2021年2月20日、東京文化会館小ホール。日本フィルハーモニー交響楽団コンサートマスターの田野倉雅秋(1976ー)が同フィル創立名誉指揮者の渡邉曉雄(1919ー1990)長男のピアニスト、渡邉康雄(1949ー)とともにブラームスの「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」全3曲を番号順に弾いた。アンコールは、このプログラムの定番である
「FAE(Frei aber einsam=自由だが孤独)ソナタ」のスケルツォ。シューマン、ディートリヒと共作した3楽章作品の、ブラームスが担当した楽章だ。さらに、J・S・バッハ(ヴィルヘルミ編曲)の「G線上のアリア」。心洗われる演奏会にふさわしい「締め」だった。
ピアノはホール備え付けのスタインウェイ。パワフルな渡邉は蓋を半開にとどめ、全開時に比べると音色の多彩さが少し狭まったかもしれない。半面、田野倉とのバランスは理想的にとれ、室内楽デュオの濃密な音楽の会話に落ち着いて耳を傾けることができた。2人とも、ショウビジネスの発想の対極に位置する演奏家で「見せよう」はもちろん「聴かせよう」「楽しませよう」の意識すらなく、ひたすら作品の中に自分たちを潜らせる。良きにつけ悪しきにつけサービス精神過多の演奏に飼い慣らされた私たちは、最初の「第1番《雨の歌》」での余りの自然体、素っ気なさに面食らった。シェフやウェイターが延々とうんちくを傾けるのの真逆、すべての判断は聴く側の感性に委ねられる。「これは久々の真剣勝負だ」と覚悟を決め「第2番」に向き合うと、厳しく磨き抜かれた造型の間から様々な音楽の肉声が聴こえてきた。2人が互いを聴き合い、たっぷりした倍音までぴたりと息が合う。
後半の「第3番」は一段と熱を帯び、ふだんプロフェッショナルでクールな雰囲気を漂わせる田野倉の内面に潜む激しい情熱のようなものが表に出てきた。楽器も良いのだろう。キリリと引き締まって良く通り、心にしみる音色が素晴らしい。私は渡邉が米国留学から帰国した40年あまり前、父子共演による「ピアノ協奏曲第2番」(オーケストラは曉雄が音楽監督を務めていた東京都交響楽団)を聴いた記憶がある。康雄がブラームスに対して持つ〝ひきだし〟も豊富に違いない。田野倉の純度と燃焼度が上るにつれ、渡邉の繰り出す音のニュアンスもどんどん豊かになった。最後は舞台と客席で達成感を共有。客席には日本フィル楽員だけでなく、田野倉の入団(2019年)以前に退団したOBも集まり、微笑ましかった。
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