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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

尾高&東フィルが示した「昭和の圧巻」


きょう2020年7月23日は東京オリンピック開会式のはずだった。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大で大会は1年延期され、関連イベントだけでなく、一般の演奏会やオペラも大きな影響を受けた。同日、東京オペラシティコンサートホールの東京フィルハーモニー交響楽団第84回「休日の午後のコンサート」も休憩なしの1時間に圧縮されたが、予定通りの開催となった。指揮は1974ー1991年に常任指揮者を務め、現在は桂冠指揮者の尾高忠明。最初の2曲は前回、1964年の東京オリンピックのために作曲されたファンファーレ(今井光也)とマーチ(古関裕而)であり、コンサートの副題「勝利への行進」ともども、当初は今回の開会式に合わせた企画だったはずだ。「お話」も担当した尾高は「前回は高校2年生のとき。興奮して開会式をみて、ファンファーレもマーチもよく覚えています」「当時に比べ、日本のオーケストラは本当に上手くなりました」「僕たちの世代で〝新型コロナ〟といえば、トヨタの新車だったのですが…」と、ほぼ「三丁目の夕日」状態。それだけに開催が1年延期された今、「リハーサルのときは複雑な心境でした」と明かす。


ファンファーレ、そしてマーチ。2曲が続けて演奏された間、私の目からは不覚にも涙が溢れ続けた。太平洋戦争に破れ、わずか19年でオリンピックを開くまでの復興を成し遂げ、誰もが未来の幸福を信じていた昭和39年の熱気が瞬間解凍されてホール一杯に広がり、すっかり疲れ果てた令和2年の私たちを圧倒した。尾高が高校生なら私は幼稚園児。元職業軍人の園長が奮発して講堂に運び込んだ最初期のカラーテレビを皆で取り囲み、やはり開会式を食い入るようにみていた。


古関は目下のNHK〝朝ドラ〟「エール」で、窪田正孝が演じる主人公のモデル。オリンピックを意識した人選のはずだったが、COVID-19により全く違う意味を持つに至った。福島県の歯科医たちの覆面グループ「GReeeeN」が歌うテーマソング「星影のエール」を最初に聴いたときは、「何故、古関作品を使わないのだろう?」の疑問が先立ったが、世の中の光景が一変しつつあるなか、とりわけ次の歌詞の部分は、切実なメッセージに変わった:


星の見えない日々で 迷うたびに

誰か照らすその意味を 知るのでしょう

愛する人よ 親愛なる友よ

あなたこそが エール


COVID-19との日々に疲弊する名もない人々への応援歌、という新たなミッション(使命)とともに、古関の精神をしかと現代に継承した名曲だと今は思える。それにしても古関のマーチ作曲の巧みさ、現代に蘇らせた尾高と東京フィルの輝かしい演奏にも惚れ惚れした。


続くネッケの「クシコス・ポスト」は小学校の入退場時に走らされるとき必ず鳴っていた、運動神経の鈍い私には「忌まわしい懐メロ」で、「日本でしか知られていない曲」(尾高)という。まさか実演で聴けるとは思わなかった。ベルリン・オペレッタの大家、パウル・リンケが作曲したマーチ「ベルリンの風」も素敵な演奏だったが、東京オペラシティはヴァルトビューネ(森の舞台=ベルリン・フィルが夏のシーズン終了時に行う野外コンサートの会場)ではないから、シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」さながらの手拍子は起きなかった。本編の最後は英国楽壇と深い結びつきを持つ尾高の十八番、エルガーの「威風堂々」第1番。スケールの大きさに目(耳?)を瞠った。70歳代の指揮者が小曲、しかも行進曲風の作品ばかり並べるプログラム自体が珍しいが、音楽の充実度は非常に高く、やはりマエストロの包丁さばきだと納得した。アンコールもシベリウス「カレリア組曲」の行進曲と、こだわりを最後まで保ち、「勝利への行進」を確信させる立派なエールに仕上げた。

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