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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

名指揮者を得て輝いたアルバレスの美声


会場に張り出された公演ポスター

アルゼンチン出身のテノール、マルセロ・アルバレスを久しぶりに聴いた(2019年2月7日、東京オペラシティコンサートホール)。1962年2月27日生まれなので、間もなく57歳になる。高音の男声歌手としては難しい時期に差しかかった上、ステージ上で咳払いしたり、管弦楽だけの演奏中に下手袖から発声練習が聴こえるなど、必ずしもベストコンディションとはいえなかったが、持ち前の美声とチャーミングなステージマナーでスターの魅力を振りまき、客席を魅了した。同行したワシントンDC出身の米国人指揮者、カマル・カーン http://www.kamalkhan.com/new-page-1/ は素晴らしい手腕と音楽性の持ち主で、まだ若い東京ニューシティ管弦楽団からオペラの感興に富む響きを自然に引き出し、歌手抜きの序曲や間奏曲を聴きごたえ十分の音楽に仕上げた。絶好調とはいえないアルバレスの声を巧みに支え、音量やフレーズを自在に動かし、最大の成果をもたらそうと努める。


アルバレスは元々、家業の家具製造業を継ぎ、妻の勧めで声楽を始めてオペラに転じたときは33歳だった。優れた容姿、美声で瞬く間に世界的スターとなり、日本にも頻繁に来演。私にとっては、自分がかかわった2001年のフィレンツェ歌劇場日本ツアー「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」のアルフレード、あるいは同年の新国立劇場「リゴレット」のマントヴァ公爵(田口興輔とのダブル!)など、ヴェルディのテノールという印象が強い。当時はもう少し軽い声だったが、天性の美声に依存する部分が多く、全身共鳴というよりは強靭な喉を駆使する発声に一抹の不安を覚えた記憶がある。


20年近くを経た今、声は予想以上に保たれていた。少しずつ重い役に移行してきて、ヴェルディよりはプッチーニ、フランス歌劇を中心に歌っているようだ。元々バリトンを思わせるダークな音色は一段と陰影を増し、大人のマッチョな男性の色気を放つ。アクート(最高音)を張り上げるところは意外なほど決まる半面、ソットヴォーチェ(弱音)やファルセット(裏声)の支えが甘くなり、妙に不安定な箇所がある。昨夜のコンディションにもよるのだろうが、フレーズの支えも長くは続かず短めにとるので、終止がオーケストラに先んじてしまう場面が何度かあった。それでもアルバレスが人々を魅了するのは、歌に対する熱い思いと、エンターテイナーとして客席をとことん楽しませようとするサービス精神の賜物だ。


本編では前半の「ル・シッド」(マスネ)の「おお裁きの神、父なる主よ」と、後半の「ロメオとジュリエット」(ザンドナーイ)の「いとしいジュリエッタ」が最も見事だった。アンコールでは得意のタンゴを2曲とイタリアの歌「忘れな草」。「まだ、歌わせるの? ならもっと、ブラーヴォーしてよ」みたいにすねて笑わせ、1曲ごとに大きくなるミネラルウォーターのボトルを抱えてステージに突進してくる仕草とか、とてもコミカルでチャーミング。私の世代だと、ザ・ドリフターズのコントに近いノリを感じたはずだ。声楽テクニックやドラマトゥルギー(作劇術)の詳細に関しては「ツッコミどころ」満載なのだが、そんなことはどうでもいい、とにかく楽しく、幸せな気分にしてくれた芸人精神に感動した一夜。

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