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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

分厚い「コロナの雲」に真正面から切り込んだテノール、山本耕平のリサイタル


曲目解説も訳詞もエッセーも、すべて自分で執筆

二期会会員の山本耕平は鳥取県米子市出身の新進。プロの音楽家を目指した後もクラリネットから声楽、バリトンからテノールとギアチェンジを重ね、今や日本を代表する中堅テノールの1人に数えられる。2020年8月7日、東京文化会館小ホールで前田拓郎のピアノと共演したリサイタルは「五島記念文化賞オペラ新人賞」の研修成果発表として東急財団が主催、(株)二期会21が制作した。ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離の設定)を踏まえ、1席ごと交互の客席ながら満員。日本オペラ界の重鎮や山本を支援してきた俳優の辰巳琢郎一家(娘の真理恵がソプラノで長く山本と共演)ら、華やかな顔ぶれが並んだ。


今の日本、世界を覆う新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の重苦しい雲を突き抜くような、芯の強い美声が忍耐の日々を半年以上も送る人々を励まし、慰め、勇気を授けた。トップ画像左半分のプログラムをご覧の通り、前半がトスティとレスピーギのイタリア近代歌曲、後半がドイツ、イタリア、フランスのオペラアリアとトスティ、ガスタルドンの歌曲。アンコールはカルディッロの「つれない心(コーレングラート)」。本編の最後にガスタルドンの「禁じられた音楽(ムジカ・プロイビタ)」を置いた1点だけ挙げても、知的に練り上げ、自身の声の質と最もよく響く音域を十分に考慮した素晴らしいプログラムである。楽曲解説も訳詞も、これまでの歩みを振り返るエッセーもすべて、山本自身が書き下ろした。


私もプレトークとはいえ、久しぶりに大勢のお客様を前にしたステージでコロナ以前の感覚を取り戻すのに苦吟、すっかりテンションがおかしくなる経験をしたばかりなので、ただでさえ負担の大きいソロ・リサイタルをこの時期に開くプレッシャーは相当に大きかったはずだ。もともとエンジン全開までに少し時間が必要な喉でもあるらしく前半、後半ともそれぞれの前半よりも後半の方が自然な音楽のノリを感じさせた。バリトンも経験しているので低音の支えがしっかりと艶やか、高音にかけても響きが薄っぺらにならず、ガツンと届くのは爽快である。特殊な状況の下での高いハードルへの挑戦が影響したのか、音色の多彩さがいつもより狭められた気がする。その中で、山本の繊細で深い音楽性はアクート(最強&最高の音)よりも、弱音から中くらいの音域でじっくり旋律を歌い込む部分に現れていた。全曲を通じて汚い音、嫌な音を1箇所も出さなかった響きのコントロール力には、器楽奏者としても専門教育を受けた蓄積がしっかりと生きていた。前田のピアノも控えめながら確かな様式感、歌との呼吸の一致を示し、リサイタルの成功に大きく貢献した。


半面、響きを美しく整える執念がディクション(口跡)の明晰さを犠牲にする箇所が散見されたのは、以前の山本には目立たなかった課題かもしれない。ドイツ語もイタリア語も母音をきれいに鳴らそうとするあまり子音の圧力が後退、多くの単語がレガートで(途切れなく)処理される結果、フレーズは美しく決まるが、テキスト(歌詞)の語りかけには不足、瞬間的に意味を理解しながら鑑賞する楽しみを削ぐようなところがあったのは残念だった。燕尾服も似合い、舞台姿も凛々しく決まっていたので今後、リサイタリストのキャリアにも大きな期待を持てそうだ。Bravo!


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