top of page
  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

藤原歌劇団「カルメン」、オペラ全曲上演再開第1号を実現するまでの試行錯誤


新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大に伴い、日本国内で舞台装置と衣装、演技を伴ったオペラの全曲上演は2020年2月末以降、中止や延期を余儀なくされた。藤原歌劇団も4月の「カルメン」(ビゼー)を8月に延期。「本当に上演できるのか?」と疑問視する声もあったが、感染防止策を最優先した演出(岩田達宗)と上演形態、観客対応を大きく変えたうえで8月15−17日、当初予定と同じ会場の川崎市の昭和音楽大学「テアトロ・ジーリオ・ショウワ」での公演にこぎ着けた。オペラ舞台の全幕有観客上演の再開としてはおそらく、全国第1号に当たる。小田急線新百合ヶ丘駅を降りて歩くこと数分、昭和音大キャンパス内の劇場に着くと、まずソーシャル・ディスタンシング(社会的距離の設定)に沿った入場規制があり、次に手首に非接触のディジタル体温計を近付けての検温、アルコール消毒液での手の殺菌、入場券の提示とセルフサービスの半券切り取り、氏名や連絡先のデータを集める観客カードの記入、さらにサーモグラフィーでの体温再チェックなど、すでに多くの演奏会でおなじみになった対策の数々が最も徹底したレベルで施される。ロビーのあちこちには、ディスタンシングをとりやすいようにした足跡マークの表示が貼られている。劇場内も1席おき互い違い(市松模様)の配席で、空席の背には藤原の歌手と朝岡聡さん(コンサートソムリエ)による配信オペラ講座の案内をぶら下げ、しっかりとPRも。


舞台中央にはテアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラが並び、管楽器を除く全員が黒いマスクを着用。衣装も黒だ。オーケストラ後方の高台には合唱が基本市松模様の配置で立ち、場面の雰囲気に応じた動きをつけ、背景画も替わるが、歌わない時は黒い幕を下げる。歌手やダンサーはオーケストラ手前の空間で演技。合唱も含めた全員がフェイスシールドを装着している。休憩は幕ごとに3回入れ、換気に念を入れる。上演中も中央通路左右の扉は開けたままで、演奏開始直前には係員が廊下の非常誘導灯を隠すボードを設置して回る。


岩田演出は本来「再演」だったはずが、オーケストラをピットから舞台に上げ、ソリストや合唱団員間のソーシャル・ディスタンシングにも配慮しながら、男女の愛憎劇や闘牛場の熱狂の基本は押さえなければならないという無理難題に突如直面した。随所に苦労の跡がしのばれたというか、まだ試行錯誤の途中としか思えない不足や過剰が散見されたというか、とにかく何とか現時点でベストの感染症対策を施し、何とか上演を維持したのが実情だろう。少年少女合唱団の出演は見送られ、藤原歌劇団合唱部の女声が子どものパートも歌った。


初日(15日)の主要キャストは題名役が桜井万祐子(メゾソプラノ)、ドン・ホセが藤田卓也(テノール)、エスカミーリョが井出壮志朗(バリトン)、ミカエラが伊藤晴(ソプラノ)。脇ではフラスキータの山口佳子(ソプラノ)、ダンカイロの押川浩士(バリトン)が主役級を食ってしまいかねないレベルの美声を披露した。フェイスシールドを付けると声の響き方が変わるのは当然として、慣れるのは時間の問題。歌手の表情も意外なほど、ちゃんと見える。恐ろしいのは発声の良し悪しが何も付けていない状態よりもはっきり、リトマス試験紙で判定するようにわかってしまうこと。含み声(イタリア語でインゴラート、ドイツ語でクネーデル・シュティンメ)の人は着用後、一段と不鮮明な音になるから要注意だ。


イタリアでの活躍が長い桜井(ミラノ在住)は、今回が藤原デビュー。私は6年前にイタリア・トッレ・デル・ラーゴのプッチーニ音楽祭で三枝成彰の「Jr.バタフライ」イタリア語版世界初演を取材した際、尼僧役に抜擢された桜井と知り合った。カルメンは「大学4年生のときに歌い、オペラの世界に足を踏み入れるきっかけをつくった役です」。長く歌いこんできたという。だが舞台で演じた場所がイタリア、スペイン、ドイツ…であり、フランス語圏を欠く結果なのか、フランス語を話せない私の耳にもフランス語には聞こえず、明らかに言葉と発音の明瞭度を欠いていた。最初の幕で気になった声の揺れは第2幕以降安定したし、「高音の出ないソプラノ」ではない、正調メゾソプラノとしての豊かな美声を備えているのは確かだ。演技もステレオタイプの悪女的な演出に慣れ過ぎたのか、岩田の考えるカルメン像との間の溝が埋まらないまま、舞台に出てしまったかのような浮き上がり方が残念だ。


藤田は元々輝かしい声の持ち主だが、今回は抑制も随所に効かせ、歌の陰影・奥行きが増した。大詰めの見せ場で1箇所、仕切りパネルの後ろで歌わせられたのは気の毒に思えた。井出はまだ若く、恵まれた美声だけでエスカミーリョを歌い切るのは大変だったろうが、将来に大きな期待を抱かせた。伊藤は最も安定感があり、第3幕のミカエラのアリア「何も怖くなんてない」では、オペラ本来の時間と空間を音楽の力だけで呼び戻し、圧巻だった。


合唱を動かしたい演出家の気持ちは痛いほどわかるにしても、後方コロスの固定された空間でウネウネ動く姿はゾンビに近く、様式美を重視するなら直立不動の方がクールだったと思う(これは私の趣味)。金色の紙吹雪には岩田の師匠、栗山昌良の直伝か?と苦笑い。

(※岩田の説明によると「スタッフの切なる願い」の金吹雪だったそう)


最大の収穫は、2019年の藤原歌劇団「蝶々夫人」(プッチーニ)で本格オペラデビューを果たした鈴木恵里奈の指揮。東京フィルハーモニー交響楽団や東京交響楽団など、ピットに実績のある老舗ではないオーケストラのアンサンブルを手堅く引き締め、音楽を停滞なく進めた。少し日本的な2拍子系傾斜のビートが気になるが、ドラマ展開に「即す」のではなく「予感させる」棒さばきには感心した。例えば第2幕で帰営時間を告げるラッパの旋律が最初に現れる瞬間、まだカルメン、ドン・ホセの歌はそこまで進行していないのに、鈴木のタクトが引き出す管弦楽は両者が関係破綻に向かう暗雲を適確に描き出していた。鈴木は今後、鋭い音楽センスに裏打ちされた職人的手腕の持ち主として、日本のオペラ界に欠かせない指揮者となっていくことだろう。


多くの困難を乗り越え、今回の上演を実現した全ての関係者、酷暑のなか新百合ヶ丘まで集まった観客の皆さん全員に、客席では出せなかった「BRAVI」を贈りたい。やはりオペラはDVDやストリーミング、ましてやCDではなく、リアルな舞台で生身の人間が全身全霊をこめて奏でる音の空間に浸りきりながら、味わいたい。音楽、芸術を愛する者にとってのエッセンシャルな「日常」の回復をいち早く実現した功績も含め、忘れがたい上演となった。

閲覧数:689回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page