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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

鶴見で「ダンテを聴いて」


JR京浜東北線の鶴見といえば、子どものころから「京浜工業地帯の一角」と教えられ、鶴見川の水質汚染は全国屈指の酷さだった。今日では駅前が再開発され、外国人居住者の多さから国際色豊かな雰囲気もある。広場に面したビルに入居する横浜市鶴見区民文化センターの3階には座席数100と、室内楽に理想的なサルビアホールがあって、世界的な弦楽四重奏団が次々に来演している実態は知る人ぞ知る。SQS(サルビアホール・クヮルテット・シリーズ)を企画主催するのは、これまた知る人ぞ知るコアな音楽ファンで長年、湘南学園高校の歴史教師(定年後の現在も進路指導の顧問)と室内楽プロデューサーの二足のわらじをはいてきた平井満氏。世界的団体でも日本の知名度が低い室内楽チームが初来日する際、「そうだ、1公演は平井先生にお願いしよう」と多くの音楽マネジメントが頼りにしている。


2018年11月27日、SQS第106回公演は英国のダンテ・クヮルテット。伝説の室内楽ユニットDOMUS(ドーマス)の一員だったクリシア・オソストヴィチ(ヴァイオリン)をリーダーに1995年、ロンドンで結成。現在はオスカー・パークス(同)、井上祐子(ヴィオラ)、リチャード・ジェンキンソン(チェロ)の顔ぶれで2007〜14年のケンブリッジ大学キングス・カレッジを経て、現在はバーミンガム大学のクヮルテット・イン・レジデンス。数年前、同じく英国人と家庭を営むヴァイオリニストの安良岡ゆうから井上を紹介され「日本公演に協力してほしい」と言われ、マネジメントにつなぎ、2年前に初日本ツアーが実現。今回も同じマネジメントが定番?通り平井先生にお願いして、サルビアが決まった。


プログラムは英国の作曲家ハーバート・ハウエルズ(1892〜1983)の「オードリー夫人(嬢)の組曲(Lady Audrey's Suite)作品19」とショスタコーヴィチの「弦楽四重奏曲第3番」が前半。後半はベートーヴェンの「同第9番《ラズモフスキー第3番》」で、アンコールがチャイコフスキーの「同第1番」の緩徐楽章「アンダンテ・カンタービレ」。ロシアの作品ではパークス、他はオソストヴィチが第1ヴァイオリンを弾いた。


何より、4人の技量が高い水準で拮抗し、惚れ惚れする技と室内楽への熱い思い、英国流のある種の客観性を保った様式の描き分けなどに一切の抜かりがない。ステージ上での調弦も最低限にとどめ、演奏会の始まりからアンコールの最後まで、心地よい緊張感が持続する。英国民謡風の主題が散りばめられ、フランス近代音楽への接近もみせるハウエルズの作品で客席をぐっと引き寄せ、難物ショスタコーヴィチを「聴く耳」を柔軟に開かせる。さらにロシア貴族のラズモフスキー伯爵にちなむベートーヴェンの名曲で弦楽四重奏の歴史を遡る。非常にプロフェッショナルなセンスに富む選曲、と思う。ハウエルズではチェロのジェンキンソンの妙技が光り、ショスタコーヴィチにおけるパークスのリードは強靭だった。オソストヴィチと井上、2人の女性奏者は室内楽のヴェテランとして強い存在感を示し、アンサンブルの要となっている。ブラックユーモアを介する英国メンタリティーと、ショスタコーヴィチのアイロニーの相性は事前の想像以上に良く、複雑に仕掛けられたメッセージの解読に強い力を発揮した。ベートーヴェンでは細部の乱れをものともせず、巨大な音楽世界の核心へと一心不乱に突き進む情熱が客席を圧倒した。臨時編成の弦楽四重奏では絶対に得られず、また、ドイツやフランスなどヨーロッパ大陸のチームとも異なる美意識をはっきり自覚したプロフェッショナル4人の、素晴らしいライヴだった。

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