top of page
  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

アレクサンドル・カントロフのピアノ「うごめくブラームス&リスト」圧巻


一夜明け陽の差し込む窓に置いても幻ではなかった

ブラームスの「4つのバラード作品10」の「第1曲ニ短調」の最初3、4音の下降音を聴いただけで、特別な音楽体験を直感した。2021年11月24日、トッパンホールのアレクサンドル・カントロフのピアノ・リサイタルは東京都内でのデビューを兼ねていた。1997年5月20日生まれの24歳、名ヴァイオリニストのジャン=ジャック・カントロフを父に持つフランス人は2019年のチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で優勝して以来、来日が待たれていた。作品10、「ピアノ・ソナタ第3番作品5」というブラームスの若書きの間にリスト「《巡礼の年第2年イタリア》〜第7曲《ダンテを読んでーソナタ風幻想曲》」をはさんだプログラム。アンコールにグルック「歌劇《オルフェーオとエウリディーチェ》から《精霊の踊り》」、ストラヴィンスキー(アゴスティ編曲)「組曲《火の鳥》終曲」、ブラームス「6つの小品作品118」の「第2曲《間奏曲イ長調》」の3曲を弾いた。


小柄でスリムながら腕は長く、手も大きい。フワッと腰かけ即、弾き始める瞬間からすべての動きが自然で、ピアノを弾くために生まれてきた堕天使?のようにも見える。物凄い没入で作曲者のアイデアやブレス、和声感、様式などを自身の精神肉体と一体化させ、うごめく生き物のように再現していく様は、憑依と言えるほどミステリアスで圧巻。桁外れの才能の持ち主と、まざまざ思い知らされる。激しい表現精神の裏には着実な技巧の備えがあり、どんなに激しく鍵盤を強打しても、決して音が濁らないことも驚異的だ。《ダンテを読んで》は音楽ライターの高坂はる香さんが「『ダンテを読んで』ってより、もはや『地獄見てきた』みたいな感じね」とTwitterに記された通り、リストと一体化したカントロフとともにダンテの《神曲》の迷宮に吸い込まれ、地獄絵図を臨死体験する感触の音楽と化していた。よほど得意にしているのだろう、来年(2022年)6月の再来日の曲目にも入っている。


一方、ブラームスのソナタの第2楽章アンダンテ・エスプレッシーヴォの深くロマンティック、どこまでも透明感をたたえた響きは下敷きにしたシュテルナウの詩「若き恋」の世界そのもの。アンコールのグルック、ブラームスともども深く、静かに歌わせる力量も十分だ。


人によっては、あまりに振幅激しく、テンポを自在に動かす演奏を「逸脱」と思うかもしれない。注意深く耳を傾ければ、形式美は崩れる一歩手前のスリリングなポイントで、しっかり保たれている。基本インテンポの枠内でイネガル(不均等)な表現を試みるフランス鍵盤音楽奏法の伝統の継承者、とも思った。20世紀を通じてレコード録音、音楽コンクールが発達・発展し、均質で間違いのない演奏を過大に評価する傾向が強まるほど、19世紀のロマンティックな時代ーーブラームスやリストが生きた時間との乖離も大きくなった。アレクサンドル・カントロフの演奏解釈はピアノ音楽を再びロマンティックな時空の中に還元しつつ、現代最先端の感覚で激烈に再現するという、新たな才能の出現を強く印象づけた。

閲覧数:920回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page