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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

メルニコフと東誠三、東京文化会館小ホールでシューベルトのソナタを聴き比べ

更新日:2022年4月11日


ともにピアノはスタインウェぃ

週末の名古屋往復をはさみ、上野の東京文化会館小ホールで2つ、シューベルトの「ピアノ・ソナタ」をメインに据えたリサイタルを聴いた。アレクサンドル・メルニコフ(2022年4月7日)と東誠三(4月10日)。ともにアポロ的ではなく、シューベルト奥底の強烈な心の疼きを分かち合い、呻吟する演奏だった。メルニコフは頻繁に来日してきたが、今回はウクライナの有事勃発後、恐らく最初に来日したロシア人ソリストということで、妙な注目を集めてしまった。東は昨年に続きラフマニノフと組み合わせたプログラミング。ラフマニノフを技巧の展覧会とせず、深い祈りをたたえた宗教的感情の作品として、じっくり弾き込んだのが印象的だった。


メルニコフは前半の「ピアノ・ソナタ第13番D664」「3つのピアノ曲D946」に1時間を費やした。いわゆる「ロシアのピアニズム」を象徴する技や音圧を極力抑え、ペダルも控え目にして、最弱音から音楽の構築する雰囲気、感触は独特。いつになくミスも出る。音色は澄み切っているが、晴れ晴れした境地の真逆、すべてが無に帰していく状況における諦念のようなものを感じ、慄然とした。後半、《幻想》の通称を持つ「ピアノ・ソナタ第18番D894」ではこちらの耳が慣れたのか、メルニコフのテンションが安定したのか、はるかに整理のついた再現で名演奏の賞賛に値する半面、絶望の先の安息=死がはっきり意識され、恐ろしく深い音楽だった。アンコールに突然、プロコフィエフ「《束の間の幻影》作品22」の奇妙な第17曲を弾くメルニコフの脳裏にはいったい何が去来していたのだろうか? 


東誠三も前半のラフマニノフ、「13の《前奏曲集》作品32」に1時間をかけた。作品32は昨年弾いた作品23の《前奏曲集》に比べ「一つの気分もしくは精神状態を表している」(東自身が執筆したプログラムの解説より)という解釈の基本に立ち、メルニコフが弾いたシューベルトの「3つのピアノ曲」に匹敵する内面世界の凝視に徹した。もともと上半身が安定、あまり身体を動かさないピアニストなので、あえて目を閉じて聴くと、音のニュアンスを実に繊細に変化させていく様が良くわかる。後半のシューベルトも比較的ゆっくりしたテンポをとり、絶妙のパウゼ(間)を置き、スビトピアノやスフォルツァンドも効果的に使いながら、千変万化するシューベルトの音楽の「相」を克明に追いかけていく。構えの大きな作品だからといって大言壮語せず、作品とのひそやかな対話に徹した姿勢が好ましかった。アンコールはラフマニノフの「《前奏曲》嬰ハ短調作品3の2(《鐘のプレリュード》)」と、シューベルトの「《即興曲集》D899〜第2番変ホ長調」の2曲。節目の年(還暦)にふさわしい、充実のリサイタル。しばらくラフマニノフ、シューベルトを究めるというから、楽しみにしている。



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