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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

小瀧俊治、クリスタルなピアニズムの先


小瀧は仙台市出身、東京音楽大学ピアノ演奏家コースから大学院修士課程を修了するまでは特待奨学生、現在も同校でティーチングアシスタントを務める新鋭ピアニストだ。クラシック一辺倒というわけではなく、X JAPANのToshiのソロライブで共演するなど、表現の領域も意欲的に広げている。王子様風のルックスで若い女性に人気があるらしく、2018年11月29日、品川区の五反田文化センター音楽ホールのリサイタルでは客席の90%が女性だった。


前半はショパンの「幻想即興曲」「夜想曲(ノクターン)第2番」「練習曲(エチュード)作品10の5《黒鍵》」「英雄ポロネーズ」、ドビュッシーの「アラベスク第1番」「月の光」、リストの「愛の夢第3番」「ラ・カンパネラ」と、3人の作曲家の名曲を並べた。最初に気づいたのは「やや、アガリ症なのかな?」ということ。「幻想即興曲」を突っ走ったまま弾き通したので、少し心配になった。さすがに「ノクターン」では暴走できないので、2曲め以降はテンションが安定した。クリスタル(水晶)ともいうべき、非常に美しい音を持ったピアニストである。プロでも音に個性のないピアニストがいないわけではないので、貴重な美点だ。


問題は作曲家ごと、時代ごと、文化圏ごとの様式の描き分け、作品像の分析が十分になされているとは思えず、どの曲もほぼ同一のタッチ、音色、デュナーミク(強弱法)で処理されるアプローチにある。左手に比べ、右手の運指の確度にもやや不安がある。演奏中の上半身を細かく観察すると、肩から肘、手首までが緊張した(力が入った)まま、手首から手の平、指先にかけてのパンチ力と柔軟性だけで最弱音から最強音までを発音している。打鍵のベクトルは一貫して「上から下」の垂直方向で、「手前から前方」あるいは「左から右」の水平方向が考慮されないことも、音色のパレットを狭隘にしている原因だろう。


クラシックのコンサートピアニストである限り、作品に対するイメージ(背景情報も含め)を丹念な読譜や研究を通じて磨き、それぞれに最適の打鍵、アーティキュレーション、フレージング、ペダリングなどを入念に選択し、的確に描き分けなければならない。せっかくクリスタルな音色というギフト(天賦の才)に恵まれ、音楽に向き合う真摯な姿勢も十分なのだから、長いキャリアの入り口に立ったばかりの段階の小瀧にとって、解決不可能な課題は1つもないはずだ。


後半、ブラームス初期(作品5)の大作「ソナタ第3番」は、今の持てる力と研鑽の成果すべてを注いだ熱演だった。膨大なエネルギーの発露と内部への沈潜の対照もしっかり考慮され、2つのアンダンテの楽章〜第2楽章と第4楽章〜のじっくりした掘り下げには、小瀧の今後の変化への萌芽もみえた。半面、ここでも「0」と「1」=ピアノとフォルテの二元論に集約されたデジタルな打鍵の発想が最弱音から最強音までのストローク(飛距離)を極端に短くする傾向は否めない。瞬間湯沸かし器を思わせる直情の連続が、楽曲を小さな枠の内側に押し込めてしまったのは残念だった。ブラームスの低音、ピアノでは左手に集約される音の動きはオルゲルバス(支えとして持続する低音)とも呼ばれ、ドイツ語の発音やリズムと深く関わっている。ドイツ語を理解しなければブラームスを弾くな、という気は毛頭ないが、音の構造を解析する場面では、そうしたことへの想像力も欠かせないように思う。


若者らしい気負いと清新さ、美しさ、無謀さ……と、たくさんの要素がプリズムみたいに乱反射していて、あれこれ感じ、考えるのが興味ふかいリサイタルだった。

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