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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

ベートーヴェン のソナタ全10曲+2曲3人のピアニストと完走した小林美恵


終わってしまえばアルバム上の思い出に。次の歩みが始まる

ヴァイオリンの小林美恵が新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大に伴う活動自粛期間中、長く苦手意識を持ってきたベートーヴェンの音楽に目覚め、「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」全10曲を3回に分け、3人のピアニストと弾く演奏会に打って出た。事前の意気込みについては2020年9月18日、当HBで単独インタビューを公開している:


ここでは、各回の模様をレビューする。会場は3回共通、東京・富ヶ谷のhakujuホール。


1)ソナタ第1、2、3番、第9番《クロイツェル》

アンコール:第5番《春》第3楽章

ピアノ:阪田知樹

(2020年10月23日)

阪田とは初共演にもかかわらず、いきなり快調に滑り出した。まだモーツァルトの影響も色濃く「ヴィオリンのオブリガートを伴ったピアノ・ソナタ」の痕跡が残る箇所のバランスも良くとれていて、若い作曲家の気概が伝わってくる。半面、初回特有の緊張感からくるであろう力みが、とりわけヴァイオリンの音色を犠牲にした部分は否めない。第2番に入るとペースをつかんだのか、軽やかさが戻ってきて、緩徐楽章の〝透明な歌心〟に接した瞬間、「降りてきた!」と思った。阪田のピアノの「知の刃」の輝きも、どんどん増してきた。第3番の高揚感は稀にみるレベル。終結部のユーモアに至るまで、生命感に満ちていた。《クロイツェル》冒頭のヴァイオリン・ソロは、J・S・バッハの無伴奏曲のように厳かに響いた。阪田の間のとり方も絶妙。音楽が嵐のごとく、駆け抜ける。第2楽章ではかぐわしい香り、リズムの妙をたっぷりと味わう。第3楽章は疲れを知らず、天へ天へと上っていった。


2)《ロマンス》第2番、ソナタ第6、7番、《ロマンス》第1番、ソナタ第8番

アンコール:「ピアノ・ソナタ第8番《悲愴》」第2楽章(ヴァイオリンとのデュオ編曲)

ピアノ:秋場敬浩

(2020年10月29日)

小林がCOVID-19自粛明けの試演会的公演で上田晴子と弾き、「ベートーヴェン が私の中に降りてきた」と直感した運命の1曲、《へ調のロマンス》で始まった。明らかに前回より調子を上げ、胸に迫るヴァイオリンだ。秋場が伴奏の域にとどまり、オーケストラを想起させる和声感や色彩まで構築できなかったのは残念だが、スケールの大きなピアニストなので恐らく、小品より構えの大きいソナタの方が適しているだろうとの直感は「当たり」だった。第6番が始まると左手の豊かなソノリティ、右手の高音の煌めきが全面展開、ヴァイオリンとの融通無碍な音楽の会話を繰り広げる。秋場のピアノには「新しい世代の輝き」があり、小林の力強さ、優しさを兼ね備えた弦の響きから、多彩な「相」を引き出していく。第7番は「きれい事では終わらせまい」とする激烈な演奏ながら、思い切ったスビトピアノ(急激な音量の減衰)など芸の細かさにも事欠かず、ベートーヴェンにとって「運命の調性」であるハ短調の名曲を描き尽くした。《ト調のロマンス》の微笑みはそのまま第8番に持ち込まれ、多幸感に満ちた開始。ピアノの脱力も進み第2楽章のロマンティックな情感、第3楽章のラプソディックなグルーヴ感(ノリ)の対照まで、充実のデュオを堪能した。


3)ソナタ第4番、第5番《春》、第10番

アンコール:《ロマンス》第2番

ピアノ:上田晴子

(2020年11月6日)

小林に「ベートーヴェン開眼」のきっかけを授けた上田は、パリ音楽院での教職もあってフランス音楽のイメージが強いが、ジャン=ジャック・カントロフ(ヴァイオリン)と日本で「ヴァイオリン・ソナタ」全曲演奏会と録音を成功させた実績もあり、ベートーヴェンにも造詣が深い。第4番冒頭のピアノのパッセージからして、すでに「ベートーヴェンを感じさせる音」を放った凄みに先ず、圧倒された。小林も激しい気迫で応えてどんどん上昇し、弦の音が形而上の世界へと入っていく。ヴァイオリンが前面に出るソロ、ピアノの裏に回るオブリガートの弾き分けも前2回より明確となり、連続演奏会におけるワーク・イン・プログレスの効用を実感する。ヴィブラートを控えめにして古典の格調を保ち、全身全霊を集中した芯のある弱音が音楽の美を一段と際立たせる。2人の共演歴は長く、強烈なキャッチボールを楽しむゆとりもある。弱音での終始で拍手を待たず、アタッカ(切れ目なし)で開始した《春》の解釈は超個性的だった。多くの演奏家が「浮き立つ春の気配」を軽やかなリズム、早めのテンポで謳歌するのに対し、小林は長調と短調の楽句を鮮明に弾き分けながら陰影を大きく描き、春の中に潜む儚さや一瞬の高揚の後に訪れる哀しみの方に、より多くの愛情を注ぐのだ。とりわけ第3楽章の翳りは、今までに聴いたことのない音楽だった。


第10番冒頭の〝つぶやき〟を決め、続く陽性の楽想では晴朗きわまりない歌を奏で、コンサートは「神回(かみかい)」の様相を呈してきた。第2楽章のリート(ドイツ語歌曲)を思わせる味わい、第3楽章中間部のエレガンス、第4楽章の澄み切った境地と自由自在のデュオの会話…聴き進むうち、私の脳裏にはドイツ語のBefreiung(ベフライウング=解放)という単語が鮮明に浮かび上がった。短期間に大きな山脈を制覇した小林のみならず、《クロイツェル》から9年のブランクを経て書いた第10番を以て「ヴァイオリン・ソナタ」のジャンルを卒業したベートーヴェン自身にとっても、ある種の精神の解放があったはずだ。締めの《へ調のロマンス》では、上田の絶妙な和声感、強弱自在の手綱さばきに支えられ、小林は安堵の表情を漂わせながら作曲者、共演者、主催者、聴衆全員への感謝の歌を奏でた。

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