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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

室内楽を聴く〜矢部&横山&澤畑と花房・戸田・水谷・佐々木・横坂・市川


ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団日本ツアーの合間を縫い、2つの日本人アーティストの室内楽公演に足を運んだ。名曲も珍しい作品も、たくさん楽しめる時間だった。


1)澤畑恵美・矢部達哉・横山幸雄が贈る「午後の優雅な時間」

(2020年11月12日、東京オペラシティコンサートホール)

シューマン「連作歌曲集《女の愛と生涯》」「アラベスク」/ブラームス「間奏曲作品118−2」/ショパン「バラード第1番」/ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第9番《クロイツェル》」

アンコール=①クライスラー《ボッケリーニの主題によるアレグレット》②プッチーニ「歌劇《ジャンニ・スキッキ》よりラウレッタのアリア《私のお父さん》」

ヴァイオリニストで東京都交響楽団ソロ・コンサートマスター歴30年の矢部&ソプラノで二期会会員の澤畑の夫妻、矢部とのデュオ演奏を始めて25年になるピアニストの横山が巧妙に組み合わさった昼下がりのコンサート。圧巻は《クロイツェル》だった。1995年、勤務先で企画したガラ・コンサートに際し矢部、横山に「1度だけで良いから、共演して」と懇願して生まれたコンビが四半世紀の時を刻んだと知り、愕然とする。このところ鈴木理恵子、小林美恵、竹澤恭子と女性奏者で高いテンションの《クロイツェル》を立て続けに聴いたので、冷静沈着な(でもライヴの迫力に富む)矢部の演奏に接し、再現芸術におけるジェンダー(性差)の妙味を実感する。ソロでは素っ気ない横山のピアノが矢部の弦の響きを得て、全く別の輝きを放つケミストリーの醍醐味も存分に味わう。


澤畑はドイツ物への出演歴も豊富なプリマドンナだが、イタリア留学組であり、リート(ドイツ語歌曲)を歌う機会は稀だ。《女の愛と生涯》は音域も低めなので、決して歌いやすいとはいえず、ドイツ語の歌詞を明確に、じっくりと語り聴かせるまでの余裕はないように見受けられた。アンコールのイタリア語アリア《O mio banbino caro!》で高音のアクートが伸び伸びと美しく決まり歌詞もはっきり聴こえたので、やはり本領はこちらかと納得した。


2)花房晴美室内楽シリーズ「パリ・音楽のアトリエ《第18集“ウィーン”》」

(2020年11月13日、東京文化会館小ホール)

花房晴美(ピアノ)、戸田弥生(ヴァイオリン)、水谷晃(同)、佐々木亮(ヴィオラ)、横坂源(チェロ)、市川雅典(コントラバス)

ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第14番《月光》」/コルンゴルト「ピアノ五重奏曲」/クライスラー「ウィーン小行進曲」「愛の哀しみ」/シューベルト「ピアノ五重奏曲《鱒》」

アンコール=シューマン「《子どもの情景》から第7曲《トロイメライ》」

シリーズ18回目にして初めてフランス音楽が消え、ベートーヴェンからコルンゴルトに至るウィーン音楽史のパノラマを描いた。もっとも1991年の旧ソ連崩壊&冷戦終結後のウィーンは、東西両陣営のスパイが蠢きマネーロンダリング(資金洗浄)の温床だった暗黒都市の側面が雲散霧消、世界から観光客が殺到し「ドイツ語を話すパリ」みたいなテーマパーク化が進んだから、この程度の越境は想定の範囲内なのかもしれない。パリに学び、フランス音楽を得意とする花房の弾く《月光》には、そうした越境感が程よく漂い、魅力的だった。


神童だったコルンゴルト24歳の力作(1921年作曲)は第一次世界大戦が終結した直後のヨーロッパの破壊と混乱、再生への意思が怒涛のように混濁、一貫性を持たせて演奏するのは至難の技と思われる。かつて広島市フランチャイズのマイ・ハート弦楽四重奏団と藤井由美(ピアノ)によるCD録音とコンサートを手伝ったこともあり楽曲の存在自体は知っていたが、常設ではないカルテットと花房のようなスター・ソリストが一致したスタイルで再現するには、また別の難しさがある。ここでは花房、第1ヴァイオリンの戸田の女性2人が体当たりで大きなソリスト・アーチを架け、男性奏者3人がその行間を埋めていく方向のアプローチが選ばれ、かなり表現主義的な演奏効果を上げていた。久しぶりに聴く戸田。あの熱く野生的な味わいは健在で、花房とのデュオで奏でたクライスラーも絶品だった。


「鱒」では花房のタッチと音色の美しさ、早めのテンポで前へ前へと進む溌溂としたエネルギーが際立った。弦の4人も楽しそうだ。今までシューベルトの演奏家のイメージを持ったことがなかったが、花房には今後、もっと弾いてほしい。戸田とのデュオでも、聴きたい。

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