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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

(ノット)東響@サントリー→小曽根@東京文化会館。危機管理と太田弦の健闘


感染症対策を徹底、座席数を絞っての演奏会再開から1か月あまりが過ぎた。主催者、聴衆の対応も〝板について〟きた半面、「今しかあり得ない実験」「瓢箪からコマ」的アイデアが飛び出すたび、驚いたり感心したり首を傾げたりの連続で、全く飽きないことも確かだ。


東京交響楽団は2020年7月の定期を音楽監督のジョナサン・ノットと行う予定だったが渡航規制の影響で来日を断念、最初は同時中継の指揮による演奏を試みたものの「どうしても、タイムラグを解消できなかった」(ノット)といい、録画した映像に沿って楽員が自発的にアンサンブルを整える方式に転じた。先ずは私に宛てたメール、ノット本人の説明から:


「But recording these videos was extremely tiring for some reason. I only conducted each symphony “live” through once – no edits and no cuts in between the movements – so it is a once-off, “live” performance. In order not to miss out a bar by accident I decided to try and re-conduct a live recording of a concert of me conducting each symphony. So for the Dvorak 8 it was Bamberg in Bamberg  in 2014, and for the Beethoven 3 it was the Junge Deutsche in Köln 2016.」

(いくつかの理由で録画の作業はとても疲れました。私はそれぞれの交響曲を〝ライヴ〟として一気に指揮、楽章間にも編集やカットを施していません。本当に一回性の〝ライヴ・パフォーマンス〟なんです。ただ事故で小節を脱落させたりしないよう、自分の過去の演奏に基づく指揮としました。ドヴォルザークの第8番は本拠地バンベルクでバンベルク交響楽団を指揮した2014年、ベートーヴェンの第3番《英雄》はケルンでユンゲ・ドイッチェ・フィルハーモニーと共演した2016年の音源をそれぞれ、下敷きにしています)


自主運営の東響は首都圏で最も忙しいオーケストラの1つ。《英雄》のプログラムも東京の昼夜2回と新潟の定期のほか、23日の川崎「フェスタサマーミューザKAWASAKI2020」オープニングを加えた4回公演、24日にはサントリーホールと共催の「こども定期」(下野竜也指揮)昼夜2公演もこなしている。ドヴォルザークでコンサートマスターを務めた水谷晃は「映像に合わせて弾くのではなく、そこで得たアイデアを楽員で話し合いながらアンサンブルを整え、ノットからはテレワークの〝ダメ出し〟が出ます。背景には音楽監督に就いて以降7シーズンにわたって築いてきた相互の深い信頼関係、事務局の全面的バックアップがあり『皆でやろう』の気持ちで結束、充実したリハーサルに今の東響の素晴らしさを実感しました」と、音楽づくりのプロセスを明かした。


《英雄》のプログラムでは前半にストラヴィンスキーの「ハ調の交響曲」があり、ロシア人コンサートマスターのグレブ・ニキティンのリードで、指揮者なしの演奏に挑んだ。難易度は《英雄》以上に高い。ニキティンはボリショイ劇場管弦楽団に在籍当時、音楽監督アレクサンドル・ラザレフの下で副指揮者を務めるなど指揮者の活動歴があり、弓先での指示は並のコンマスより鋭く、頻繁だった。ロシアの作曲家に対する使命感も伴い、指揮者では不可能に近い〝高機能〟のスコアを何とか破綻なく、再現することができたのは幸いだった。


ベートーヴェンも前半同様の対向配置、弦は8-8-6-4-3の小編成だったが良く鳴り、管楽器のソロがくっきりと浮かび上がる。休憩時間に持ち込まれた4台のモニターは客席側にも向けられ、燕尾服のノットはお辞儀も楽員起立の指示も、本番さながらに行う。最初は見慣れない光景の違和感を拭えなかったのに、ノットと東響の呼吸があまりにピタリと合い、過去のベートーヴェンでも驚かれた即興的なテンポの変更や響きのバランスの工夫をことごとく実現していくプロセスに息をのむうち、気にならなくなった。特に最終楽章。再現部手前の第2主題を合奏ではなく首席奏者の室内楽として処理したり、コーダ(終結部)にアッチェルランド(加速)だけでなく独特のスイング感を伴うフレージングを与えたり…の「やりたい放題」が見事に決まり、拍手は楽員退場後も鳴り止まず、全員が再びステージに戻って一礼して終演。私の近くで聴いていた沖澤のどかは「素晴らしい演奏でしたね。唯一の欠点は楽員から指揮者に〝ダメ出し〟ができないことかしら?」と、指揮者らしい感想を述べた。


終演後は雨の中を車を走らせて上野に向かい、東京文化会館主催「小曽根真 Jazz meets Classic」を聴いた。中1時間、なかなか充実した土曜日の昼下がりである。こちらは首席客演指揮者アラン・ギルバートと東京都交響楽団、合唱団がコロナ禍の影響でキャンセル、太田弦指揮新日本フィルハーモニー交響楽団と合唱パートを置き換えたハモンドオルガンが急場を救う前代未聞の大胆な交代劇の現場だった。会場には長く見なかったディスクの即売が、飛沫防止のアクリル板とともに復活していた。26歳の太田は先週、同フィルの定期で音楽監督の上岡敏之の代役も務めたが、シューベルトの「交響曲第8番《グレイト》」と荷の重過ぎる曲で気の毒な結果を生んだ。今回は早くに代役が決まった上、小曽根のクロスオーバーな自作を若者ならではの柔軟さで自由自在にさばき、逸材であることを印象づけた。


前半はモーツァルトの「ピアノ協奏曲第23番」。ベートーヴェンの「合唱幻想曲」からの差し替えだった。小曽根はモーツァルトをクラシックに進出した当初から弾きこみ、ビートを効かせながら即興の装飾音を多用する独自のスタイルを確立している。カデンツァのグルーヴ感だけでなく、オーケストラのトゥッティ(総奏)にオブリガートを重ねる辺りには最新の様式感も反映、かなりセンスのいいソロだった。太田は偉大なミュージシャンを尊敬するあまりか粒だちのいいピアノとの対照を際立たせたかったのか、若い世代には珍しいほどレガート(切れ目なくスムーズ)なフレージングを際立たせ、休憩中のロビーには賛否両論が飛び交った。私は世の趨勢に媚びず、自分の音楽を押し通した太田の意思を尊重したい。


後半は小曽根の「ピアノ協奏曲《もがみ》」の改訂管弦楽版初演。2003年の「第18回国民文化祭・やまがた2003」開会式(10月4日)に先立ち、開会式プロデューサーを務めた作家の井上ひさしが小曽根に「《最上川舟唄》を素材としたピアノ協奏曲」の作曲を委嘱、小曽根が独学の管弦楽に四苦八苦しながら完成させた。初演は好評、何度かの再演を経て合唱を伴う拡大管弦楽版のスコアを今回、盟友のガース・サンダーランドに依頼した。「コロナ禍の影響により、『合唱』の部分をハモンドオルガンで演奏する運びとなりました。クラシックの形態で書かれたこのコンチェルトの最終章に、黒人の教会音楽の音色が響き渡る……想像しただけで胸が高鳴ります。どうぞこの『共存』の響きを思いっきり楽しんでください」と、小曽根はプログラムに記した。コロナ禍と前後して再燃した米国の人種差別問題に目を向けつつ、合唱の脱落を新たな楽器の採用と静かな主張に生かしたアーティストの思いは、しかと客席に届いた。普段から接していて、小曽根の優しさは中途半端な共感や憐憫からではなく、練達のプロフェッショナルとして、アートが人々の傷つき疲れた心に何を提供できるかを究め、全身全霊で発したものだと確信する。アンコールのソロに至るまで小曽根のカラーで染めあげられ、指揮者もオーケストラも客席も、全員が温かな感触を共有した。

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