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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

「調和のとれた球体」思わせる、優しい人のピアノ~アダム・ジョージの周辺で


キャッチコピーを担当したフライヤー

アダム・ジョージ、とだけ聞くと、どこの国のピアニストなのかわからない。1982年ブダペスト生まれのハンガリー人。言語学的に日本と同じく「フィン・ウゴル族」に属するハンガリーでは姓→名の順に表記する。苗字がアダム、ハンガリー語のオリジナルは「ジェルジ」のジョージは彼のファーストネームである。余談だが、アメリカのクリーヴランド管弦楽団との名演奏で今も人気が高い19世紀生まれの大指揮者、ジョージ・セルも元はハンガリー人で「スーツェル・ジェルジ」が本名。なんか、別の人みたいだ。


父はオーディオ・エンジニア。幼い息子が「すべて、逆の動きをする」ことに気づき、ハンディを最大限プラスに生かす術として、4歳でピアノを習わせた。ジョージの才能は両親の期待以上に開花して、12歳でバルトーク音楽院へ入学、国内いくつものコンクールを制覇した。18歳から24歳までは名門リスト音楽院に在学、さらなる高みを極めていく。セルと同じく、神童(ヴンダーキント)から天才少年、気鋭の新進へのコースを順調に歩んだことになる。


20代半ばでスイスに出て以来、ジョージは世界各地で演奏活動を繰り広げてきた。現在はニューヨークを本拠とするが、米国内はもちろん、ヨーロッパ全域からアジアまで飛び回り、教育活動を目的とした財団まで運営して、1か所にとどまることがない。メールのレスも遅い(笑)。コスモポリタンの典型の日々のなか、日本には格別の親近感を抱いているようだ。今回のツアーには並々ならない意欲をみせ、準備のためだけで過去1年に2度も東京に姿を現してきた。


私が最初に会ったのは2018年の12月。ニューヨーク在住の共通の知人からの紹介で、拙宅の最寄駅(天王洲アイル)近くにあるピアノメーカー、スタインウェイ・ジャパンの本社で対面した。ジョージは限られたピアニストだけが選ばれる「スタインウェイ・アーティスト」の1人で「僕が弾くところ、世界の果てまでも最上の楽器を運んでくれる」という。第一印象は並外れてピュア、心優しい好青年だった。特に取材、インタビューというわけでもなしにあれこれ、音楽全般や作曲家フランツ・リストの真価、世界の音楽教育が抱える問題などを話し合い、意気投合した。



アダム・ジョージ(右)と私。東京・天王洲アイルのスタインウェイ・ジャパン本社で。

中でも「世の中の多くの人、聴衆だけでなくピアニストまでもがリストを『技巧が派手で外面的な音楽。ガチャガチャ、うるさい』と考えているのは、大きな間違いだ」の点で、意見が完全に一致した。確かにリストには、若いころ超絶技巧の「イケメン」ピアニストとしてヨーロッパ各地のサロンを渡り歩き、セレブの女性たちを失神させたり、「お持ち帰り」したり…と派手なイメージがつきまとう。だが、根底に流れるピアノ奏法の系譜はベートーヴェンからチェルニー、リストへと受け継がれたヨーロッパの鍵盤音楽史の王道に位置する。最弱音から最強音まで楽器の性能を極限まで引き出すだけにとどまらず、打鍵と打鍵の間の「空き」を意識させず、あたかも人間の声や弦楽器のように切れ目ない「歌」の滑らかさ(レガート)を実感させる優れた奏法である。1884年生まれのヴィルヘルム・バックハウス、1903年生まれのクラウディオ・アラウら、巨匠と目されて以後は「ベートーヴェン弾き」と呼ばれた名手2人も、最初はリスト直系の後継者であり、鍵盤を「叩く」より「押し込む」形の打鍵により、どんな大きい音でもピアノを美しく、深々と鳴らす技術を備えていた。


リストはさらに年輪を重ねるにつれ、ヒューマニスト(人道家)の道を歩んで宗教に帰依、次の世代の音楽への橋渡しも積極的に担うようになった。1838年にブダペストが大洪水の被害を受けたとき、リストが義援金を集めるために組織した演奏会は「史上初のチャリティーコンサート」とされる。1865年にはローマで、カトリックの僧籍を取得した。娘のコジマがワーグナーと再婚した影響もあり、無限旋律や無調音楽など19世紀末から20世紀初頭にかけての展開を先取りした楽曲も遺した。明治政府の使節団が西洋音楽導入の教師役としてリストに接触、本人は「極東の日出づる国」に興味津々だったが、家族の反対で実現しなかった。もし、日本に来ていたら?


「偉大な人格による、奥行き深い音楽」こそ、ジョージと私がリストを語る際の共通認識である。ジョージが12歳のとき、リストを他のピアノ・キッズと同じように大きな音で「ガチャ弾き」していると、父がドアをノックした。迎え入れると開口一番、「うるさい!」。「リストをそのように弾くのは間違いだ」と言い残し、去って行った。「最初は頭にきたけど、『そういう考えもあるのか』と思い直し、ゆっくり丁寧に弾いてみたら、まったく新しく、素晴らしい世界が開けたんだ」と、ジョージは父に深く感謝する。YouTubeなどの動画サイトで分析しても、彼のライヴには派手で無駄な腕や指のジェスチャーが皆無である。むしろ控えめな動きの中から左手の深く透明な音、右手の軽やかで輝かしい音が引き出され、「いつも心の中で歌っているに違いない」と思わせる自然な呼吸、左と右の手の微妙な「ずれ」が巧みに旋律を歌わせ、和声を極彩色に輝かせる。もちろん、ヴィルトゥオーゾ(名手)と認められるだけの超絶技巧、燦然としたフォルテから歌のかなめとなる中音域、芯の通った弱音までの一貫した打鍵は第1級に属する。


その上で、ジョージの演奏に独自の個性を与えるのが「視覚イメージに基づく解釈とストーリー」だ。「僕は1人の作曲家、1つの作品を究める前に必ず、特定のイメージを視覚化する。リストの場合は、『大きくて丸く透明、触ると柔らかい球体』を思い浮かべる」という。演奏曲目も「ヴィルトゥオーゾの腕自慢」のような大曲の連続を避け、「大きなソナタと小品、そこに音楽の関連を持つ自作や即興を交え、1つのリサイタルやディスクに特定の物語性を与えられるよう、つねに心を砕いている」と、ユニークなプログラミングの背景を明かす。「リスト解釈」の一点に限っても超一流の水準に達しながら、さらに深い音楽の淵を目指して演奏、教育の両面から世界の人々と親身に触れ合い、旅を続ける。日本とハンガリーが外交関係を開いて150周年の節目の年、アダム・ジョージという素晴らしいハンガリー人ピアニストのリストを聴ける喜び、意義は大きい。


公演は2019年9月23日14時が東京・ギャラクシティ西新井文化ホール、10月6日14時が鹿児島・霧島国際音楽ホール、10月15日19時が東京・Bunkamuraオーチャードホール。


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