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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

遂に私の時代が来た!、と言わんばかりに「一皮むけた」山田和樹と読響の光彩


山田和樹が首席客演指揮者を務める読売日本交響楽団と約1年ぶりに共演、2021年3月に3プログラム計4回振るうちの2プログラム2公演を聴いた。在京オーケストラのポストでは日本フィルハーモニー交響楽団正指揮者が先にあり、2018年に始まった読響との固定関係は当初、マーラーの交響曲全曲演奏会を成功させるなどの実績を積んだ日本フィルとに比べて、どこか隔靴掻痒(核心に触れず、はがゆいこと)感を伴うものだった。ところが今回は光景が一変し、コロナ禍の中で思索と試行錯誤を極めたであろう山田自身が指揮者として一皮むけ、読響とも格段の深さで噛み合うようになった。指揮法にも改善の跡がみられ、全身の運動能力を無駄なく意思伝達に生かせる術を身につけた。昨年の演奏休止からの再開後、読響は鈴木優人から原田慶太楼、松本宗利音に至る若手、あるいはフルオーケストラ指揮に進出して間もない人材を積極的に起用してきた。山田は年齢と世界の大オーケストラの指揮経験の両面で彼らの「お兄さん」格に当たり、潜在能力をフルに引き出し、実に恰幅のいい音響を造形できる点で一日以上の長がある。2公演とも、非常に充実した演奏会となった。


1)第606回定期演奏会(3月4日、サントリーホール)

ウェーベルン「パッサカリア」

別宮貞雄「ヴィオラ協奏曲」(鈴木康浩=読響ソロ・ヴィオラ=独奏)

グラズノフ「交響曲第5番」

(コンサートマスター=長原幸太)

「第二次ウィーン楽派(新ウィーン楽派)」と一括されるシェーンベルク、ベルク、ウェーベルンは(ベルクをやや例外として)かなり長い間、一般聴衆には「とっつきにくい音楽」とされてきた。ところが今回、山田と読響の演奏は後期ロマン派の爛熟した響きの延長線上にあり、身近な音楽に聴こえた。官能性すら覚える感触に、確かな古典化を印象づけた。


このレビューで再現するのも「どうかなあ」と思うが、別宮生前のエピソードをひとつ。サントリーホールの東京都交響楽団定期演奏会で開演直前、チューニングも終わって静まりかえった客席で、別宮が突然、隣席にいた同業者の間宮芳生に大声で話しかけた。「最近、読響がとっても良くなったと聞くのだけど、僕には招待がこないから、わからない。君はどうだい?」。間宮の困惑しきった表情を今も思い出す。これを境に?読響からも招待状が届き没後9年の今、尾高賞を受けた1971年の傑作が読響定期で、そのソロ・ヴィオラ奏者の演奏により再演されたのだから、天上の作曲家の喜びもひとしおだろう。パリでメシアンとミヨーに師事した後、自身が信じる音楽語法だけを究めた別宮は「ヴィオラ協奏曲」を今井信子のために書いた。初演後半世紀を経た現時点で聴くと、完成度の高さより、最初の「サン=サーンスが日本に来てヴィオラ協奏曲を書きました!」的な開始から次第に日本的、同時に前衛的となり、エネルギー爆発へと至るワーク・イン・プログレスの面白さに興味がいく。鈴木のソロは技術の課題を易々とクリアした上に美音で音量も豊か、楽曲の魅力を現代に蘇らせた。過去の名作の〝掘り起こし名人〟山田の指揮、読響の同僚たちの献身的サポートも得て、まずは理想的な復活演奏に結実した。演奏後の楽員、客席の熱狂も素晴らしかった。


山田のグラズノフは日本フィルに君臨するロシアのマエストロ、アレクサンドル・ラザレフとは、まるで異なるアプローチだった。ロシア的な情感とかリムスキー=コルサコフ直系の管弦楽法といった先入観にとらわれず、良く鳴るスコアを色彩感豊かに再現し、バレエ音楽さながらにリズムを際立たせた指揮は、魔術師レオポルド・ストコフスキーやその薫陶を受けたホセ・セレブリエールら非ロシア系マエストロの解釈に近い。読響の熱演も見事だ。


2)第640回名曲シリーズ(3月9日、サントリーホール)

リスト「交響詩《前奏曲》」

R・シュトラウス「交響詩《死と変容》」

ニールセン「交響曲第4番《不滅》」

(コンサートマスター=小森谷巧)

コンサートマスターは交代したが、実は2公演とも並んで弾いていて席次の左右が入れ替わっただけ。読響はそれだけ、山田との久々の共演に万全の態勢で臨んでいた。名曲シリーズでは先ず、プログラミングの面白さに目がいく。コロナ禍の長期化で人々は死への前奏曲を絶えず聴いているが、いつか変容(変異株では断じてなく!)に至り、最後は不滅を確信して終わるとの願いがこめられているように思えた。かつてガリー・ベルティーニが石原慎太郎元都知事の都響〝いじめ〟に絶望して任期満了を待たずに音楽監督辞任を決意した直後、シューベルトの第7番、ハイドンの第45番、ベートーヴェンの第5番という3つの交響曲で「私は仕事を未完成のまま、告別せざるを得ない運命に至った」との意思を表示した演奏会をふと、思い出した。読響としても日本にコロナ禍が飛び火する寸前の2020年1月15日に下野竜也指揮、サントリーホールで行った第594回(いま思えば、〝獄死〟を想起させる不吉な番号か?)定期演奏会で日本初演したグバイドゥーリナの「ペスト流行時の酒宴」が予見し過ぎてしまった暗い世界から、脱出を祈念するための選曲だったのかもしれない。


あまりに人口へと膾炙した結果、滅多に実演で聴けなくなってしまったリスト「レ・プレリュード」。通俗名曲ルーティン演奏の愚を極力避けた山田の美しく優しい感触のリードの下、打楽器チームが水際立ったリズム感を披露した。残念ながら「死と変容」は久しぶりのリスト、ニールセンの間に挟まれてリハーサル時間が短めだったのか精度が落ちた。とりわけ中間部で管弦楽がけたたましく咆哮する部分での粗雑な合奏と響きが、耳にさわる。だが幸福時代を懐かしみ、死とともに訪れる浄化にかけては大幅に持ち直し、東京混声合唱団音楽監督も兼ねる山田の歌心が全開した。今は亡きマエストロ岩城宏之は山田の才能を早くに見出し、東混の後事を託すに際し「歌が全ての基本だ」と諭した。いったんバラけかけた演奏を豊かな歌のセンスで立て直した山田の現場を見るにつけ、岩城の慧眼に思いをはせた。


ニールセンの演奏はあまりに圧巻で、大して述べる語数がない。今や完全に機能する山田と完全燃焼の読響のケミストリーが安物の北欧情緒模倣、力づくの管弦楽ヴィルトゥオーゾ(名人)のいずれでもない2021年時点の日本人音楽家ベストパフォーマンスを達成した。第4楽章の雄大な歌心は、グラズノフ以上だった。読響はかつて、フィンランド人指揮者オスモ・ヴァンスカと何シーズンか費やしニールセンの交響曲全曲演奏に挑み、記憶に残る成果をあげた。今回の木管パート首席奏者がヴァンスカとニールセンを体験した年長者を中心に組まれたのも一つの見識だ。ティンパニは2台が掛け合うため、読響の岡田全弘と神奈川フィルハーモニー管弦楽団の篠崎史門という首席2人が下手と上手に分かれ、妙技を競い合う楽しみまで用意され、実にリッチな気分。哲学者ベルクソンの「生の飛躍」に共感したニールセンが生命を「不滅=消し去りがたいもの」と捉え、音楽に描いた世界は山田の渾身の指揮で21世紀の東京、コロナ禍との闘い長期化で心身とも疲弊する聴衆にしかと届いた。


カーテンコールの最後、指揮台に上った山田がマスクを着用するパフォーマンスとともに、客席へ向かって叫んだ:

「読売日本交響楽団は永久に《不滅》です!」


ある年齢以上の日本人には説明するまでもない。天才野球選手、東京読売巨人軍の長嶋茂雄が現役引退した1974年10月12日、旧後楽園球場で涙ながらに語った惜別の辞「我が巨人軍は永久に不滅です」のパロディーである。芸風は全然違うにもかかわらず、何か一言、スピーチをせずにはいられない行動様式とメンタリティーにおいて、我らの山田和樹は東京藝術大学音楽学部指揮科で師事した「炎のコバケン」(小林研一郎=東京藝術大学名誉教授、日本フィル桂冠指揮者、読響特別客演指揮者)に一脈通じる瞬間があって、びっくりする。かつてレナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックでマーラー全曲演奏を手がけた時、人々は作曲家が遺した「やがて、私の時代が来る!」の言葉を思い出し、「遂にマーラーの時代が来た!」と熱狂した。読響との2回の実演に接し、私は「遂に山田和樹の時代が来た!」と思った。

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