top of page
  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

テレマンと愛知、2つの室内オーケストラが示したモダン楽器ピリオド演奏定着


今週は名古屋を2往復、同じホテル

2021年11月の第2週は長く親しい関係にある演奏家たちの「今」を確かめながら、小編成の18世紀音楽に浸る楽しみを2度、味わった。10日、東京文化会館小ホールの日本テレマン協会第282回定期演奏会と12日、名古屋の三井住友海上しらかわホールの愛知室内オーケストラ「豊嶋泰嗣プロデュース〜バロックから古典派〜弾き振りによる名手たちとの協演」。いずれもモダン(現代の仕様の)楽器とピッチによる演奏ながら、アーティキュレーションやフレージングをはじめとする様式感ではピリオド(作曲当時の仕様の)楽器の奏法を踏まえ、歴史的情報に忠実な演奏(HIP)に仕上がっていた。


モダン対ピリオドの対立が激しかった30年ほど前の状況は完全に過去のものとなり、今やモダンとピリオドの楽器持ち替えは世界標準、過激で奇抜な仕掛けで驚かすキワモノ的ピリオド奏者も、「古楽器なんて私には関係ない」とばかりに全音均等でブンブン弾き飛ばすモダン奏者も消えた。結果から振り返れば、あの強烈な闘いもまた、再現芸術であるクラシック音楽の魅力を高め、聴衆を増やす方向に貢献したのだと思う。


日本テレマン協会

指揮=延原武春、ヴァイオリン(コンサートマスター)=浅井咲乃、ヴィオラ=姜隆光、フルート=森本英希、リコーダー=村田佳生

テレマン室内オーケストラ(チェンバロ=高田泰治)

テレマン「四声部のための協奏曲ニ長調」「ヴァイオリン協奏曲イ短調」「リコーダー協奏曲ヘ長調」「フルート協奏曲ニ長調」「ヴィオラ協奏曲ト長調」「リコーダーとフルートのための協奏曲ホ短調」


先にナミ・レコード「ライヴノーツ」レーベルで録音したCDの発売記念公演。延原は1曲ごとに簡単な解説を加えたが、指揮は最初と最後の曲だけ(アンコールに最後の二重協奏曲第4楽章を再び演奏した際は指揮者なし)、オーケストラといってもソリスト兼で最大7人なので、実態は「大きめの室内楽」といえる。


しばらく聴かないうちに浅井がソロ、リードの両面で目覚ましく存在感と音量を増し、姜と高田ががっちりと支えるアンサンブルの基盤が強固になった。1963年に大阪で誕生した日本最古の18世紀音楽アンサンブルだけに、より先鋭的な後発団体の影に隠れた時期もあったが、長年のファンの支持は篤く、メンバーの世代交代とともに若い聴き手も呼び込み、健在ぶりを示した。まったりと合奏を楽しみ、客席に微笑みながら語りかける「なにわバロック」のスタイルは、バッハの峻厳さとは異なるテレマンの鷹揚な音楽世界に、抜群の相性と説得力を発揮する。


ディスクレビュー↓


愛知室内オーケストラ(ACO)

指揮・ヴァイオリン・コンサートマスター=豊嶋泰嗣、ヴァイオリン=林七奈、チェンバロ(ジャーマン・モデル「ミートケ」のレプリカ)=中野振一郎

ヴィヴァルディ「2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ長調」

J・S・バッハ「同ニ短調」

ハイドン「ヴァイオリンとチェンバロのための協奏曲ヘ長調」

モーツァルト「ディヴェルティメント第15番変ロ長調」

アンコール: モーツァルト「音楽の冗談」


最初2曲は豊嶋&林夫妻、ハイドンは豊嶋と中野のソロ、後半は豊嶋がコンサートマスター席に座りながら指揮、中野はハイドン以外の全曲でコンティニュオ(通奏低音)に入った。モーツァルトの「ディヴェルティメント」にチェンバロが入るのは珍しい。そこに加わる金管楽器はACOでは初のピリオド楽器、ナチュラル・ホルンだった。


首席や客演併せ全国のオーケストラでコンサートマスターを経験してきた豊嶋に対し、林も現在の大阪交響楽団をはじめ、豊富なコンマス歴を持つ。「2つのヴァイオリンのための協奏曲」、ヴィヴァルディでは豊嶋、バッハでは林がリードを兼ね、前者の明るく弾む音、後者の仄暗く重心のある音を見事に描き分け、引き出した。同業者夫婦でも端正な豊嶋、華麗な林とソロの個性がかなり異なる。「ウチはあえて合わせないのです」(林)とか。


中野も弾き振り経験豊かな奏者であり、状況を見据えながら鮮やかなソロで斬り込むところ、優雅なオブリガートで全体をギャラントに包み込むところの切り替えが相変わらず冴える。豊嶋と中野は桐朋学園大学音楽学部同期、1964年3月の早生まれで誕生日も数日違いの親友。モダン、ピリオドの世界が分断されていた時期に演奏活動を始めたため卒業後は疎遠だったが、2016年のデビュー30周年を機に共演を再開、素晴らしいディスクも出した。


前半を俯瞰した時、ハイドンがバッハとヴィヴァルディ双方の成果を受け継ぎ、さらに構築的な作曲(交響曲や弦楽四重奏曲など)に発展させた音楽史の軌跡が鮮明に浮かび上がる。ヴァイオリンとチェンバロの二重協奏曲は第1楽章にバッハ、第2楽章にヴィヴァルディのエコーを残しながら、第3楽章では敢然と次の一歩を踏み出し、自身のシュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)期の幕開けを宣言する。ひとつの楽曲の中で音楽史が変遷する、とても魅力的な作品だった。


対する後半のモーツァルトはそれら全ての様式を飲み込みつつ、まったく独自の音楽語法を繰り広げた点で、やはり「天才」の名に値する。ディヴェルティメントという機会音楽の体裁をとりながら、ギャラントな外面性よりはメランコリックな情感、耽美の世界に浸る時間が長く、コンサートマスターの超絶技巧のソロが次の時代への挑戦を思わせる。リハーサルで豊嶋が「一人一人が頑張って弾くのではなく、セクションごとにまとまって広がる響きを考えてください」と指示した通り、本番の弦は透明度を増し、柔らかな響きがホール全体を満たした。ナチュラル・ホルン独特の不均等な音色も、味わい深いアクセントを与えた。


ACOは3日前、愛知県芸術劇場コンサートホールで次期音楽監督の山下一史の指揮による全ストラヴィンスキー・プログラムを演奏したばかり。休みなしに翌日から豊嶋とのリハーサルが始まったので、20世紀から18世紀へのスイッチが「どこまで可能か?」という興味もあって、1週間に2度名古屋を往復した。結果は「問題なし」以上で、どうやら近代の難しい作品を何とかやりおおせた後の安堵感がバロック、古典の柔らかな響きを後押ししたようだ。バルブ、ナチュラルと2つの楽器を吹き分けたホルン奏者にも拍手を贈りたい。


※今年4月スタートの音楽サイト「FREUDE」ではACOをめぐる10回の連載を私が担当、編集者が指定する演奏会を定期的に鑑賞している。今回の豊嶋プロデュースは枠外のため、自分のHPで紹介した。これまでに公開された「FREUDE」の拙稿は次の通り:







閲覧数:342回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page