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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

勅使川原三郎演出、新国立劇場「オルフェオとエウリディーチェ」の古典様式美


百合の花が大道具、小道具で効果的に使われる。花言葉は純粋無垢

ニューヨークから帰国した翌日の2022年5月22日、新国立劇場が新たに制作した勅使川原三郎演出のグルック「オルフェオとエウリディーチェ」最終公演を観た。初台はメトロポリタン歌劇場よりも地味で小ぶりなオペラハウスだが、プロダクションだけでなく、目の肥えた客席の質に改めて感じ入った。20年ほど前、オペラ部門とバレエ部門が初めて共同制作した「ラヴェル・プログラム」が音楽ファン、舞踊ファン双方から敬遠され不発に終わった過去を思えば、隔世の感がある。


先ずはダンサーと振付家が本職の勅使川原がオペラ演出にも習熟、さらに愛知県立芸術劇場の芸術監督にも就いてプロデューサーの「目」を深めたことが功を奏した。社会の様々な階層の共感を幅広く得られる舞台を「足し算」ではなく「引き算」を基本にすっきりと造形、音楽と身体表現それぞれの根源的な力を最大限に発揮させた手腕は見事といえる。バレエに疎い人にもウクライナ人ダンサー、アレクサンドル・リアプコの貴族的優美さをたたえた踊りは強く訴えかけたはずだし、オペラに疎い人もオルフェオ役の米国人カウンターテナー、ローレンス・ザッゾの自由自在な表現力と豊かな声量に驚いたはずだ。他の歌手、ダンサーも適材適所にはまる中、勅使川原が愛知県のオーディションで発見した佐藤静佳を早速起用するなど、劇場間の地域連携への視点も忍ばせていたのは興味深い。舞台に現れる大きな円盤、大道具と小道具に使う百合の花が人生の変転や蹉跌、輪廻転生などを象徴し、大袈裟な装置や動きを排し、音楽と舞踊の両面で古典をリスペクトした格調の高さに目を瞠った。


鈴木優人は10年あまり前に文京シビックセンターで、音楽学者の瀧井敬子が編纂した森鴎外訳「オルフェオとエウリディーチェ」日本語版を指揮したことがある。当時に比べ指揮者として長足の進歩を遂げ、モダン楽器のオーケストラやバロック歌劇専門ではない歌手、ダンサーや他ジャンルのミュージシャンらとのコラボレーションにも積極的に取り組んできた蓄積が、今回の上演における強い求心力と牽引力に結びついた。ピリオド(作曲当時の)奏法に習熟しているとはいえない東京フィルハーモニー交響楽団(コンサートマスター=依田真宣)を精一杯スタイリッシュに整え、柔軟で踏み込みのいい音楽を奏でさせた。


同じ時間帯、隣の東京オペラシティコンサートホールでは父の鈴木雅明がバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)を指揮してJ・S・バッハを奏でていたし、東京フィルも名誉音楽監督チョン・ミョンフンとのフランス音楽プログラムの定期公演に同じ渋谷区内のBunkamuraオーチャードホールで臨んでいたので、BCJも東京フィルの最強メンバーもオペラのピットには現れなかった。結構「お上りさん」が多いニューヨークの劇場の客席を体験したばかりの身には、管弦楽に不満を述べる事情通のファンの存在すら、東京の音楽シーンの高い水準を物語るエピソードに思えた。帰国早々、洗練され品格確かな舞台に出会えて幸せだった。


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