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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

満月夜に舞う「月光」と波多野睦美の声


モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの「夜の音楽」(Nachtmusik)に因み、詩人ゲーテを忍ばせたリート(歌曲)、ピアノ曲を散りばめ、創作ダンスがからむーーそんな新しい試みもメゾソプラノ歌手、というよりはボーダーレスの歌い手、波多野睦美の手にかかると、あたかも昔から普通に、淡々と受け継がれてきた営みのような佇まいを見せるから、不思議だ。2019年11月12日、奇しくも秋晴れの夜に輝いた満月の下、王子ホールでは波多野という1人の巫女が、味わい深く心に染み入る音楽の〝儀式〟を執り行った。


ピアノは台湾出身で波多野が「ベートーヴェン弾き」として知り合ったジュリア・スー。前半のベートーヴェンのリート(「悲しみの喜び」「アデライーデ」)の前に「告別」ソナタ全曲、後半冒頭に初めて現れたダンサー辻田暁と一体の「月光」ソナタ第1楽章をソロで弾いた。率直に申し上げ、スーの透明な音色とスタイリッシュな造形という長所、フレーズを大きく膨らませる感覚の不足という短所は歌とからんでこそ、最大限に機能する。波多野とのデュオには聴き惚れたが、ソロではいささかヒステリックな打鍵、息の短いフレージングが耳についた。この日はテレビの収録が入り、ダンスを引き立てる照明にも凝った結果、ふだんのリーダーアーベントでは聴こえることが少ない機械系の高周波ノイズが持続して、せっかくの「歌とピアノ、ダンス。3人の巫女が現出させる小宇宙」の世界への集中を削いだのは、演じ手にも聴き手にも、気の毒だった。辻田のダンスは特にシューベルトの「魔王」において、完全に「第3の演奏者」の役目を果たし、歌詞の重層性を見事に視覚化した。


波多野の敢えて艶を消した落ち着いた音色、どの歌詞も明瞭に聴こえるテキストの理解と伝達の能力、コミックな楽曲(モーツァルト「老婆たち」)でのコケットリーなど、経験とレパートリーの両面での豊富な経験を生かしきった歌唱は、何の夾雑物もなしに聴き手の耳と心の奥まで優しく響く。秋の夜長にふさわしいシックな演奏会はアンコールのモーツァルト、「夕べの想い」で幕を閉じた。

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