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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

延原武春&テレマン・高田泰治・黒川侑&久末航・Eモロー&Aポーガ

クラシックディスク・今月の3点(2023年8月)


日本テレマン協会60周年&延原武春80歳

「バッハ 管弦楽組曲集」

J・S・バッハ「管弦楽組曲第2番(オリジナル版)、第3番(同)」、作曲者不詳(伝J・S・バッハ)「管弦楽組曲ト短調」

延原武春指揮コレギウム・ムジクム・テレマン


「クープラン一族のクラヴサン音楽集」

高田泰治(チェンバロ)


大阪音楽大学在学中だったオーボエ奏者の延原が日本で最初の18世紀音楽専門の音楽団体、日本テレマン協会を立ち上げたのは1963年、20歳の時だった。最初の東京オリンピック、東海道新幹線の開通の前年、史上初のテレビ衛星中継に「ケネディ暗殺」の衝撃が飛び込んできた年だった。バッハの「管弦楽組曲」は大編成の交響楽団のレパートリーであり、第2番ではフルート独奏が協奏曲のように活躍した。延原は18世紀音楽の「そもそも」に目を向けオリジナルの楽譜、後に「ピリオド楽器」と呼ばれるようになるオリジナルの楽器仕様や編成にこだわり続けた。年末恒例の人海戦術に抗い「100人の『第九』」をぶつけるなど、良い意味の挑発精神とともに新分野を切り開いてきたパイオニアは今年80歳、テレマン協会も還暦(60歳)を迎えた。


2022年5月11〜13日、神戸市の神戸新聞社・松方ホールでセッション録音した「管弦楽組曲集」でも第2番はフルートではなくヴァイオリンを独奏に立て、第3番はオーボエ、トランペットを省いたオリジナル版を採用。さらに偽作とみられるト短調の組曲(第5番?)を組み合わせた。だが演奏にペダンティック(衒学的)な気難しさは一切なく、ディスクを再生した途端、あの「ノブさん」の温かく大らか、柔軟性に富む音楽が変わりなく弾みだす。懐かしいけど新鮮、古いけど新しい響きの語りには芯の強さがあり、聴き手を引き込む。


ここでチェンバロを弾いていた高田は別途、クープラン一族のクラヴサン(チェンバロの仏語)をリリースした。三重県総合文化センター大ホールでの録音セッションは2019年5月14〜16日と少し前だが、2020年2月以降のコロナ禍の影響で発売が遅れていた。恩師でテレマン協会の先代チェンバロ奏者、中野振一郎の煌びやかなスタイルとは対照的で淡々、静謐な時間の流れの中から18世紀パリの色香を透かし彫りのように浮かび上がらせる。

(いずれもナミ・レコード「ライヴノーツ」レーベル)


ヴァインベルク「チェロ協奏曲」/デュティユー「チェロ協奏曲《遙かなる遠い国へ》」

エドガー・モロー(チェロ)、アンドリス・ポーガ指揮ケルンWDR(西ドイツ放送協会)交響楽団

20世紀のチェロの巨人、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(1927ー2007)は卓越したヴィルトゥオーゾ(名手)だけでなく、数多くの新作委嘱者あるいは世界初演者としても永遠に名を残すだろう。ヴァインベルクは1957年1月9日にサムイル・サスモード指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団、デュティユーは1970年7月25日のエクス・アン・プロヴァンス音楽祭でセルジュ・ボド指揮パリ管弦楽団とそれぞれ共演、ロストロポーヴィチの独奏で世界初演され、以後も演奏され続けてきた名作だ。


ポーランド生まれのユダヤ人、旧ソ連の逃れた後もスターリンの弾圧に見舞われたヴァインベルクの作品はショスタコーヴィチや東方ユダヤ人の音楽と多くを共有する。一方、デュティユーはボードレールの詩から得た霊感をロストロポーヴィチの音と結びつけた。ある意味の対極に位置しながら、マクロ的には「ひとつの時代」の音を持つ2曲に対し、1994年生まれのフランス人奏者モローは初演者とは異なる角度から光を当て新たな輝きを引き出す。NHK交響楽団との度重なる共演を通じ、専門家筋から高い評価を得ている1980年生まれのラトヴィア人指揮者ポーガとケルン放送響が担う管弦楽の水準も高く、聴きごたえがある。2022年9月21〜23日、11月8〜10日、ドイツ・ケルンのフィルハーモニーでセッション録音。

(ワーナーミュージック「エラート」レーベル)


ブラームス「ヴァイオリン・ソナタ全集(第1番《雨の歌》〜第3番)」

黒川侑(ヴァイオリン)、久末航(ピアノ)

2023年4月4〜5日のセッション録音で黒川(1990年京都市生まれ)、久末(1994年大津市生まれ)の最も新しい状況を知ることができる。ほぼ同世代の2人は琵琶湖の近くで生まれ育ち、ドイツ語圏とフランス語圏で研鑽を積み、音楽コンクールでも優れた成績を収めてきた以上に妥協を許さない、少し悪い言葉を使えば「頑固」な姿勢でも共通する。見かけの華やかさや即効性の演奏効果には目もくれず、ひたすら楽曲の核心を見つめ続けている。


最近でこそ若手の録音も増えたが、レコード(LP盤)時代は巨匠大家の独占レパートリーに等しかったブラームスのソナタ3曲。黒川と久末は十分な畏怖の念とともに一点一角、少しのブレもなく彫り込んでいく。バロック以前から自身の同時代に至るまで、あらゆる音楽の形に通暁、様々な素材をいったんいったん解体した後に再構築して独自の音楽を成就させるブラームスの書法には、ロマン派特有の深い情感や情熱の発露といった別の要素も備わり、一筋縄には再現できない。黒川と久末のデュオが時に一種の停滞を感じさせるのは、あまりに真摯な眼差しのなせるわざであり、今後の演奏経験の蓄積を通じ、より自由闊達な会話を繰り広げていくに違いない。現時点で達成した水準の高さを知り、今後に大きな期待を託せる録音というのもまた、貴重な存在である。

(ミューズエンターテインメント「アールアンフィニ」レーベル)






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