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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

ベートーヴェンの誕生日に大阪で聴いた今峰由香のピアノ。ソナタ第30〜32番


2020年12月16日は、ベートーヴェン250回目の誕生日だった。前日までの2日間、滋賀県びわ湖ホールでテノール歌手、福井敬のレコーディングに立ち会っていた私は京都のホテル滞在を1泊延ばし、大阪のザ・フェニックスホールへ、作曲者より200歳年少の今峰由香(ピアノ)による「ベートーヴェン:最後の3つのソナタ」の演奏会を聴きに出かけた。


今峰との出会いは24年前に遡る。1996年。当時の勤め先で社内提案して実現したテアトロ・コムナーレ・ディ・フィレンツェ(フィレンツェ歌劇場=現在のフィレンツェ5月音楽祭劇場)の初来日の準備でイタリアへ出張した折、「作曲家メノッティの85歳記念に同席しないか?」と旧知のピアニスト、ジャン=イヴ・ティボーデに誘われ、レンタカーでスポレートを目指した。伝説の作曲家との出会いも幸運ながら、音楽祭の広報から「今年のアレッサンドロ・カサグランデ国際コンクール優勝者のリサイタルがあるのですが、日本のピアニストですよ!」と告げられた。全くの予備がないままに、今峰の演奏を初めて聴いた。


終演後、楽屋を訪ねた。「大阪出身で関西学院大学文学部を卒業後、直ちにミュンヘン音楽大学へ留学、さらにローマの国立サンタ・チェチーリア音楽アカデミーでも学んだので、東京の方には全く知られていなくて、当然ですよね」。話しぶりは、骨格がしっかりしていて無駄口を叩かず、内面をすっきりと伝える知的な演奏ぶりとも、見事に一致していた。


以後20年、今峰の演奏に接する機会はなかった。2016年、ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ第24番《テレーゼ》、第25番、第26番《告別》」などを収めたドイツ録音のCDが日本のレーベル「ライヴ・ノーツ」(ナミ・レコード)を通じて国内発売され、今峰の健在と円熟を唐突に知ることになる。ドイツ人と結婚してミュンヘンに居を構え、32歳の若さで母校ミュンヘン音大の教授に就任していた。2017年12月にシューベルトの「ピアノ・ソナタ第20&21番」を東京と大阪で弾くのに先立つインタビューで、21年ぶりの再会が実現。「スポレートでいただいた名刺、まだ持っていますよ」と言われたときは、嬉しかった。


ベートーヴェン「最後の3つのソナタ」は生誕250年の今年、今峰がドイツと日本の両国で企画したリサイタル・ツアーの曲目だったが、最終日のはずの大阪が唯一の実現公演となった。「250年前に生を受けた一人の作曲家に、フェニックス(不死鳥)という名のホールで、畏敬の念と想いを馳せることができればと思います」と、今峰はプログラムに記した。


前回のシューベルトでも感じたが、どうやらスロースターターらしい。「第30番」では手も楽器(ハンブルク・スタインウェイ)も温まりきらず硬質の音、とりわけ右手にやや頼りない印象を受けた。「第31番」になるとエンジンが全開して状況は一変。左手の温かく厚みのある低音がつくる大きな土台の上で、どこまでも透明な水晶を思わせるクリスタルな高音が自由自在に動き回り、作曲家がこめた様々なニュアンス、音楽のアイデアなどが克明に再現されていく。縦の線をきっちり合わせるのではなく、確かな横の流れのなかに色とりどりの和声が明滅する感覚自体、日本よりもヨーロッパで長く活躍してきた蓄積を思わせる。


「第32番」はさらに見事な演奏だった。作曲者が第2楽章「アリエッタ」(32曲のソナタ全体にとっても最後の楽章)にこめた想いが最大限に弾き出されていく時間を共有するうち、J・S・バッハからベートーヴェンへと展開した音楽史の流れとともに、洋の東西や時空を超えた人間存在に普遍の「祈り」の感情の崇高さに深く、胸を打たれる結果となった。


今峰がプログラムの最後に引用した1827年のベートーヴェンの言葉:「辛抱しながら考える、一斉の禍は何かしら良いものを伴って来ると」を確信させる、味わい深い夜だった。

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