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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

小林美恵がピアニスト3人とベートーヴェンのソナタ全10曲をHakujuホールで


「私にとってベートーヴェンは長い間、遠い音楽。『いずれは弦楽四重奏曲をシリーズで手がけたいな』などと、漠然と考えていただけで、あまり積極的に取り組んできませんでした。生誕250周年も『違う世界の話』と思っていました」


2020年10月末ー11月初の2週間に東京のHakuju(白寿)ホールでベートーヴェンの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」全10曲を3回の演奏会、毎回ピアニストを替えて挑む抱負を聞こうと、ヴァイオリニストの小林美恵に試みたテレワークのインタヴューは、〝衝撃の告白〟で始まった。昭和の大ピアニスト、園田高弘(1928ー2004)の「私の履歴書」(日本経済新聞「文化」面、後に春秋社から単行本「ピアニストその人生」として補筆発売)の準備で、私が目黒区内にあった園田宅へ頻繁に出入りしていたころ、小林は同世代の豊嶋泰嗣や先輩の前橋汀子らとともに園田の室内楽パートナーに何度か指名され、ドイツ音楽の解釈について「地獄の特訓」を受けていた。ベートーヴェンでは「第4番、第9番《クロイツェル》、第10番とアンコールで第5番《春》の第1楽章を共演しました。お宅に通い、教えていただいた内容は今も鮮明に覚えています。『そんな、お尻に火がついたような演奏をするんじゃない!』と、注意されたりして(笑)。先生が亡くなられた後も『まだまだ(時期尚早)』と思い続け、長い時間が過ぎてしまったのです」


「敬遠」から一転、「全曲」へと舵を切るきっかけは今年(2020年)6月12日、同ホールが企画した有観客公演再開の一環、「Hakuju New Style Live〜心が喜ぶ演結び 新しい出会いの形へ〜」に、ピアノの上田晴子と出演した際に突然訪れた。2月以降の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)世界的拡大(パンデミック)に伴い、自宅待機を余儀なくされた演奏家、聴衆、ホール関係者の渇望を癒すように午後3時と7時の2回、それぞれ入場者数を50人に絞って1時間の試運転に、2人が起用された。プログラムは昼がシューベルト「ヴァイオリン・ソナタ イ長調」、J・S・バッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番の《シャコンヌ》」、ブラームス「ヴァイオリン・ソナタ 第1番 《雨の歌》」、夜がJ・S・バッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第1番」、ベートーヴェン「《ロマンス》第2番」、フランク「ヴァイオリン・ソナタ」だった。「上田さんが『ベートーヴェンを入れたい』と強く望まれ、最初は《春》を考えたのですが、1時間の枠には収まりません。代わりに入れたのが、ヘ長調の《ロマンス》でした」


奇跡が起こった。「いざ弾いてみたら『ああ、これが私に必要な音楽だったのだ!』。なんと《ロマンス》が、一番ピンときたのです。私自身がびっくりしました」。舞台袖に戻るなり「『1時間のプログラムに《ロマンス》1曲では全然物足りない。この感動が続くようにしたい』という気持ちが猛然とわき上がり、即座に『ベートーヴェンのソナタ全曲を弾かせてください』とお願いしたのです」。8月末に「基本は番号順」と決め「コンサート開催に皆さん苦心されるなか、4日もホールを独占するのもしのびなく」、3回分のプログラムを組み立てた。10月23日の第1回は阪田知樹と「第1、2、3番と第9番《クロイツェル》」、10月29日の第2回は秋場敬浩と「第6、7、8番と《ロマンス第1、2番》」、11月6日は上田晴子と「第4、5《春》、10番」。「一応、第1番で始めますが、《クロイツェル》と第10番は別格の扱いです。年下の男性2人と同世代の女性1人。それぞれの持ち味とスケジュールを考えながら割り振りました。阪田さんとは初共演。秋場さんとは何度も共演していますが、私と同じで長くベートーヴェンを避けていらしたそうで、作品30の3曲(第6−8番)がどうなるのか、本当に楽しみです。すべてを1か月で準備します」


「それにしても何故、《ロマンス》でスイッチが入ったのかしら?」。小林はインタヴューの間に何度か、同じ言葉を繰り返した。「耳の病の悪化に対する絶望で始まりつつも、最後は再起の決意へと展開する《ハイリゲンシュタットの遺書》を思い浮かべてください。ベートーヴェンは絶えず葛藤を率直に表して人間や音楽、楽器の未来への強い希望を一度も捨てませんでした。風貌はいかつくても真の温かさや優しさを内に秘め、人々の心に届く旋律を惜しげなく書き連ねたエッセンスのすべてが、演奏時間10分弱の《ヘ長調のロマンス》にも、こめられているのではありませんか?」 私の推理が正しかったのか否か、よくわからない。それでも小林は「そうよね。普通ならヘナヘナと下降線をたどるだけの瞬間、逆にカーッと上がっていく。『ああ、これが人間なんだ!』と思わせる作曲家はバッハでもモーツァルトでもなく、ベートーヴェンを置いて他にありません」と優しく、同意してくれた。


「いつか、私にもわかるようになりますか?」と小林が尋ねたとき、園田は「ボーッと生きていたら、わからないよ」と答えたそうだ。おっとりとした雰囲気の背後で「ずうっと考え続けてきた」からこそ、《ロマンス》さらにはベートーヴェン全体との邂逅は訪れた。取材のお礼をメールすると、小林は「園田先生に今日のこと、お話ししたいな」と返してきた。


※「ベートーヴェン《ヴァイオリン・ソナタ》全曲演奏会」の詳細は、小林美恵の公式ホームページで:https://miekobayashi.com/concerts/

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