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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

藤田真央のモーツァルト「短調づくし」アマデウスと一体化した縦横無尽に驚く

更新日:2021年10月17日


本公演が15日で追加公演が12日
本公演が15日で12日は追加公演

王子ホールが企画した全5回の藤田真央「モーツァルト ピアノ・ソナタ全曲演奏会」の第2回。「限りない哀愁と苦悩」の副題を添え、短調作品ばかり6曲を並べた演奏会を2021年10月15日、銀座の同ホールで聴いた。プログラムはトップ画像に収めたチラシの通り。


面白いのは「ソナタ全曲演奏会」と銘打ちながら、ソナタは前半に第8番イ短調K310、後半に第14番ハ短調K.457の2曲だけ。それぞれの前に調性や作曲時期の関連性を考慮した小品を2作ずつ置く構成だった。もっともアンコールでは第5番ハ長調K.283まるまる全曲、第15番(旧全集第18番)ヘ長調K533の第3楽章と一転、長調のソナタ2曲を弾いた。


それぞれの小品が小林秀雄やホロヴィッツが語った「ふとした哀しみ」の象徴、あるいは導入や触媒のように弾かれ、しみじみとした空気が浸透したところでソナタが始まり、客席は一気に「慟哭の谷底」へと突き落とされた。K.310にはパリで直面した母の死、K.457には思うように活躍できないまま次第に体調が悪化していくウィーンの日々が色濃く投影され、深い絶望が聴く者の胸に突き刺さる。最悪の状況にも絶やすことのない一筋の光の輝きも、決して見逃すことはない。藤田はヴォルフガング・アマデウスの精神のみならず肉体とまで時空を超えて一体化、憑依というよりはモーツァルトそのものになりきって瞬間ごと、ありとあらゆる感情の動きをそのまま鍵盤を介し再創造していく。やれアーティキュレーションがどうした、前打音はこうすべきだ、18世紀の強弱法の基本とは…などなど、後世の音楽学者や評論家のチェックポイントをするりとくぐり抜け、天才的な音のドラマを縦横無尽に繰り広げる。


こういうタイプのピアニストは作曲家との相性の良し悪し、その日の体調や気分で演奏が一変する。藤田とモーツァルトのマッチングは最高、グレン・グールドを思わせるハミング、うなり声も伴う演奏は装飾音をはじめ、即興のスリルにも満ちていた。もちろん18世紀音楽の軽やかさを意識したタッチのコントロールなどメカニックの備えも十分で、必要とあればチャイコフスキー国際コンクール2位受賞の輝かしいフォルテも轟かせる。


もう何度も書いてきたフレーズだけど、また、記す。藤田真央は間違いなく超常現象だ!

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