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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

ラン・ラン G・ヒメノ 務川慧悟

更新日:2020年10月12日

クラシックディスク・今月の3点(2020年9月)


J・S・バッハ「ゴルトベルク変奏曲」(デラックス版)

ラン・ラン(ピアノ)

中国出身、38歳のピアニストが「20年の準備期間を費やして」録音したバッハの傑作。2020年3月15ー18日にベルリンのイエス・キリスト教会でセッション録音した2枚が「スタンダード」、先立つ3月5日にライプツィヒの聖トーマス教会(バッハが亡くなるまでカントール=楽長を務めた)でのライブ録音2枚を加えた4枚組が「デラックス」という凝ったリリース手法自体、すでに演奏者の思い入れの強さを物語る。直後の4月、上海の自宅に戻ったタイミングでラン・ランに別件の動画インタヴューをした際も、いかに入念かつ意義のあるセッションだったか、嬉しそうに話していた。


演奏について、すでに賛否両論がネット上で飛び交っている。様式感の是非は18世紀音楽やピリオド楽器の専門家に委ねるとして、1人のピアニストの作品に対する〝信仰告白〟や純粋にピアニスティックな部分に焦点を絞ると、非常に感銘深く、面白い演奏と言わざるを得ない。超絶技巧で畳み掛ける場面でも音は決して濁らず、クリスタルな輝きを失わないが、全体のトーンは「動」より「静」に傾斜、優しく、丁寧に旋律を歌わせていく。最も意表を突かれたのは第30変奏の「クオドリベット」。最近では元のドイツ農民俗謡に立ち返り、かなり景気よく弾かれるケースも多いなか、ラン・ランはさりげなくシンプルに奏でることで「長い旅路」の感慨のリアリティを打ち出す。少し前までの曲技的演奏スタイルとは一線を画し、今後のさらなる成長を確信させる出来栄えだ。ライヴ録音はもちろんグルーヴ感(ノリ)で勝るが、基本的解釈に相違はない。実際にトーマス教会で聴くよりも鮮明だ。

(ユニバーサルミュージック)


「ショパン ラフマニノフ ブーレーズ」

務川慧悟(ピアノ)

先月も反田恭平とのピアノ・デュオ盤を紹介したばかりの務川だが、ソロとしてのデビュー盤がこちら。2020年2月19ー21日、彩の国さいたま芸術劇場コンサートホールでのセッション録音だ。ショパンでも「バラード第1番」「夜想曲(ノクターン)第18番」の有名曲の前にレアな「ボレロ」(ハ長調作品19)を置き、アルバム全体の幕開けとするなど、工夫を凝らした選曲に唸る。ラフマニノフも「前奏曲」や「音の絵」ではなく「楽興の時」、ブーレーズもソナタではなく「アンシーズ」(2001年版)と、どこまでも個性を貫く。


演奏も一筋縄ではいかない。録音のダイナミックレンジが広いので、ある程度音量を上げて再生しないと、ますます音楽が逃げていく。だが繰り返し追いかけるうち、務川がすでに確固たる表現の志向、それを現実の音として聴き手の感性、知性、さらには肉体性に訴える技を体得している実態に気づく。実演で聴く繊細な反応、星が煌くような音色を克明に再現することは現代最先端の録音技術をもってしても、まだ十分とは言えない代わり、美音に酔いしれがちなホールでは気付きにくい知的思考の側面が、ディスクにははっきりと刻まれた。


ブーレーズ作品に対する務川自身の解説が興味深い:「デジタルが私達の日常に介入してきたことで初めて生まれてきた音楽・響きがある。デジタルと自然との狭間が次第に曖昧となり、その狭間を常に行き来し続けなければならなくなった慌ただしい現代をまるで音に現したかのような本作品は、ショパンやラフマニノフの生きた時代の生活スタイルからはおそらく生まれえなかった。容易に理解することは決して出来ないながらも、私たちの精神に何らかの引き金・傷を与えてくれるこのアンシーズという作品は間違いなく現代のひとつの遺産だろう」。時代精神(ツァイトガイスト)に敏感な若い演奏家の、優れた仕事を聴いた。

(ALMrecords コジマ録音)


フランク「交響曲」「交響的変奏曲」

グスターボ・ヒメノ指揮ルクセンブルク・フィルハーモニー管弦楽団、デニス・コジュヒン(ピアノ=交響変奏曲)

2019年7月(交響曲)、11月(交響変奏曲)にフィルハーモニー・ルクセンブルクでセッション録音したCD/SACDハイブリッド盤。スペイン人のヒメノはアムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団首席打楽器奏者から指揮者に転じて2013年以降、仙台フィルハーモニー管弦楽団や東京都交響楽団に客演、2015年11月にはマリス・ヤンソンスの代役でコンセルトヘボウ管日本ツアーを率い、知名度を高めた。正直、5年前はヤンソンスとの落差があまりに大きく、気合先行のせっかちな指揮振りを冷めた目でながめていた。


2015年にルクセンブルク・フィル首席指揮者就任と同時に「PENTATONE」レーベルと契約、フランクは8点目のアルバムに当たる。ほとんど何の期待もないまま「交響曲」を再生し始めたとたん、嬉しい驚きが広がった。フランク特有の循環形式にこだわるあまり、ねっとりと「こねくり回される」傾向なきにしもあらずの交響曲を何とすっきり、美しく、小股の切れ上がったリズム感とともに再現してくれることか! ルクセンブルク・フィルの淡白な音色を長所として生かし、新時代のヘルシーでエコロジカル?なフランクを達成した。


「交響変奏曲」のソリストで2010年エリザベート国際音楽コンクール優勝者、コジュヒン(1986ー)のソロもヒメノと同系の美意識を共有し、端正でクリスタルな音楽を奏でる。

(ペンタトーン=輸入元キングインターナショナル)







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