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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

小泉和裕と名フィル→外山雄三と大阪響


今週はズービン・メータ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会をサントリーホールで2度聴く前夜に必ず、東京以外の日本のオーケストラと向き合う4日間のラリーを楽しむ。2019年10月18日、キャピトル東急ホテルでのベルリン・フィル来日記者会見。運営母体の財団(Stiftung)で楽団長(Intendantin)を務めるアンドレア・ティーチュマンは「過去62年間&29回の来日を通じ、世界のオーケストラ地図はどう変化したか?」といった趣旨の質問に対し、「この間に多くのオーケストラ、特にピリオド楽器や室内オーケストラの台頭も目覚ましいなか、ベルリンとウィーンだけでなくグローバルスタンダードを目指す団体のすべてが日本を訪れる。日本国内でもオーケストラの水準向上が目覚しく、世界的な音楽監督や首席指揮者を迎えており、競争は激しさを増している。私たちには絶えず演奏水準を高め、成果を出さなければならないというモチベーションがある」と歴代楽団長で初めて、日本のオーケストラを意識した発言で応えた。


確かに東京ではパーヴォ・ヤルヴィとNHK交響楽団、ジョナサン・ノットと東京交響楽団、セバスティアン・ヴァイグレと読売日本交響楽団、ピエタリ・インキネンと日本フィルハーモニー交響楽団、アンドレア・バッティストーニと東京フィルハーモニー交響楽団などなど、欧州楽壇でも依然上昇軌道に残る指揮者たちがひしめく。では東京以外の状況は?と振り返れば、現役最長老の外山雄三(1931ー)と大阪交響楽団、予想以上に相性のいい尾高忠明(1947ー)と大阪フィルハーモニー交響楽団、日本に戻って独自の円熟を遂げた小泉和裕(1949ー)と名古屋フィルハーモニー交響楽団&九州交響楽団、目覚ましい成果を挙げた広上淳一(1958ー)と京都市交響楽団、観光PRにも貢献する飯森範親(1963ー)と山形交響楽団、まだ若手の川瀬賢太郎(1984ー)と神奈川フィルハーモニー管弦楽団など、日本の実力派マエストロたちが手堅い仕事を続けている。


小泉指揮名フィルは2019年11月19日、東京オペラシティコンサートホールで東京特別公演を行った。同じ時間帯にメータ指揮ベルリン・フィル(ミューザ川崎)、パーヴォ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(サントリー)と世界の強豪も演奏していたが、スポンサー企業の努力もあって、ほぼ満席にしたのは立派。ソリストはイタリアで育ちニューヨークに学び、火災による全身火傷を20回に及ぶ手術と強烈なリハビリで克服したドイツ人ヴァイオリニスト、オーガスティン・ハーデリッヒ。最初はガサついていた客席もメンデルスゾーンの協奏曲が始まり、ハーデリッヒの真摯かつ美麗な演奏が熱を帯びるにつれ、鎮った。特段の誇張もないが、第1楽章のカデンツァではJ・S・バッハを思わせる峻厳な音楽を聴かせ、メンデルスゾーンのバッハに対する尊敬という歴史の文脈を音で伝えることに成功した。小泉は暗譜で、しっかりと付けていた。アンコールではルッジェーロ・リッチが編曲したギター原曲の「アルハンブラ宮殿の思い出」(タルレガ)を無伴奏で奏で、かなりのヴィルトゥオーゾ(名手)の実態を伝えた。


後半はベルリオーズの「幻想交響曲」。余分な観念や哲学を語らず、オーケストラを確実に鳴らす小泉の「美学」(と、あえて書く)は、ベートーヴェンやブラームスだと時に疑問を抱いたりもするのだが、今回の「幻想」は素晴らしかった。2016年4月の音楽監督就任に先立つ記者会見で「このオーケストラにはポストを持つ指揮者が妙に多いので、なかなか方向が定まらない」と指摘、翌年に「カルミナ・ブラーナ」(オルフ)終演後の楽屋を訪ねると、「かなりアンサンブルの整理がついてきたと思う」と漏らした。その弛みないトレーニングと表現語法の追求が「幻想」には全面的に投影され、オーケストラが鳴りきった。羽のように柔らかなピアニッシモにも1本、芯が通っている。管楽器群には一層の精度を求めたかったが、弦楽器群、特にチェロからコントラバスにかけての低弦の雄弁さの向上には目覚ましいものがあった。


2019年11月21日は大阪に出かけ、外山指揮の大阪響第234回定期演奏会をザ・シンフォニーホールで聴いた。チャイコフスキー「幻想的序曲《ロメオとジュリエット》」とショスタコーヴィチ「交響曲第15番」の間に首席ソロコンサートマスターの森下幸路が独奏する外山の自作、ヴァイオリン協奏曲第2番(1964年のソナタを1966年に協奏曲へ改訂)をはさむプログラムに興味を惹かれ、大阪行きを決めたのだが、会場に着いてみると協奏曲の前にもう1曲、「バレエ音楽《お夏、清十郎》」の「パ・ド・ドゥ」という自作のレア物が追加されていた。おかげで前半は編成の異なる3曲に対応するため、ステージマネージャーが大忙しの1時間となった。チャイコフスキーは滑り出し、異様にテンポが遅く沈鬱なので「老い」を感じたのも束の間、クライマックスにかけての壮大な設計の導火線だったと思い知り、一筋縄ではいかないマエストロの「老練」に唖然とした。


東京を出る前の午前8時、米国滞在中のフィンランド人指揮者&作曲家のエサ=ペッカ・サロネンと電話で話した。「貴兄の自作は十分に先鋭な同時代音楽でありながら、指揮者としての豊富な経験も踏まえ、聴衆を置き去りにしない親しみやすさがある」と指摘すると、「どんな音楽も全くゼロからは生まれない。民謡とか先行する時代の音楽とか、必ずレファレンス(参照文献)が存在する。私も様々なレファレンスに依拠しながら前へ進み、私の創作を新たなレファレンスとして聴衆に提示できるように努めている」と返してきた。「管弦楽のためのラプソディ」が代表する外山の作風も日本、アジアの多様なレファレンスの上に成り立ち、オーケストラをフルに生かし、ダイレクトに聴衆の耳に飛び込んでくる。バレエ音楽の小品で自身の世界を開き、森下の切れ味よく情熱的なソロを得た協奏曲で日本の深い音の森へと誘い込んだ。楽員は「ミュージック・アドバイザー」の長老に対し畏怖の念をもって接し、最大級の共感と緊張に満ちた響きで応えた。


ショスタコーヴィチ最後の交響曲では一転、底知れない恐怖の世界が広がった。第1楽章のロッシーニ、「ウィリアム・テル」序曲の引用パロディで微笑していたシニア層のお客様も第4楽章のワーグナー、「神々の黄昏」や「トリスタンとイゾルデ」などのレファレンスが現れたころには固まっていた。多感なハイティーン時代が終戦直後に重なった外山は同世代の例に漏れず、強い平和への思いから左翼的文化人の道を歩み、日本共産党への支持を公言した。旧ソ連でも度々客演指揮、チェロの巨人ムスティスラフ・ロストロポーヴィチのために作曲した協奏曲をモスクワで世界初演した。老獪なショスタコーヴィチすら折り合いをつけるのに難渋した社会主義リアリズムの時代のロシア=ソヴィエトをリアルに体験した日本人最後の世代に属するマエストロである。今から30年前の「ベルリンの壁」崩壊の2年後、ソ連も崩壊してロシアに戻った。「あいつは赤(共産党)だから」と実力に比して地味なポジションに追いやられ、叙勲褒賞の類の順位も万年下位にとどまっていた外山にも遅ればせながら、静かに音楽へと集中できる時代が訪れた。


大阪響の懸命の力奏で克明に再現される仄暗く、皮肉に満ち、絶望の果ての奇妙な明るさに彩られた響きの数々はハードボイルドの極み。社会主義リアリズムと時代を共有した長老マエストロならではの音楽に、客席は震え上がった。


だいたい名フィル、大阪響など地元のオーケストラを外来の世界トップクラスと比較し、ネガティヴな意見を述べること自体、ナンセンスである。小泉も外山も、それぞれの持ち場で真剣にオーケストラと向き合い、鍛え、良質で個性的な音楽を地域の聴衆に提供し続けている。この「生地」があってこそ、「トッピング」も映えることを忘れてはならないだろう。




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