ協奏曲第1番」の実演を東京・日比谷公会堂で聴いた記憶がある。福岡音楽学院院長など教育活動で多忙な日々を長く送ってきた藤村だが、「喜寿の記念にもう一度、コバケンさんの指揮でコンチェルトを演奏したい」と2年前に偶然、サントリーホールで再会した折、仲介のお手伝いを頼まれた。そして2020年10月30日、コバケンが名誉客演指揮者のポストを持つ九州交響楽団との共演がアクロス福岡シンフォニーホールで実現した。32年前、新聞社のフランクフルト支局長だった私に藤村を紹介した現地在住(当時)実業家の伊藤光昌氏が設立した公益法人ハーモニック・ドライブ伊藤財団がスポンサー(協賛)を引き受け、伊藤ご夫妻の隣席で聴いた。


桐朋学園ではヴァイオリンの前橋汀子と同期で、負けず劣らずの美貌の持ち主だった藤村はピアノの実力も傑出していた。高校在学中に日本音楽コンクールで優勝した後、パリを皮切りにヨーロッパ各地で学んだ。ヴラド・ペルルミュテールとアルトゥーロ・ベネデッティ=ミケランジェリ、コンラート・ハンゼン(ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルとベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」の名盤を残した)と20世紀のピアノのレジェンド3人に師事、ロン=ティボーとジュネーヴ、ミュンヘンの国際音楽コンクールでいずれも上位入賞を果たした。あまりに輝かしく、近寄りがたい美女だと勝手に想像していたが、面識を得て以降の印象は一変した。九州の女性に多い陽性の太っ腹、ハスキーボイスでガハハと笑いながら豪放に弾き過ぎて、ボーンとミスタッチをしても気にしない。周囲を明るく温かな気持ちにする素晴らしいヒューマンスキルは教育面でも遺憾なく発揮され、現在は東京藝術大学音楽学部教授の青柳晋をはじめ、優秀な生徒を世に送り出した。


記念すべき演奏会の曲目は最初にコバケンがグリーグの「《ペール・ギュント》第1番から《朝》《オーゼの死》」を指揮した後にリストの「ピアノ協奏曲第1番」、後半にベートーヴェンの「同第5番《皇帝》」。旧交を温めた2人のトークを経て、アンコールには同じくベートーヴェンのソロ曲「バガテル第25番《エリーゼのために》」が弾かれた。コバケンと九響の長年の協力関係も反映してか、協奏曲では特段のオーバーアクションもないまま、情熱的な響きを引き出した。


長く「ラ・カンパネッラ」をアンコールの定番としたように、藤村の豪放なフォルテッシモや透明で芯の通ったピアニッシモ、克明に歌わせる中音域の充実とリストの相性は抜群だった。さすがに久しぶりの大ホール、フル編成のオーケストラとの協奏曲で緊張したのか最初は固まっていたようにも思えたのだが、「これが私の解釈」とのこと。次第に調子を上げ、ガンガン華麗に弾く瞬間から透き通った内面に沈む場面まで「藤村佑子のリスト1番」の記憶を呼び覚ませるに足る水準に、きちんと仕上げてみせた。


「皇帝」の第3楽章では1か所、2人のテンポ感が食い違う場面があってギョッとしたものの、全体の骨格が全く揺るがないのに感心した。3人の恩師の中でもハンゼンと過ごした時間が最も長く、ベートーヴェンやブラームスの真髄を徹底的に叩き込まれ、自身も長く弾きこんできた時間の蓄積は重い。すべての音の意味を深く吟味し、フレーズごとのアクセント、アーティキュレーション、フレージング、デュナーミクを克明に設計しているので、聴く側もごく自然と音楽の内側へと向かう。左手の豊かなソノリティで大きく張り出す瞬間を厳しくコントロールしながら、弱音の輝きを際立たせる解釈は一見(一聴?)ユニークだが、若き日の作曲者がピアノの神童として頭角を現し、「第2のモーツァルト」を目指してウィーンへ移り、ハイドンに作曲を師事した経緯を振り返れば、ハイドン→モーツァルト→ベートーヴェンというピアノ協奏曲の歴史と到達点を踏まえた正統派の解釈といえる。


最後は先へ先へと行く推進力自体、かなり「おっちょこちょい」と思われる人柄と表裏一体の気がしてきて、つくづく「音楽は人間だ」と思い、味わい深い演奏に感銘を受けた。本番までは周囲をハラハラさせたかもしれないものの、終わり良ければ全て良しの素晴らしいフィナーレ。アンコールの「エリーゼのために」も弱音主体、早いテンポで淡々と奏でられるなか、ここ福岡からピアニストを目指して世界に羽ばたき、帰郷して喜寿を迎えた今も音楽とともに生きる藤村の「自分史」が走馬灯のように重なり、永遠の時間の中に存在した。

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