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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

混濁の海から立ち上る死への甘美な陶酔〜渋谷でカワイを弾いたプレトニョフ〜

更新日:2019年6月18日


むちゃくちゃ暗いリストの選曲

河合楽器製作所がグランドピアノ「Shigeru Kawai」を発売して20周年の記念に2019年6月13日、渋谷区立文化総合センター大和田さくらホールでミヒャエル・プレトニョフのピアノリサイタルを主催した。プレトニョフは指揮活動が本格化する過程でソロ活動への意欲が衰え、ピアニストとして半ば引退状態だったときカワイのピアノと出会い、復帰を決意したという。全席ご招待の客席にはピアニスト・ピアノ教師、作曲家、指揮者、評論家、ジャーナリストら見覚えのある顔ぶれがずらり。自由席だったので、比較的前方の席で聴いた。


プログラムは前半がベートーヴェンの「ロンド ハ長調」と「熱情」ソナタ。後半は「詩的で宗教的な調べ」第7曲「葬送曲」に始まり、「葬送前奏曲と葬送行進曲S206」より「葬送曲」で締めるリスト10曲をアタッカ(切れ目なし)で。「凶星!(不運)」とか「暗い雲」など、やたら暗い題名の作品が並ぶ。「ロンド」こそチャイコフスキー国際コンクール優勝経験者の端正なピアニズム、マエストロの現在にふさわしい円熟味の証明書であるかのように提示されたが、「熱情」は異様な静けさに支配されていた。澄み切った美しさの弱音に対して強音、特に左手の低音域は極端な厚塗りの混濁をあえてつくり、瞑想と迷走の世界に突き進む。若い日の熱情はすべて過去の記憶の海に沈み、死を意識した自分は今、それを走馬灯の光として、一定の距離感を伴って冷静に眺めているーー不思議な感触。聴いているうち、どこからか仏壇の鈴(リン)の「チーン」が聴こえ、お線香をきいた気がした。


リストでは混濁と清澄のコントラストが一段と激しくなり、透明な弱音には「死への甘美な誘惑」すら漂った。この「死への甘美な誘惑」は吉田秀和さんの亡くなる1年前、私が鎌倉のご自宅を最後に訪ねたとき、当時97歳の大先輩が微笑とともに放った言葉である。「ハンガリー狂詩曲第11番」のフリスカ(後半の活発な舞曲の部分)でお定まりのカタルシスを与えたのもつかのま、最後の「葬送行進曲」では混濁の極致の低音を嵐のように轟かせ、魔王の不敵な笑みを浮かべ、舞台を去っていった。おそろしく個性的な芸風だが、混濁の海から立ち上る死の甘美な香りには背徳の雰囲気もたっぷりあって、魅了されてやまなかった。聴衆をここまで追い込み、満足したのだろうか。アンコールでは同じリストでも死の対極、愛を主題にした「愛の夢」第3番が非常に美しく甘く、ロマンティックに奏でられた。



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