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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

秋山和慶指揮N響と諏訪内晶子の独奏、「王道ベートーヴェン」の貫禄


NHK交響楽団2020年12月の演奏会は桐朋学園出身のベテラン、中堅の演奏家が活躍する。11日の東京芸術劇場は秋山和慶指揮、諏訪内晶子のヴァイオリン独奏によるベートーヴェン生誕250周年特集。前半が「《エグモント》序曲」とマーラー編曲の弦楽合奏版「弦楽四重奏曲第11番《セリオーソ》」、後半が「ヴァイオリン協奏曲」という並び。弦は2日前の読響定期と同じく12型(第1ヴァイオリン12、第2ヴァイオリン10、ヴィオラ8、チェロ6、コントラバス4)で管も2管と小ぶりの編成だが、若くエネルギッシュなN響のアンサンブルとマエストロ秋山の練達の指揮が噛み合い、豊かな響きがホールを満たした。


使用したスコアはブライトコップフ版。秋山は日本人が長く慣れ親しんできた「N響ドイツ音楽のサウンド」を生かしつつ、きりっと引き締まった感覚も加味、2020年時点のモダン楽器オーケストラにとって、最も適切な様式感を整えた。それぞれの楽曲の〝模範回答〟を示しながらも、円熟をはっきりと印象づけたのが素晴らしい。とりわけ《セリオーソ》の第3楽章から第4楽章にかけて、N響ストリングスのマッチョなソノリティを徹底して引き出したにもかかわらず、どこかに、しみじみとした味わいを漂わせるのには感心した。その感触は10日あまり前、同じ曲をオリジナルの編成で奏でた前橋汀子弦楽四重奏団にも一脈通じ、名教師の斎藤秀雄が直接指導した「桐朋第1世代」の凄みに、改めて思いをはせる。


諏訪内のソロはある意味、徹頭徹尾の〝男前〟だった。新たに得たというグヮルネリウスの銘器はクリスタルな響きと豊麗なヴォリュームを兼ね備え、一瞬たりとも音が痩せない。しかも肉食系の脂ぎった音ではなくクール&ビューティ、シャロン・ストーン主演のアメリカ映画「氷の微笑」(1982)を思わせる。どのフレーズも吟味され尽くされ、名優の堂々としたセリフ回しを聴くかの趣があった。2005年、東京で最初の「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日々)音楽祭」の開かれたときが、諏訪内の同曲演奏を聴いた最初だったが、当時に存在した若干の甘美さは完全に影を潜め、ベートーヴェンの音楽の核心だけ見つめ、ひたすら内実に迫る凄みにとって代わった。カデンツァもロマンティックなクライスラー作ではなく、ヘンリク・シェリングらが好んだヨアヒム作の峻厳なものを選択、そこに印象的装飾を施す個性的な路線で魅了する。第2楽章の滋味、第3楽章の愉悦にも事欠かず、「日本ヴァイオリン界の女王様」の貫禄を完璧なまでに発揮した。先月は神尾真由子、今月は諏訪内晶子と、N響は東京芸術劇場の演奏会にチャイコフスキー国際音楽コンクールのヴァイオリン部門優勝者を2か月連続で起用し、それぞれに相応しい作品で大きな成果を上げた。協奏曲「伴奏名人」の秋山の指揮が悪かろうはずはなく、諏訪内の魅力を最大限に引き立てた。


あと2年で生誕120周年の斎藤秀雄は第二次世界大戦前のドイツに2度留学した。師の1人、ユリウス・クレンゲルはチェロ改革者の1人であり、オリジナルのチェロ合奏曲や合奏編曲も数多く作曲した。斎藤はその美徳を受け継ぎ桐朋学園でも合奏教育を重視、J・S・バッハの「シャコンヌ」チェロ合奏編曲などを手がけた。秋山がこうした作品の指揮を得意とし、今回のマーラー版《セリオーソ》でも名演を繰り広げ、終着点で大きく両手を天空に広げたとき、斎藤が種をまいた音楽教育の最終成果の勝利を目のあたりにする気がした。年明けの1月2日、80歳の誕生日を祝う秋山はよく「斎藤指揮法の忠実な継承者」と言われるが、誰の目にも明らかな近年の円熟に接するたび、受け継いだ本質はバトンテクニックではなく、目的と手段を冷静にわきまえ「最後に勝利するのは技術ではなく芸術」の真理を愚直なまでに信じた姿勢だと実感する。日本楽壇の「来し方行く末」にも思いをはせた演奏会だった。

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