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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

野平一郎・中恵菜・太田糸音・川瀬賢太郎・山本絵理・小澤真智子・霜浦陽子!

更新日:2021年3月23日


同業の先輩で演奏会批評サイトのパイオニア、東条碩夫さんに「1日に2つか3つの公演を聴いた場合、レビューを1本にまとめたりなさるのですか?」と質問したら、「そんな失礼なことはしません。ちゃんと1つずつ書きます」と答えられた。私は新聞記者時代の「傾向記事」の名残もあり、時として意図的に「まとめ記事」を書いている。直近の週末も本番ゲネプロ合わせて5公演を聴き、色々と思うところがあったので、一括りにしてみたい。


全てのコンサートに共通したのは:

1)新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大の長期化により、とりわけ欧米在住日本人の演奏機会は激減。一時帰国しての公演が「ほぼ1年ぶりの本番」という極端なケースも含め、困難な状況下の悪戦苦闘を通じ、アーティストとしての成長、円熟を示した。

2)定評あるレパートリーだけに安住しないで、新たな領域に失敗を恐れずに挑んだ。

3)それぞれ多彩な人脈を持つファミリーの一員であったとしても、それに甘えず、実力だけで自分独自の世界を切り開いてきた。

ーー当たり前といえば当たり前だが、なかなか簡単にはできないことだと思う。


1)「東京藝術大学音楽学部作曲科教授 野平一郎退任記念演奏会」(2021年3月19日、東京藝術大学奏楽堂)

野平一郎「弦楽四重奏曲第5番」「同第6番(世界初演)」「ベートーヴェンの記憶」

AOI・レジデンス・クヮルテット(松原勝也=第1ヴァイオリン、小林美恵=第2ヴァイオリン、川本嘉子=ヴィオラ、河野文昭=チェロ)、野平一郎(ピアノ)、仲井朋子(コンピュータ)、片桐健順(音響)

野平は作曲家、ピアニスト、指揮者、教育者…と多面的な音楽活動を1つの確固とした人格の下に繰り広げる「完全なる音楽家」像を恩師アンリエット・ピュイグ=ロジェに叩き込まれ、精力的に実践してきた。日本の母校、藝大ではソルフェージュ科の常勤教官を1999ー2002年に務めていったん退官、2009年に作曲科准教授として戻ったので「2度目の退官」(本人のプレトークより)という。1953年生まれの67歳。音楽家としてはまだまだ先があり、今後はより自由な立場から円熟境を歩んでいくに違いない。そう確信させたのは、2005年から芸術監督を続ける静岡音楽館AOIのレジデンス・クヮルテットのために書いた2015年と2021年、2つの弦楽四重奏曲が示した作風の大きな変化である。ピエール・ブーレーズの言葉「錯乱を組織しなければならない」を問題意識の根本としつつ、最新作には、コロナ禍で唐突に与えられた〝静かな時間〟が幸いしたのか、より人間の生理に忠実で、温かな感触が現れていた。32曲のピアノ・ソナタのパラフレーズを散りばめた「ベートーヴェンの記憶」は2003年の作品で、サラウンド効果も発揮する電子音に立ち向かいながら、ピアニストとしての冴えた腕前を存分に披露。「未来に向かって生きる」凄みをみせた。


2)「中恵菜ヴィオラ・リサイタルwith太田糸音(ピアノ)」(3月20日、Hakujuホール)

シューマン「アダージョとアレグロ」

シューベルト「アルペジオーネ・ソナタ」

ペンデレツキ「無伴奏ヴィオラのためのカデンツァ」

ショスタコーヴィチ「ヴィオラ・ソナタ」

都合でゲネプロ(会場総練習)にうかがい、ペンデレツキを除く3曲を聴いた。1993年生まれの中は世界各地の音楽コンクールで上位受賞を続けるカルテット・アマービレの一員であり、私生活ではNHK交響楽団首席チェロ奏者の辻本玲の夫人。ピアノの太田はさらに若い20歳の新進だが、東京音楽大学を飛び級入学&早期卒業した早熟の才だ。初共演の2人は互いの音を良く聴き合うにとどまらず、時に丁々発止、少しでも立体的に音像を立ち上げようと試みる志の高さに感心した。太く温かな音色で朗々と鳴りながら決して鈍重にはならず、楽曲の核心に鋭く踏み込む中の演奏は今井信子以来の「ヴィオラ大国日本」の最先端といえ、これから大きな注目を浴びるだろう。太田のピアノには、すでに独自の風格がある。次にきちんと、それぞれの本番を聴ける機会は「すぐに訪れる」と確信している。



3)神奈川フィルハーモニー管弦楽団「県民名曲シリーズ」第10回定期演奏会(3月20日、神奈川県民ホール大ホール)

川瀬賢太郎指揮神奈川フィル(コンサートマスター=三浦章宏)、青木エマ(ソプラノ=コゼット)、高野百合絵(メゾソプラノ=エボニール)、大山大輔(バリトン=ジャン・バルジャン&語り)、加耒徹(バリトン=マリウス)、二期会合唱団、田尾下哲(構成台本)

創立50周年、地域に根ざした活動を繰り広げる「かなフィル」にふさわしい土曜午後の名曲コンサート。革命の時代に運命と立ち向かい、翻弄される若者群像を管弦楽の前半、ミュージカル「レ・ミゼラブル」を軸に田尾下と川瀬がつくったオリジナルの音楽劇「若者たちの60分のレ・ミゼ」の後半を通じ、非常にホットで感動的な音楽の時間を現出させた。


ベートーヴェンの通称「戦争交響曲」は2月にも川瀬指揮、東京都交響楽団の演奏をサントリーホールで聴いたばかり。サントリーでは敵対する両陣営(ナポレオン軍と英国軍)の管打楽器バンダ(別働隊)を上方に配したので視覚に難があったが、神奈川県民ホールはベタに舞台の前方左右だったから、わかりやすかった。1か月の間に2度も聴くと、なんぼ何でも「駄作」という気がしてきた(笑)。オペラからの3曲は、首都圏ではあまり接する機会がない川瀬の劇場指揮者としての適性をはっきりと示した。


「レミゼ」にも強い思い入れがあるらしく、今年1月には東京佼成ウィンドオーケストラ第152回定期演奏会で吹奏楽版(大橋晃一編)を指揮している。「音楽の友」オンライン版で事前インタビューを書かれた山田治生さんの話によると「著作権料などから、通常、演奏会では3曲までしか使えないらしく、どの3曲を使うかが一番の問題となる。今回は、オペラの名曲を交えながら、若者3人にフォーカスし《ア・ハート・フル・オブ・ラヴ》から《ワン・デイ・モア》までを切り取って、音楽劇としてのクライマックスを築き上げていた」という。間に挟まれた作品とのつながりにも違和感はなく、それぞれの歌手の持ち味を良く引き出していた。とりわけ高野の圧倒的存在感と、オペラだけでなくバッハ・コレギウム・ジャパンの宗教音楽独唱やドイツ歌曲(リート)にも傾倒する加耒がマイクの使い方も巧みに、ミュージカル風の歌い方をこなす器用さが強く印象に残る。良い企画だった。


※「ONTOMO」、山田さんによる川瀬インタビュー記事:


4)「山本絵理ピアノリサイタル」(3月20日、サントリーホール ブルーローズ)

ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第8番《悲愴》」

ショパン「夜想曲第20番(遺作)」「同第8番」「舟歌」

リスト「《巡礼の年》第2年《イタリア》から《ペトラルカのソネット第104番》」

ヴェルディ=リスト「《リゴレット》演奏会用パラフレーズ」

リスト「《巡礼の年》第2年《イタリア》からソナタ風幻想曲《ダンテを読んで》」

1993年生まれの山本は東京都内の高校在学中にロータリークラブ青少年交換留学生に選ばれ、ブダペストのリスト音楽院に入学、ハンガリー政府の奨学金も得て修士課程ピアノ科を首席で卒業した。さらに英国王立音楽院を2018年卒業、英国アーティストヴィザを取得し、ロンドンを拠点に演奏活動を続けてきた。父親が高名なグルメ評論家(山本益博さん)であるにもかかわらず、16歳から自身の実力で奨学金を得て以来、一貫して外国でひとり頑張ってきたのは素晴らしいと思う。「この1年間、私の住んでいるロンドンの街には人が歩いていませんでした。まるで、映画のセットのような、生気のない日々でした」とプログラムに記し、アンコールでは「今、皆様とこの時間、同じ空間の中で音楽を共有できた喜び」を率直に語り、リストの「《愛の夢》第3番」と千住明の「宿命」ソロ版を弾いた。


冒頭の「悲愴」は久しぶりのステージで緊張したのか、あるいは、まだ作品を手中に収めていないのか、どこかぎこちなく、右手の打鍵にも不安があった。ショパンでは安定を取り戻したものの、まだエンジン全開には至らなかった。だが後半、〝本場仕込み〟のリストで完全にペースをつかみ、磨き抜かれた技巧と鮮やかな音色美で客席を陶酔の世界へと誘った。中でも「ダンテを読んで」の緊張感とスケール、深い呼吸は第1級のピアニストの証といえた。逆算して感心するのは、演奏効果や簡単な成功だけを望むなら、リストを前半に持ってくるのが無難だったにもかかわらず、敢えて「まだ苦手意識が抜けない」というベートーヴェンでコロナ自粛明けの世界を切り開き、ショパンを経てリストに至る鍵盤音楽史の展開にも目を向けた難易度の高いプログラムを自らに課した芸術家の矜持だった。シックな黒のドレスをまとい、ヨーロッパの洗練も身につけた大人の女性の魅力が演奏にも溢れていた。生後6か月で「ロブション」にデビュー、三つ星の離乳食を味わっただけのことはある?


5)「小澤真智子 旅するヴァイオリン〜春を聴く とっておきのプログラム」(3月21日、サントリーホール ブルーローズ)

小澤真智子(ヴァイオリン)、霜浦陽子(ピアノ)

ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第5番《春》」

ピアソラ「ブエノスアイレスの春」「エチュード第3番(ブルーネッティ編)」「《タンゴの歴史》より《ナイトクラブ1960》」「バルダリート」「リベルタンゴ」

ゴリジョフ(ゴリホフ)「《ヘブライ・ミロンガ》〜オクタービオ・ブルーネッティの思い出」(世界初演)※実際にはピアソラの1曲目と2曲目の間に演奏された

ニューヨーク在住の小澤も山本と同じく昨年を通じ何もできない日々を送り、日本でのリサイタルを2度にわたり延期、ついに「およそ1年ぶりの大きな本番」に臨んだ。2020年のベートーヴェン生誕250周年、2021年のピアソラ生誕100周年にちなむ選曲の間に、小澤の婚約者で2014年に急逝したブルーネッティの思い出のためにゴリジョフが書いた新作をはさんだ。こちらもベートーヴェンと向き合うのは久しぶりだったそうで、元気はつらつでリズムの切り立つ小澤の持ち味をほとんど発揮できないまま、かなりの慎重運転に終始した。だが山本のリストと同様、長く打ち込んできたピアソラを並べた後半で魅力が爆発した。


単に弾きこみ、パワーで客席を圧倒する以上に、長年の蓄積がより深く、味わいのある表現として熟し、大きな果実に結晶した気がする。パイオニア的な存在であるギドン・クレーメル以後、ピアソラを上手に弾くヴァイオリニストは随分と増えたが、小澤のように魂をこめ、いま生まれたてのように切実かつホットな音楽に再現できる弾き手はまれだ。アンコール3曲(《オブリビオン》《孤独の歳月》《アヴェ・マリア》)に至るまで、小澤の強烈なピアソラ愛が聴衆にも浸透し、熱い共感を生んだ2時間。ゴリジョフも心にしみた。小澤の音楽を知り尽くして支え、必要とあれば情熱を爆発させる霜浦のピアノの貢献度は高い。

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