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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

角野隼斗&横山奏指揮の日本フィルwith高橋克典→宮田大&三浦一馬のあっぱれ

更新日:2021年2月4日


東京文化会館小ホールの石の上に置いてみた

数日前、1年間の音楽事務所勤務を終え「書き手に戻ります」という歳下の友人に会った。「若い世代をクラシック音楽のライヴに誘うのに、妙に敷居を低くしたり特別な仕掛けを施したりは不要と確信しました。本来興味を持ってくれそうな層に、正しい情報が伝わっていないから、来たくても来ようがないのです。僕は若い世代に伝わる発信方法を模索して、自分で伝えていくことにしました」。持続可能な社会、地球温暖化の防止などが叫ばれる中で多色刷りのチラシを大量にばらまき、1%以下の打率で高齢の顧客層をつなぎ止めるビジネスモデルの陳腐化は長く危惧されつつも、コロナ禍の前までは何とか惰性で持っていた。高齢者が外出自体を控える今、ネットの世界で頭角を現し、リアルのライヴパフォーマンスに幅広い世代の聴衆・観客を誘導できる新しいタイプのアーティスト層が形成されつつある。


2021年2月3日。日本フィルハーモニー交響楽団とサントリーホールが主催する平日午後の演奏会「とっておきアフタヌーン」のVol.15に抜擢されたピアニスト、1995年生まれの角野隼斗は「Cateen(かてぃん)」名義で作曲・編曲した音楽を自身が演奏してYouTubeにアップ、2021年1月時点でチャンネル登録者数が60万人、総再生回数が6千万回を突破したという。東京大学大学院卒業の理系男子ながら、ピアニストとしてもピティナの特級グランプリを獲得した腕前の持ち主。ピエール・ブーレーズがパリに創設したフランス国立音響音楽研究所(IRCAM)で音楽情報処理の研究に従事した。客席は平日昼にもかかわらず若い人たちが目立ち、チラシとは全く異なるルートで集まったのが誰の目にも明らかだった。


角野が横山奏指揮の日本フィルと共演したのはガーシュインの《ラプソディー・イン・ブルー》と自作の《ティンカーランド》(とっておきアフタヌーン特別版)の2曲。前者のカデンツァ、最初のものでは鍵盤ハーモニカを弾き重ね、最後のものではピアノ音楽におけるラプソディー(狂詩曲)のルーツであるリストの「ハンガリー狂詩曲」を思わせる〝暴走〟でガーシュインの新大陸=アメリカから旧大陸=ヨーロッパへのタイムトラベルをやってのけ、すごく面白かった。ソリストとして大編成のオーケストラと渡り合う音量だけでなく、音響を専門に修めたことの反映か、タッチ(鍵盤に指が当たる位置)の絶妙なチェンジが生む音色の多彩さは日本人離れしている。ナビゲーターの高橋克典は俳優の名声が先に立ってあまり知られていないが、横浜の有名音楽指導者夫妻の息子で耳が良いのだろう。ガーシュインの後のトークでは真っ先に、角野のタッチと音色の魅力をアドリブで指摘した。自作にはグランドピアノ、鍵盤ハーモニカに加えトイピアノが登場、煌めきの角野ワールドが全開した。私のすぐそばの席に小曽根真がいたので、「あなたが日本のオーケストラと〝何でもあり〟の《ラプソディー・イン・ブルー》の扉を開いたからこそ、角野さんも思う存分弾けるのだと思う」と声をかけた。「いやあ彼、凄いね!」と、小曽根も角野を絶賛していた。


横山は2018年の東京国際音楽コンクール「指揮」の第2位。1位が沖澤のどか、3位が熊倉優だ。3人の中でも最も即戦力の安定感があった半面、手際のよさが行き過ぎ〝便利屋〟として使われる危惧も感じた。果たして冒頭、スメタナの「連作交響詩《我が祖国》第2曲《ヴルタヴァ(モルダウ)》」は端正に整っていたが、民族精神の激しい発露といった部分での踏み込みが不足した。だが角野との共演を聴いた後は「このパートのリハーサルに時間を費やしたのだろう」と察しがつき、スメタナまで批評するのは「お気の毒」と思った。ガーシュイン以降、トランペットのトップにイタリア人のオッタヴィアーノ・クリストフォリが座るとオーケストラの音にみるみる輝きが増した。彼のソロが活躍するムソルグスキー(ラヴェル編曲)「組曲《展覧会の絵》」では場面ごとのキャラクターを適確に描き分ける横山の美点が存分に発揮され、最終曲《キエフの大きな門》での若さ爆発を爽快に決めた。



同じ日の夜は東京文化会館自主企画「シャイニング・シリーズ」のVol.8、チェロの宮田大とバンドネオンの三浦一馬のデュオ・リサイタルを小ホール(完売)で聴いた。プログラムは添付画像の通り。現在、宮田が34歳、三浦が30歳と十分に若いが、2人のトークによれば共演歴は長く、宮田にとって三浦は「僕のタンゴの先生」という。前半はクラシック、後半はアルゼンチン・タンゴ。編曲の大半を三浦が手がけた。先月の福間洸太朗(ピアノ)とのデュオでも明らかだった宮田の急激な進化(深化)は今回も際立っていて、ただ上手く弾く以上の根源的な人間の営みのなか、心の奥底から絞り出す肉声が絶えず聴こえる。それでいて軽妙洒脱、肩の力が抜けている。対する三浦は元々バンドネオン奏者には稀有な〝草食系〟の音楽性(もちろん、良い意味で)の持ち主であり、クラシック系ソリストとのデュオも一切妥協なしのまま、綺麗にハマる。


2人とも台本なしのフリートーク。客席の雰囲気を敏感にキャッチしながら当意即妙、私生活とかファッション、グルメ、スイーツといったアイドルタレントまがいの余計なお喋りは一切なしで、音楽の魅力をストレートに伝える能力の高さを発揮した。特に、宮田がバンドネオンとJ・S・バッハ、ヘンデルを奏でる際、「パイプオルガンのように」と言及したのが素晴らしい。バンドネオンのルーツはアルゼンチンに移住したドイツ人が讃美歌を歌うために考案した、パイプオルガンの代用品だったからだ。皆がコロナ禍長期化で心身とも疲弊する日々、先ずは癒しの角度から入り、最後はすごいエネルギーを授かる感触で、音楽のご馳走を味わった。自分はとりわけ、タンゴの優れた歌い手であり作り手だったカルロス・ガルデル(1890ー1935)の2曲、《わが懐かしのブエノスアイレス》《首の差で》に胸しめつけられ、アルゼンチンへの強い思いを意識した。2人それぞれのタンゴの超絶弱音とか、新境地や聴きどころが満載。「いつかは訪れたい」と願い、「地球の歩き方」や「ミシュラン・ガイド」を何度か購入したにもかかわらず、まだ1度もアルゼンチンを旅したことがない。友人のバンドネオン奏者、平田耕治によれば「横浜港を真っ直ぐに掘るとブエノスアイレス」とのこと。世界の平穏が回復したら「今度こそ出かけよう」との思いを新たにした。このコンサートの客層も幅広く、従来のクラシックとは様相を異にした。


若い日本人アーティストが独自の才覚を発揮して新しい客層を掘り起こし、かなりの動員を実現する姿を1日に2度も拝めて幸せ。もちろん演奏が優れていて初めて、可能な話だ。

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