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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

松本和将のベートーヴェン→N響チェンバー・ソロイスツのマーラーの高水準


2日連続、高カロリーの演奏会

世界の音楽界は新型コロナウイルス(COVID-19)に依然、振り回され続けている。新たな変異種オミクロン株の登場で11月30日以降、国外からのアーティスト招聘は再び絶望的となった。自分も12月のNHK交響楽団C定期を振る予定だったロシア人指揮者ワシリー・ペトレンコのリモートインタビューを同響ホームページ向けに出稿した直後、すでに来日中だった別の指揮者の代演が決まり、幻の記事と化した。国内では今のところ昨年からの延期分も含めた日本人演奏家、とりわけ30ー40代の中堅世代の意欲的な公演が相次いでいて、生(ライヴ)の音楽自体に対する渇望感を覚えないで済むのが素晴らしく、ありがたい。


松本和将(1979ー)の「世界音楽遺産」シリーズは2年ぶり5回目の開催。2021年11月29日、浜離宮朝日ホールで「ドイツ編 ベートーヴェン4大ソナタ」と題し、ピアノ・ソナタ第8番《悲愴》、第14番《月光》、第21番《ワルトシュタイン》、第23番《熱情》を弾いた。ピアノは11月5日に干野宜大が同じホールに持ち込んだばかりのタカギクラヴィア所有の1912年製ニューヨーク・スタインウェイ「CD 75」(製造番号156975)で、かつてヴラディーミル・ホロヴィッツが愛用した名器。松本は小柄な全身をバネのように駆使、緩徐楽章での透き通るようなピアニッシモからフィナーレのクライマックスにかけてのホールを揺るがす轟音(並外れた音量と音圧にもかかわらず、決して濁らない)まで、恐ろしいほどのエネルギーに満ちた演奏を繰り広げる。こう書くと「外面的なテクニシャン」と誤解されがちだが、実際は逆。緻密な読譜を基本とし、後半2つのソナタの第2楽章から第3楽章に移行する場面にもじっくりと時間を費やし、楽曲設計の意図を丹念に解き明かしていく。


誰の真似でもない、松本のベートーヴェン。1998年、19歳で第67回日本音楽コンクールに優勝した時、審査員の1人だった田崎悦子が私に電話をかけてきて「なんか全身が音楽で、ロック少年みたいな子が凄い演奏をするのよ」と興奮していたのを思い出す。どこまでも作品に突っ込んでいく演奏姿勢は今もロックそのものだし、挑戦の手綱を緩めず、より高い目標に向かって突き進む姿勢は闘う作曲家=ベートーヴェンとスピリットを共有している。《熱情》を弾き終えた松本は「リヒテルいわく『これを弾いた後にふさわしい曲などない』ということで、今日はこれで終わりにします」と挨拶した。2022年11月17日のシリーズ第6回は東京文化会館小ホールに会場を移し、「リスト編 悪魔の調べ」を予定している。


11月30日にNHK放送センター近くのHakuju Hallで聴いた「N響チェンバー・ソロイスツ」の第2回公演「日本初演!マーラー《交響曲第10番》室内オーケストラ版」も、強烈な熱気と艶に支配された凄絶な音楽だった。マーラーが生前、第1楽章アダージョだけを仕上げて亡くなった「第10番」のフルオーケストラ〝完成版〟は1960年のデリック・クック以降、何人かの音楽学者や作曲家、指揮者が試みてきた。室内オーケストラ版は2012年、マルタ島出身の作曲家で指揮者のミケーレ・カステレッティ(1974ー)が発表したのが第1号。ウィーンのウニヴェルザール出版社の全面的な協力の下、クック(第3稿)やバルシャイ、カーペンター、マゼッティ、フィーラーなどのフルオーケストラ版を細部まで検証、さらにマーラ―の様々なファクシミリ(手稿のコピー)や楽譜からオーケストレーションを徹底的に分析、シェーンベルクがウィーンで旗揚げした「私的演奏協会」(1918ー1921)とその同時代の演奏様式を下敷きにしつつ、室内アンサンブル版を完成したという。


カステレッティ自身が監修したジュールズ・ゲイル指揮アンサンブル・ミニのディスク(2016年録音=Ars Produktion)は原則1パート1人の16人編成だが、N響チェンバー・ソロイスツは冒頭画像に収めた通りの19人。ゲイル盤では2人いた打楽器は逆に竹島悟史1人だけ。口にトライアングルのバチをくわえたまま拍を数え、ティンバニ、鉄琴、ドラ、タンバリンなどを次々に叩く。さすがに掛け持ち不可能な1箇所だけはホルンの福川伸陽が駆け寄り、代わりにドラを打った。指揮者なしの大胆な再演だが、ウィーンに長く住む白井圭が楽曲の構造だけでなくマーラーが生まれ育った文化圏の背景、民族音楽のルーツ、活躍した街々で当時聴かれていた音楽などの雰囲気をしっかりと見据え、巧みなリードで引っ張った。大編成では埋もれがちな様々な音のアヤ、知性のスパイスが鮮やかに浮かび上がり、フルオーケストラ版よりも退屈しなかったのは意外。白井が移植したウィーン風の柔らかな音色を保ちつつ、一糸乱れずに85分の濃密なドラマを描き尽くすN響の中堅〜若手世代の快挙といえる。できれば理事長とか、楽団のボードメンバーにも成果を見届けてほしかった。

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