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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

アラン&都響の「マーラー6番」→「サタデー・ナイト・フィーバー」の脈絡


12月14日。日本的には播州赤穂藩筆頭家老の大石内蔵助率いる赤穂浪士が江戸本所松坂町の吉良上野介邸に「討ち入り」した「忠臣蔵」記念日だが、これは旧暦、新暦では1月30日と少しガッカリな日だ。今年(2019年)の私にとっては、午後2時からサントリーホールでニューヨーク生まれの首席客演指揮者アラン・ギルバートと東京都交響楽団の「都響スペシャル」でマーラーの「交響曲第6番《悲劇的》」を聴き、午後5時から東京国際フォーラムCでニューヨークを舞台にしたミュージカル版「サタデー・ナイト。フィーバー」を観たNYトリビュートの1日だった。都響終演後の楽屋にアランを訪ね、「これから《サタデー・ナイト・フィーバー》にハシゴだ」と伝えたら、最近よく話すようになった母の国の言葉の日本語(以前は英語でしか話さなかった)で「ダイタイ、オナジ!」と、大笑いされた。


それにしても、アランと都響は最高に相性のいいコンビではないだろうか?今年もブルックナーの「交響曲第4番《ロマンティック》」やレスピーギの「ローマの噴水」「ローマの松」などで素晴らしい演奏を繰り広げ、マーラーの「悲劇的」で最高潮に達した感がある。都響は冒頭から全力投球の構え。張りのある美しい音色は最弱音から最強音までムラなく一貫し、オーボエの広田智之(首席)、クラリネットのサトーミチヨ(同)、フルートの神田勇哉(東京フィル首席の客演エキストラ)、トランペットの高橋敦(首席)ら中堅世代だけでなくホルンの有馬純晴(首席)、笠松長久(元首席のOBエキストラ)、トロンボーンの小田桐寛之(首席)らベテラン世代の傑出したソロにも聴き惚れた。


1970ー1980年代に第2代音楽監督の渡邉曉雄がマーラーの交響曲演奏を本格化(第10番のデリック・クック完成版日本初演を含む)させて以来、モーシェ・アツモン、若杉弘、ガリー・ベルティーニ、エリアフ・インバル…に脈々と受け継がれ、蓄積されてきたノウハウは、例えば、金管をわざと詰まった音で吹く「ゲシュトップト」という奏法の自然な処理ひとつを挙げても都響の貴重な財産だ、と渡邉以来歴代シェフと客演指揮者のマーラーを聴き続けてきた者の1人として確信する。


アランはその基盤の上に非常に隈取りのはっきりした音像を与え、曖昧さを残さない。フィリップ・グラスやジョン・アダムズなどミニマルミュージックの指揮経験も豊富なだけに、豊穣な音響の洪水に道標を与え、大きなドラマの流れを現出させる手腕にも長け、要所要所に「タメ」も設け、聴く者を惹きつける。舵取りは自然で、音楽監督に就いたNDR(北ドイツ放送協会)エルプ・フィルハーモニー管弦楽団との新譜「ブルックナー《交響曲第7番》」(ソニーミュージック)の日本盤解説書でも指摘した通り、アランの音づくりに対するオーガニック、あるいはエコロジカルな感性の発露を随所に感じた。カウベルなどの打楽器が自然現象の一部のように収まり、チェレスタの神秘にホルンの虚ろな音たちが重なった瞬間では形而上の響きが立ち上った。第4楽章のハンマー強打は普通2回だが、アランはコーダにもう1回追加して計3回とした。楽屋で指摘すると(これは英語で)「僕なりの確信に基づいた措置。いくらでも話すことがあるので、今度ゆっくり」と、言われた。終演後の客席は熱狂、アランは楽員が去った後にもう一度、ソロ・コンサートマスター2人ー矢部達哉と四方恭子ーを伴ってステージに現れ、歓声にこたえていた。


クラシック音楽の客席の平均年齢は高い、高齢化が進んでいるとされる。だが1977年のアメリカ映画「サタデー・ナイト・フィーバー」(ジョン・バダム監督、ジョン・トラボルタ主演)のミュージカル版の公演会場、東京国際フォーラム「ホールC」を見渡す限り、同世代かそれ以上の姿が目立った。映画が日本で公開された1978年、私は大学2年生でディスコ(今は「クラブ」と呼ぶ)ブームの真っ只中にいた。公演プログラムにはご丁寧にも映画雑誌「スクリーン」1978年8月号に載った特集記事「映画ファンのためのディスコ専科」が再掲され、トラボルタ・ファッションからディスコ・ステップまでが〝歴史的資料〟の扱いを受けている。1998年にロンドンで初演されて以来、ミュージカル版も世界各地で上演されてきた。


今回は主役トニー・マネロにマシュー・ボーン版「白鳥の湖」でブレイクした英国人俳優&ダンサーのリチャード・ウィンザーを起用、振付家のビル・ディーマーとの二人三脚で作品に新しい命を吹き込んだ。ウィンザーはバレエではなくディスコダンスを踊り、クイーンズ・イングリッシュではなくブルックリン訛りで語る難題に挑み、かなりの成果を上げているが、時代の座標軸を動かすことは困難で、トラボルタの影を払拭するまでに至らない。何より育ちのいい、英国紳士ぶりが前面に出てしまうのだ。ビージーズ3兄弟を高台のライブステージで歌い演じる俳優たち(バリーがジェイク・バイロム、モーリスがジェームズ・ケネス・ホーガン、ロビンがダニー・ノット)のコスプレぶりの方が徹底、懐かしいビージーズの音楽を素直に浸れたのは良かった。楽しいのが一番、と割り切れば素直に入り込める。


客席は、手拍子も控えめでクラシックの観客に近いノリだったが、これは「伏線」だった。本編から切れ目なく雪崩れ込むアンコール・セッションでは自由に立ち上がり、踊れるディスコ・メドレーの予告が行き渡っていて、皆その瞬間を待っていたのだ。まったく間抜けなことに、私は午後8時から別の用事があり、一斉に立ち上がった人々の波を「すみません」を連発しながらすり抜け、駐車場へとダッシュしなければならなかった。まあ、膝の半月板にたまった水が消える寸前でもあり「大事をとるに越したことはない」とも言えるのだが、つうづく映画版の時代から40余年の経過を思い知り、気が滅入った。かくして私家版「ニューヨーク&ニューヨーク」のサタデーは、それなりのフィーバーとともに幕を閉じた。

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