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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

柔らかく心に沁みた森下幸路&川畑陽子ブラームスの「ヴァイオリン・ソナタ」


ヴァイオリニストで大阪交響楽団の首席ソロ・コンサートマスター、森下幸路は1996年に「10年シリーズ」のリサイタルを始めた。毎年テーマを設け、大規模なソナタだけでなく小品も幅広く紹介する企画はレコーディングと連動して固定ファンを広げ、10年どころか25年も続き、今回が第24回に当たる。2021年4月2日、東京文化会館小ホールでピアノの川畑陽子とともに演奏したのはブラームスの「ヴァイオリン・ソナタ全3曲(第1番《雨の歌》ー第3番)」。1か月半前には日本フィルハーモニー交響楽団コンサートマスターの田野倉雅秋が渡邉康雄のピアノで、同じプログラムを同じ会場で弾いている。


森下(1963ー)は田野倉より13歳年長。コンサートマスター歴だけでなく、リサイタル奏者のキャリアにも一日の長がある。それ以上に2人の個性差は大きく、「同じ会場で同じ作品を聴いている」とはとても思えない感触に驚いた。あえて雑に総括すれば、楷書体の田野倉に対し森下は草書体。もちろん、どちらも素晴らしい。森下は柔らかく心にしみる音色、ごく自然な構えで力みもせず、ピアノの川畑陽子と変幻自在に室内楽の〝会話〟を進めていく。「もう少し見栄をきっても良いのではないか」「もっと大きな音で突っ込む瞬間かもしれない」など、疑念をさし挟む余地は時々あるのだが、そこに注がれる2人の眼差しの優しさ、立ち上る響きの温かさがすべてを溶かしてしまう。より細かく聴けば、ヴァイオリンがソロで出る場面、オブリガートで引っ込む場面の弾き分けをはじめとする様式の押さえも行き届いていて、森下と川畑が入念な検証と練習を重ねた先に、現在の再現スタイルを提示したことがわかる。川畑は「伴奏ピアニスト」以上の積極性をみせていて、賞賛に値する。


3曲を全く飽きさせずに弾きおおせた後、アンコールに静かな小品を3曲。その途中、マイクなしで訥々、森下が客席に語りかけた。「僕たち演奏家は昨年の活動休止期間、最初はどうしたら良いのか、まるでわかりませんでした。予定表も真っ白。先輩たちはどうしたのかと思い、外山雄三先生(1931ー、大阪交響楽団名誉指揮者)の別荘をお訪ねすると『私たちにもわからないけど、とにかく練習、勉強するしかない』と。帰宅して、若いころ学んだ練習曲などの楽譜を引っ張り出すと、当時は軽視していた先生や先輩たちからの注意がたくさん書き込んである。1から弾き直し、練習に明け暮れて得たものは大きかったですね」


森下の美点は天才肌でも早熟の才でもなく、たゆまない研さんと現場体験の積み重ねで自身の音楽を一貫してヴァージョンアップ、その時その時の「最新」を提示する誠実さにある。コロナ禍との共存長期化で疲弊した人々の耳にすーっと入り、心にすとんと落ちるブラームスもまた、2021年4月時点の森下の音楽であり、何年か先に再び聴いたら、まるで違う光景が広がっているはずだ。「10年シリーズ」の30年超え、確実とみた。

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