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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

コロナ禍の「令和2年度」を駆け抜けた新マエストロ、原田慶太楼とは何者か?


飲食でも服飾でも、いい店を見つけて気に入ると、何度も通いつめ、いったい何が自分の心をとらえたのかを徹底して突き止めたくなる。例えば、指揮者の原田慶太楼。2018年のブルガリア・ソフィア国立歌劇場日本公演「カルメン」(ビゼー)の担当指揮者として大々的にプロモートされた際は何故か聴く機会を逸した。最初にちゃんと聴いたのは2019年2月20日の「都民芸術フェスティバル」で、新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮した公演だから昔話ではないが、一瞬で「これは〝事件〟だ」と直観して以後、頻繁に接してきた。


とりわけ2020年3月以降の世界に広まった新型コロナウイルス感染症(COVID=19)によって世界中の音楽イベントが中止や延期に追い込まれ、日本では最初に無観客配信、次いでステージ、客席の両方でソーシャルディスタンスに配慮した再開公演で外国人指揮者が来日できなかった時期、自身も音楽監督に就いたばかりの米サヴァンナ・フィルハーモニックの仕事に戻れなかった原田は、日本国内北から南までの楽団で積極的に代役指揮を引き受け、急速に頭角を現した。原田の何がそれほど、魅力的なのか? 2021年1月30日から2月7日までの8日間に原田が指揮する演奏会を3回、それぞれのオーケストラが本拠地以外の外部主催者から請け負った〝売り公演〟の場で敢えて聴き通しながら、じっくりと考えてみた。


1)フレッシュ名曲コンサート(1月30日、めぐろパーシモンホール)

読売日本交響楽団、ピアノ=小井土文哉

ロッシーニ「歌劇《セビリアの理髪師》序曲」

グリーグ「ピアノ協奏曲」

ソリスト・アンコール:グリーグ「《抒情小曲集》第1集より第1番《アリエッタ》」

チャイコフスキー「交響曲第5番」


2)都民芸術フェスティバル「オーケストラ・シリーズNo.52」(2月2日、東京芸術劇場コンサートホール)

東京交響楽団、ヴァイオリン=前橋汀子

グリンカ「歌劇《ルスランとリュドミラ》序曲」

ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番」

ベートーヴェン「交響曲第3番《英雄》」


3)読売日本交響楽団特別演奏会(2月7日、ライフポートとよはしコンサートホール)

ピアノ=牛田智大

グリンカ「歌劇《ルスランとリュドミラ》序曲」

ショパン「ピアノ協奏曲第1番」

ムソルグスキー(ラヴェル編曲)「組曲《展覧会の絵》」


どれも、最高にゴージャスで楽しいコンサートだった。〝売り公演〟の場合、リハーサルは大概1日しかなく、そこで初共演のソリストとの一致点も見つけなければならないが、原田の無駄口をたたかず〝ツボ〟を押さえたリハーサルの効率良さには定評があり、後半メインの楽曲だけでなく、序曲や協奏曲でもオーケストラをフルに鳴らし、丁寧に音楽をつくる。チャイコフスキーは第1、第2ヴァイオリンを左右に分ける対向配置だが、めぐろパーシモンホールの舞台構造を踏まえ、第1ヴァイオリンの隣にヴィオラ、第2ヴァイオリンの隣にチェロ、その後方(上手側)にコントラバスを変則的に並べ、豊かなソノリティーを確保した。逆に《英雄》の第4楽章、冒頭の切り口上が終わって変奏の主題が提示される部分をトゥッティ(総奏)から首席奏者の弦楽四重奏にリダクションして、第3楽章から受け継いだ熱気だけで押し切る愚を避けた。ベートーヴェンが《英雄》を初演した年齢、35歳はそのまま原田の現在の年齢であり、「自分と同じ年齢の作曲者の等身大の音楽にこだわりたかった」との意図も鮮明だ。極めてシャープに引き締まり、生気あふれる音像を提示した。


原田は17歳でアメリカに渡り、ロリン・マゼールに手紙を書き弟子入りしたサクセス・ストーリーの一方で、ワレリー・ゲルギエフやユーリ・テミルカーノフらが継承するサンクトペテルブルク系の指揮法に惹かれ、モスクワで研鑽を積んだ。ポーランドの指揮者コンクールを受けたのを機に東ヨーロッパ圏の音楽の伝統、前衛音楽に開眼して「かなりマニアックに」研究もしてきた。チャイコフスキーの交響曲や《展覧会の絵》には蓄積の成果も明らかだった半面、ショパンの管弦楽では2年前の横浜みなとみらいホールで日本フィルハーモニー交響楽団を指揮した時よりも民族的リズムを強調せず、努めてストレートに振っていた。リハで「とても良く弾けているのだから、もっと強いメッセージを発してほしい」と原田が感じ、「とにかく熱い直球を投げ続けよう」と判断した結果である。本番の牛田は(特に第3楽章で)多少の破綻をものともせず果敢に突っ込み、目覚ましい成果を上げた。原田はオーケストラから豊麗な音響を引き出すだけでなく、陰影を描き分ける手腕にも長けている。


他の2人のソリスト。参加者の歩みや舞台裏を追ったNHKのドキュメンタリー番組で注目度を高めた第87回日本音楽コンクール(2018年)第1位、現在もイタリアのイモラ音楽アカデミーで研さん中の小井土文哉は1995年生まれ、17歳で東響にデビューして今年が共演60周年の前橋汀子は1943年生まれと、キャリアの立ち位置は両極端にある。小井土の柔軟に煌めく音の世界はアンコールの《抒情小曲集》に集約されていた半面、協奏曲では〝アガって〟しまったのか、第1楽章のカデンツァで自身の音楽を取り戻すまで固まり切るなど、協奏曲の弾き手としてはまだまだ、経験が不足しているように思えた。フォルテで大管弦楽と渡り合う瞬間の音のソノリティ、音色の幅にも改善の余地がある。それでも何か、すごく清潔で真摯な芸術の香りを漂わせていて、唯一無二の小井土ワールドを築く予感を抱いた。


前橋のブルッフを最初に聴いたのは、まだ学生時代。1970年代末の神奈川県立音楽堂、井上道義指揮日本フィルとの共演だった。その少し前には(実演は聴けなかったが)マリスの父で東響永久名誉指揮者、アルヴィド・ヤンソンスとも同じ曲を演奏していた。最近は弾く機会が乏しいのか、過去1年間に聴いた前橋の中では最もコントロールに苦吟していたが、語りかける「相」の多様性、「ロマン派とは何か」を実感させる演奏姿勢にベテランの凄みを漂わせ、結果的には非常に充実した音楽の時間を味わった。原田はブルッフの第2楽章のコーダ(終結部)へ入る前の弦楽合奏に精妙繊細なグラデーションを与えた瞬間をはじめ、随所にルーティンワークとは一線を画す入念な再現解釈をみせ、前橋を最大限に支えた。


基本に忠実過ぎるほど忠実に勉強を重ね、過去の時代に書かれた楽曲のポテンシャルを最大限の形で、現代の聴衆の前に現出させるストライクゾーンの揺るぎなさが、今の原田の魅力なのだろう。客席をわかさずにはいられないアメリカンスタイルのショウマンシップは、あくまで「付加価値」の部分に属する。深く掘り込んでいればこそ、より強い形で放射されるサウンドのエネルギーも桁外れに強く、コロナ禍の長期化に疲弊する大勢の一般聴衆にとって、何よりのエール(あるいは嫌いな言葉だが、癒し)になっているのだと思う。COVID-19に振り回される日々自体は「うんざり」以外の何物でもないが、実はコロナ以前から停滞感が蔓延していた日本楽壇、オーケストラ界が一気に体質改善や合理化を断行するチャンスでもある。そんなセンチメントのなか、原田慶太楼という指揮者の存在自体が未来の大きな可能性を漂わせながら、一筋の希望を与え続けているのは極めて興味深い現象だ。半ば狂乱の代役指揮シーズンを7日の豊橋で終えた原田は間もなくサヴァンナ・フィルに戻り、2か月は日本を留守にする。次に聴けるのは4月17日サントリーホール、正指揮者就任記念の東響第689回定期演奏会だ。きっとまた、全く新しい側面を披露してくれるに違いない。

https://tokyosymphony.jp/pc/concerts/detail?p_id=Ig9c0G%2FJwho%3D

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