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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

ブロムシュテットのステンハンマルに、はんまる私

更新日:2018年10月26日


9月24日、私は還暦を祝った。昭和33年生まれなので昭和と平成、それぞれを30年ずつ消費した計算だ。では次の年号も同じだけ生き長らえ、90歳まで元気で仕事を続けられるかどうか、見当もつかない。NHK交響楽団の桂冠名誉指揮者、ヘルベルト・ブロムシュテットは2018年7月で91歳。4月に続く今年2度目のN響指揮、しかもA~Cすべてのシリーズを振りおおせた。実は私、この指揮者が長く苦手だった。N響客演、外国オーケストラとの来日の別を問わず、ベジタリアンゆえなのか、いつも「ガツン」と来るものが少なく「音楽性は豊かなのに、もったいない」と思いながら帰途についた記憶ばかり。ところが80代半ばから、あらゆる無駄が削ぎ落とされ、直球がスコンとこちらの胸や腹を打つようになった。希望の曲が何でも受け入れられる今、マエストロのルーツであるスウェーデンの作曲家を折に触れ、聴けるのも比較的最近の展開。4月に自身で校訂したベルワルドの「交響曲第3番」の熱い演奏を披露したのに続き、10月24日、サントリーホールのB定期ではステンハンマルの「交響曲第2番」をベートーヴェンの「同第6番《田園》」と組み合わせた。


前半の「田園」は正直、物足りず、以前のブロムシュテットを思い出してしまった。まあ、日本で過去に2回、(自分にとって)この曲最高の名演〜エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルとセルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル〜を聴いてしまったので、ちょっとやそっとの演奏では満足できない。ブロムシュテットのあまりに自然体で正攻法のアプローチでは、ヨーロッパ古典思想の根幹にかかわる「パストラーレ」の形而上的美意識の世界に到達できない、と批判的にならざるをえなかっただけだ。


光景は、後半のステンハンマルで一変した。何より、N響の鳴りが格段に違う。長くドイツ=オーストリア系のマエストロの数多くとベートーヴェンを演奏してきたはずなのに、オケのコンディションはステンハンマルの方が格段に安定、輝きを増した。私としても初めて実演に接する作品なので大したことは言えないが、4楽章形式の交響曲の基本を踏まえ、同時代の隣国人シベリウスにも敬意を表しつつ、スウェーデン独自の表現語法を究める作曲家の誠意がひしひしと伝わり、未知の作品を紹介する重責を十分以上に果たしたといえる。何とも民族色豊か、人懐っこい交響曲で想像力を刺激されたついで?に、楽曲解説にダジャレを連発した今は亡き鬼才作曲家の諸井誠(評論の際は「マコトニオ・モンロイ」、国籍不明風の筆者名を好んでいた)を唐突に思い出し「いけたく、今夜はステンハンマルに『はんまる』」と、意味不明の言葉を口走りながら帰宅した。長命の音楽家のご利益に浴した一夜。



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