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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

クルレンツィス、抵抗者の破壊と耽美


2019年2月12日、アークヒルズ・カフェで。

話題の指揮者テオドール・クルレンツィス(1972年アテネ生まれ)と「彼の」オーケストラ、ムジカ・エテルナ初の日本ツアー、すべてチャイコフスキーの作品による2つのプログラムを2019年2月10日にBunkamuraオーチャードホール、13日にサントリーホールで聴いた。初日は日本デビューの緊張もあってか、私にとっては、不可解な演奏に終始した。12日にアークヒルズ・カフェで行われたプレス、一般ファンを交えたトーク・セッションで直接本人に質問を試みてようやく、音楽づくりの背景を理解できた。13日の東京最終公演は11日のすみだトリフォニーホールも経て日本の聴衆との「チューニング」(クルレンツィスが好んで使う言葉)が格段に改善したようで、個性派チームの全貌が見えてきた。


「日本より近いとはいえ、なぜギリシャ人の指揮者志望の青年がロシア、サンクトペテルブルクを目指したのか?」、がプレス・ミーティングで私が投げた2つの質問の1つめ。誰でも疑問に思うことも、熱に浮かれている人たちはスルーしてしまうので、あえて挙手した。


「僕たち1980年代に少年期を過ごした人間は《ベルリンの壁》崩壊やドイツ統一、旧ソ連の解体などを通じ、世の中の未来に期待を膨らませていた。しかし資本主義陣営の暴走と過度のグローバリゼーション、さらに1990年代のコンピューター社会の急激な進展は失望以外の何物でもなく、若者たちの間には先ずペシミズム(厭世観)、さらに激しい抵抗の気分が広がった。そんなトラウマ(心的外傷)を負いながら僕が向かった先は、アンダーグラウンドの世界だった。以前ならベルリンのクロイツベルクにも面白い場所があったが、冷戦の終結後はルーマニア、ハンガリー、ロシアなど旧ソ連・東欧圏にアンダーグラウンドの熱気が移って行った。自分にとっては、サンクトペテルブルクが1920年代のパリに似た輝きと詩を放ち、ロマンティックな地点に思えた。指揮者を目指す者としてサンクトペテルブルク音楽院の名教授、イリヤ・ムーシン(1904〜99)が健在だったことも大きな魅力だった」


昨年(2018年)は第1次世界大戦終結100周年だけでなく、世界中に変革の嵐を起こした1968年の学生運動から50周年の節目だった。音楽の「68年(アハトウントゼヒツィガー)」はニコラウス・アーノンクールやグスタフ・レオンハルト、クリストファー・ホグウッドら、ヘルベルト・フォン・カラヤンが象徴したモダン楽器による全音均等の輝かしいサウンドに反旗を翻し、ピリオド楽器の不均等な音を駆使した「語りとしての音楽(修辞法)」の復活へ、一斉に動き出した世代に相当する。今年(2019年)は「ベルリンの壁」崩壊から30年の節目。2002年のベルリン州立歌劇場日本公演に先立ち、私はシュターツオーパー・ウンター・デン・リンデンを訪ね、終身音楽総監督のダニエル・バレンボイムと壁崩壊以降のベルリン、統一ドイツの「蛇行」について話した。私たち2人の意見が一致したのは、「あの瞬間、西の資本主義は東の共産主義に対して一方的に《勝った》と錯覚して、グローバリゼーションという名の市場経済の暴走が始まった。実際には勝ちも負けもなく、東西双方に失ったもの、得たものがあっただけだった」という「その後」の分析だった。


クルレンツィスの根底にも強烈な絶望と抵抗、メジャーへの反旗(アンダーグラウンドへの傾倒)がある。そして「サイキック(霊的)なエネルギー」の出現に全身全霊を傾ける。


「夢こそ、ムジカ・エテルナのエンジンだ。音楽とは天使の言葉(ランゲージ)であり、本当に美しい音楽の瞬間、天使は歌っている。奏でる者も聴く者も、精神と肉体が完全に一致して、サイキックの境地に至る。でも一つのユートピアを達成したら、次の夢をみつけなければならない。私は、真に《夢見る人》でありたい」


とりわけ幻想序曲「ロミオとジュリエット」、幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」ではムジカ・エテルナとして最美の音が聴こえてきて、クルレンツィスは耽美の世界に溺れていく。問題はサイキックなエフェクトの「A」を達成した後、「B」を捕まえるまでの間の緊張が途切れ、テンポやリズムが曖昧になっていく演奏設計にある。もしかすると、これも「形ある物」を「立派」に構築するメジャーなマエストロ文化全体に対する抵抗、破壊の行為なのではないかと勘ぐってしまうほど、軟体動物がのたうち回るような音楽を聴かせる。


一種のエクスタシーを放つことは確かで、女性ファンの嬌声も理解できないわけではない。かつてゲオルク・ショルティの激しい上下運動を伴う指揮アクションを「ペニスのような」と表した英国のジャーナリストがいたが、興奮して真横を向いた瞬間のクルレンツィスの全身にも、セクシュアルな妖気が漂う。黒いシャツに黒のタイトなジーンズの出で立ちはロッカーに近く、真横に移動しながら本当に「エア・ギターするのではないか」と思った。ロシアの辺境ペルミに潜伏して「夢のオーケストラ」づくりに没頭、新興宗教のグル(教祖)に近いカリスマ性で日本のホールを震撼させる姿を眺めつつ、何故か「田舎のプレスリー」という歌の題名が頭に浮かんだ。いささか子どもじみた熱狂と執念が、不可能を可能にする。


「5〜6歳のころ、セックス・ピストルズに興味を覚え、LPレコードを買ってもらった。抵抗する音楽としてのロックは偉大で、アンダーグラウンドにはもってこいのものだった。それにもかかわらずクラシックが最上最美、最も深い音楽という考えは変わらなかった。問題は《どう演奏するか》に気を取られ、《どう感じるか》が置き去りにされてきたことだ。私はロックから受けた洗礼も念頭に置きつつ、アカデミズムに背を向け、即興性に富む音楽を過激に、真摯に、保守的に実現していく」


指揮台のロッカーは、様々な音楽の境界もやすやすと乗り越え、独自の美意識(ナルシシズムともいえる)の海を泳いでいる。私の第2の質問は「昨年10月からはシュトゥットガルトの南西ドイツ放送交響楽団(SWRSO=バーデン・バーデン&フライブルクにあった同名の楽団と、旧シュトゥットガルト放送交響楽団の合併により誕生した新ユニット)の首席指揮者を兼務しているが、ムジカ・エテルナとは違う音楽を目指すのか?」だった。


「いいえ。南ドイツ放送協会の要望が《ムジカ・エテルナのようなオーケストラに変えて欲しい》だったので、お引き受けした。こうなったら、恋におちるしかない」


クルレンツィスは、クルレンツィスのままである。それにしてもSWRSOって、マゾヒストの集団なのかしら? 1970年代にセルジュ・チェリビダッケ、1990年代にロジャー・ノリントン、2010年代にフランソワ=グザヴィエ・ロトなど、ドイツの他の放送オーケストラにはあり得ない強烈な首席指揮者を迎え、そのつど演奏スタイルを一変させてきた。マゾヒストでなければ、変身フェチか?! シュトゥットガルトでは同じ会場(リーダーハレ)で3つのオーケストラが定期演奏会を競い合う。シュトゥットガルト・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者はダン・エッティンガー(1971年生まれ)、バーデン=ヴュルテンベルク州立劇場オペラ管弦楽団の音楽総監督はコルネリウス・マイスター(1980年生まれ)と、世代的にも放送響のクルレンツィスに近い顔ぶれがそろい、面白い展開となってきた。


今回は演奏の詳細よりも、クルレンツィスの音楽の背景を論じるレビューとした。メルケルの挫折、マクロンの八方塞がり、メイの迷走など、首班からして混迷する欧州に咲いた徒花なのか、クラシック音楽の救世主なのか、私の中では未だ、モヤモヤが解消しない。今年夏のザルツブルク音楽祭でモーツァルトのオペラ「イドメネオ」(ピーター・セラーズ演出、オーケストラはフライブルク・バロック)を観た上で改めて、彼の真価を考えてみたい。

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