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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

仲道郁代の濃密なシューベルトの迷宮


攻めの姿勢!

ピアニスト仲道郁代が昨年から10年計画で始めた「ベートーヴェンを極めるピアノ道」のvol.2を2019年5月26日、サントリーホールで聴いた。タイトルは「悲哀の力」。ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ第8番《悲愴》」とブラームスの「8つのピアノ小品」作品76が前半、シューベルトの「ピアノ・ソナタ第19番」D958が後半。アンコールはシューマン「トロイメライ」、ブラームス「間奏曲」作品118の第2番、そしてお約束のエルガー「愛の挨拶」だった。「悲しみと哀しみ。この二つの言葉が重なったとき、実は、密やかな、ささやかな抵抗の力を感じるのです。悲哀の中から立ち上がる力というものが、そこには必ず潜んでいる」と、仲道は選曲の背景をプログラム冊子の冒頭に記している。


柔らかな雰囲気、笑みを絶やさず、物静かな女性……といったイメージを持たれがちの仲道だが、審査やコンサートの仕事をご一緒すると、決然と自分の意見を述べ、芸術と向き合う求道者の厳しさをみせる場面にたじろいでしまう。「悲愴」はまだ、「ムーミン谷の住人」のような甘さを残していた。ブラームスとシューベルトでは完全に、「悲哀」の実態をとらえ、つかんで、逃すまいとする修験者の世界へと突き進んだ。今年4月に同じプログラムを兵庫県立芸術文化センターで弾いたときは「ブラームスの第8曲、カプリッチョのハ長調の勇ましさが自分の感覚として、阪神淡路大震災の被災地にそぐわない」と思い、東京のアンコールと同じ「間奏曲118の2」に差し替えたという。演奏会当日の限られた時間を超えて、その土地と人々の歴史をみつめ、よりスピリチュアルなコミュニケーションの媒体として、仲道は音楽をとらえているようだ。アニー・フィッシャー、エリー・ナイら、往年の「苦みばしったお婆さん」系女性ピアニストの道に「大きく踏み出したな」と感じた昨年来の感覚は、私の中でより強くなりつつある。


シューベルトの読譜や練習を続ける過程のどこかで、仲道はとてつもなく怖い世界、究極の悲哀と出会ってしまったのだろうか? あるいは「……のようなもの」を背筋に感じ、その正体を突き止めようと迷宮に進んで分け入り、シューベルトの魂と濃密な会話を試みているのだろうか? 昨年はニューヨーク・スタインウェーだったが、今年の楽器はヤマハCFX。やや木質系の朴訥な響きのする瞬間はシューベルトに最も適している。ヤマハを愛し、素晴らしいシューベルトの解釈者でもあったスヴャトスラフ・リヒテルを思い出す水墨画風の音の世界に、いつしか自分も完全に引き込まれていた。



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