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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

「日本のお客様は過剰なほど音楽を愛しています」〜ジャン・チャクムルは語る


©︎三浦興一

2018年の第10回浜松国際ピアノコンクールで優勝したトルコ人青年、ジャン・チャクムル(1997年、アンカラ生まれ)はすっかり、日本通となった。「日本には独自の豊かな伝統があるにもかかわらず、西洋音楽に対してもオープン、時に〝過剰〟と思えるほど深く愛してくださるのが素晴らしいですね。ヨーロッパの聴衆は逆に、伝統の重みで身動きが取れないようなところがありますから」と、日本の良さを語る。2022年1月には3か月ぶり!の来日リサイタルを埼玉・彩の国さいたま芸術劇場コンサートホール(22日)、東京・紀尾井ホール(25日)で予定していたが、感染症対策の入国規制強化で中止となった。シューベルトとブラームスの間(はざま)にシェーンベルク。「3」と「4」の数字にこだわった、すごく個性的なプログラムを携えてくるはずだったので、ちょっと残念な気持ちになる。


元々トルコは親日的、文化的にもアジアとヨーロッパの接点に位置するので、日本人と西洋音楽の特別な関係に深い理解を示す。2021年11月6日、神奈川県立音楽堂で開かれた第39回横浜市招待国際ピアノ演奏会に出演するため、同市内のホテルに滞在中だったチャクムルを訪ねた。みなとみらい地区のカフェに入るなり、「抹茶ラテ」と日本で見つけた好物を速攻で注文。初対面の上にマスク越しの早口英語だから、最初はビビったが、片言の日本語も交えながら一貫してフレンドリー、真剣に音楽を語る姿は好感度抜群で強い印象を受けた。


先ずは1月のリサイタルで弾くはずだった楽曲。前半がシューベルトの「ピアノ・ソナタ第4番D(ドイッチュ番号).537」と「3つのピアノ曲D.946」で、両者の間にシェーンベルクの「3つのピアノ曲Op(作品).11」、後半がブラームスの「4つの小品Op.119」とシューベルトの「4つの即興曲D.935」。凝ったメニューの中に、一定の法則性を感じさせた。


「私は1人の作曲家だけの曲目は組みません。いくつかの異なる作品を並べ、聴衆に刺激を与えつつ緊張を保ち、1つの大きな音楽体験に到達する手法を好みます。今回は先ず、シューベルトを多く入れ、ブラームスと対比させようと考えました。そして、それぞれの楽曲の様式に関連性を持たせました。最初のシューベルトの《ソナタ第4番》は流れるメロディーより、素材の断片で様々な実験をしていて、動機ごとの間合いや沈黙を次のシェーンベルクと共有します。休憩の前後は『小品』がポイントです。素朴で直接人の心に訴えるシューベルト、小さな素材を可能な限り拡大して交響的宇宙を描くブラームス、それぞれの小品集を対比させます。最後のシューベルトの《即興曲作品142》はソナタ、小品の両面を兼ね備えた存在で、リサイタルを華麗に締めくくります」


2021年11月には代役で読売日本交響楽団(鈴木優人指揮)と初共演、英国の作曲家でピアノの名手トーマス・アデスが作曲した《イン・セブン・デイズ》の日本初演を成功させた。


「マスターピース(傑作)だと思いました。アデスのマスタークラスに参加した経験があるのですが、いくつものレイアー(層)を持った音楽家で、指だけでは表現できないイマジネーションの領域に強い感銘を受けました。《イン・セブン・デイズ》もできればまた、どこかで弾きたいです。読響は素晴らしいオーケストラでした。とても難しい音楽だったにもかかわらず、作品へのリスペクトを持ち、どこまでも踏み込んでいくリスクをものともしません。そして優人さんの指揮! 天才です。バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)のレコーディングでも、彼が弾くチェンバロの通奏低音は傑出しています。読響ではアンコールにピアノを連弾しましたが、実は終演後も時間の許すまで、2人で連弾に興じていました」


BCJの録音を手がけるスウェーデンの「BIS」は、チャクムルも契約しているレーベルだ。最初の1枚はコンクール直後の2019年1月、アクトシティ浜松コンサートホールでセッションを組み、録音した。


「コンクールの熱気やノリが勝ったライヴ盤はライヴ盤として、私は優勝の直後に同じ場所で100%、自分の考えを伝えられる形でセッション録音をつくり、正式のデビュー盤としたかったのです。BISでは向こう5ー6年の間に11点のディスクを制作する予定です。シューベルトの主要ソロ作品にベートーヴェンやシューマン、リスト、ブラームスなど関連した作曲家を交え、『シューベルト・プラス』といった路線を基本に考えています」


最新盤(セカンド・アルバム)はシューベルトの「歌曲集《白鳥の歌》」をリストがピアノ独奏用に編曲したものと、リストの《4つの忘れられたワルツ》を組み合わせた。非常に美しい音色、流麗で豊かな歌心を備え、全曲を一気に聴かせる。2020年1月に英国でセッション録音、ピアノは引き続き、「シゲル・カワイ」のコンサートグランドを使用している。


「最初に《白鳥の歌》を全曲、きっちり収めたいと思いました。リスト編では《セレナード》《アトラス》《鳩の便り》など有名な2、3曲を録音する例が多く、全曲盤は数点しか存在しないので。先行する2つの連作歌曲集、《美しい水車屋の娘》と《冬の旅》はシューベルト自身が書き連ねましたが、《白鳥の歌》は死後に他者が個別の歌曲を連作にまとめたという違いがあり、私はピアノ独奏で再現するのに適した順番を編みました。4つの《ワルツ》はミケランジェロの詩を思わせる曖昧な性格の作品で、長く存在を忘れていた若書きを年老いたリスト自身が眺める不思議な感触が、《白鳥の歌》との対比にふさわしいと考えました。カワイは日本に来るまで、フランスで小さい楽器に触れたくらいの経験しかなかったのですが、浜松のコンクールでコンサートグランドと出会ってクオリティとフレキシビリティーに惚れ込み、私の楽器となりました。以後、英国でもドイツでもヨーロッパ駐在のチューナー(調律担当者)が駆けつけてくださり、最高の状態での録音を可能にしています」


次のアルバムについても聞いた。


「今年(2021年)5月、ドイツのハノーファーで録音した第3作を私自身、〝ファイナンシャル・スイサイド(資金面の自殺行為)〟と呼んでいます。新型コロナウイルス感染症が世界に広がり、何もできなくなった時期に考えをめぐらし、編み出した20世紀音楽のアンソロジーでバルトーク、エネスク、ミトロプーロスの作品を組み合わせました。エネスクはヴァイオリニストで大教師、ミトロプーロスは巨匠指揮者と一般には認知されていますが、作曲も素晴らしく、バルトークとの関連性も高いといえます。ミトロプーロスの《パッサカリア》は出版譜がなく、オリジナルのスコアをギリシャ文化省のアーカイヴからPDFのファイルで取り寄せました。このような企画を許してくれるのはBISだけで、感謝しています」


チャクムルは今もドイツのワイマール音楽大学で研さんを続けるが、少しずつ、教える仕事も始めた。ワイマール音大1年生、19歳の中川優芽花(ゆめか)はドイツで生まれ育った日本人。チャクムルの指導も受け、2021年のクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールに優勝した。「コロナ禍を経て、すべてが1990年代とは全く違う展開をみせるなか、ピアノの教育も演奏会のスタイルも大きく変わるでしょうね」と語るチャクムルの行く先には、演奏家として教師として、あるいはプロデューサーとして、大きな可能性が広がっている。


Biography:

2018年に開催された第10回浜松国際ピアノコンクールに優勝、同時に室内楽賞も受賞。2017年にはスコットランド国際ピアノコンクールで優勝。

ロンドンのウィグモア・ホール、グラスゴー・コンサート・ホール、アイントホーフェン・ホール、東京オペラシティ、ミューザ川崎など、世界各地の様々なコンサートホールで演奏、祖国トルコの最も有名なコンサート会場でも演奏している。またトルコの主要なクラシック音楽祭にも出演しており、2015年イスタンブール音楽祭のオープニングコンサートでは、サッシャ・ゲッツェル指揮ボルサン・イスタンブール・フィルハーモニー管弦楽団と共演した。

2019/20シーズンは、ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団、テラヴィ国際音楽祭管弦楽団、札幌交響楽団、東京交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、大阪交響楽団、チュクロヴァ国立交響楽団、プレジデンシャル交響楽団など、多数のヨーロッパ、日本、トルコのオーケストラにデビューした。またパリのサル・コルトーやウィグモア・ホールなどでも演奏した。また最近ではパリのルイ・ヴィトン財団、MD交響楽団との共演で「動物の謝肉祭」、カメラータ・シュヴァイツとの共演でモーツァルトとアディンセルの協奏曲を演奏した。

2020年10月にBISレコードから発売された最新SACD「シューベルト/リスト:白鳥の歌」は国際的な評論家から高い評価を得ている。この革新的なアルバムで、2021年1月にICMA賞(国際クラシック音楽賞)でヤング・アーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

1997年トルコの首都アンカラ生まれ。現在、ワイマール音楽大学のグリゴリー・グルツマン教授のもとで研鑽を積んでいる(ジェスク音楽文化振興会のホームページより転載)

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