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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

いつか聴いた音 バーメルト指揮の札響


ピアニスト、オケそれぞれのアンコールの貼り出し

札幌交響楽団の「東京公演2019」を1月30日、サントリーホールで聴いた。指揮はスイスの名匠マティアス・バーメルト(1942〜)2018年4月から首席として札響を率いている。このコンビとしては、初めての東京公演だ。


前半にモーツァルトの「セレナード第6番《セレナータ・ノットゥルナ》」、ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第4番」(独奏=岡田奏)、後半にブラームスの「交響曲第2番」を配したオーソドックスなドイツ=オーストリア音楽の選曲。ブーレーズやシュトックハウゼンらに師事、東京ではNHK交響楽団などへの客演を通じ、同時代音楽のエキスパートの印象が強いバーメルトだけに、やや意表を突くプログラミングにも思えた。だが、コンサートマスターの田島高宏ら首席奏者をソロに立てた冒頭のモーツァルトで示した和声感や立体感は日本の楽団にして稀なものであり、伝統音楽の基本をしっかり踏まえた良い指揮だった。


ピアノの岡田は函館出身、15歳からパリで学び、現在も同地を本拠とする。2年前、一般財団法人「地域創造」が主催する公共ホール音楽活性化事業の平成30&31年度登録アーティストのオーディションで私が審査員を務めたときに初めて聴き、日本人離れした乾いた音の感覚と大胆不敵な表情付けに驚嘆した記憶がある(結果はもちろん合格)。果たして当夜のベートーヴェンでも自身の感じるところを臆するところなく表現、感性がキラキラ輝き、即興性に富む見事なソロを披露した。バーメルトとの息はぴったり。札響も献身的に支えたなか、ヴィオラのセクションが非常に美しい響きを放つ瞬間が耳をとらえた。


ブラームスの交響曲に至り、この弦の響きはバーメルトが札響に与えた新たな財産なのだと確信した。ゆっくりめのテンポを基調に「ゆらぎ」を伴いながら弦を柔らかく、透明な色調でふんわりと鳴らすうち、自然に厚みが増していく。かつてセルジュ・チェリビダッケ指揮のロンドン交響楽団やミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団で実演を聴いたブラームスの弦の音色にも一脈通じる。半面、全体のスケールやタッチはチェリビダッケのように厳格な巨匠芸ではなく、今や幻となってしまった中欧文化圏の穏やかな日常生活を彷彿とさせる、なだらかなテンションに彩られている。自分が40年ほど前に聴いたモーシェ・アツモンと東京都交響楽団、エルヴィン・ルカーチと日本フィルハーモニー交響楽団などの同曲演奏にも、そんな穏やかな感触があった。札響はラドミル・エリシュカ、マックス・ポンマー、バーメルト…と、21世紀初頭にあってなお、中欧の古き良き音楽語法を備えた高齢の指揮者たちに深い愛着と敬意を示す貴重なオーケストラなのかもしれない。バーメルトの目指すものを懸命にとらえ、なおかつ全身に喜びをみなぎらせて合奏する姿に、深い感銘を受けた。

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